21 言ってごらん

文字数 4,848文字

「そんな。ただ人の手が加えられた疑いのある小石がいくつか見つかったというだけで、そこまで言ってしまえるものなのですか」
 眼光を抑制して、ルータが問いただした。
 我が意を得たりというふうに、レノックスは深くうなずいた。そしてまた石の一つを取り上げ、それにこびりついている乾いた泥のようなものを、わたしたちに見せつけた。
「この、凝固している白い部分。これはおそらく、〈レガート〉という名の樹木から作られる樹脂です」
「あれ……」わたしは目を細めた。「レガートの樹脂といえば、たしかカセドラの……」
「さすが。よくご存知ですね」青年は少年みたいな笑顔を見せる。「そうです。レガート樹脂はカセドラの素体(そたい)を構成する材料の一つに採用されています。しかしその用途を見出される以前には、建造物等の接着剤の一種として知られていました。近年はより性能の優れた合成接着剤に取って代わられてしまって、そちらの方の役目はほとんど忘れられつつありますが」
「へえ」ルータがしらばっくれた。「それは知りませんでした。……なるほど、そう考えると興味深いですね」
「そうでしょう」にやりと笑って、青年は一つずつ丁寧に石を回収した。かつてわたしたちの家の一部だった石を。
 十数年前、わたしたちは他でもないこの街の資材加工場を介して、この石材を買い付けたのだった。樹脂は老師の指導を受けて自分たちで作った。天秤竜の森には、レガートの樹が無限に生えていたから。
「いまだかつて、あの森の奥地に人間の集団が居住していたことを示す遺跡や痕跡が発見されたことは、ただの一度もありません。この国の長年に渡る調査結果が、それを明らかにしています」額にこぼれる前髪を搔き上げながら、青年は思案深げに語る。「けれどもしかしたら、正式な歴史や記録には保存されることのない、森の(たみ)に関するなんらかの伝説なり昔話なりが、土地の人々のあいだに残されていたりはしないものだろうか。そんなことを、我々は考え付いたのです」
「そういうことだったんですね」わたしはふっと息をついた。「もしも今に至るまで風化せず語り継がれる口伝(くでん)巷説(こうせつ)があったなら、今回のその奇妙な石の件と合わせて、ともすれば歴史的な大発見に通じる糸口になり得るかもしれない。そうお考えになったわけですね」
「まったく、おっしゃるとおりです」
「でもやっぱり、そんな話は聞いたこともありません」わたしはきっぱりと告げる。
「そうだね。残念だけど」ルータがおなじ調子で続く。「この国の人たちにとって、森は(おそ)れ敬う対象でこそあれ、まさかその奥に踏み入って生活しようだなんて考えることなど、決してないでしょう。仮に考えたとしても、あのような厳しい環境下でそれを実現することは、人の身ではおよそ不可能でしょうしね。あるいは太古の昔には、そういった人々や民族も存在したことがあるのかもしれませんが、この現代においては、もはや全くありえない話でしょう」
「それにそもそも、あの森は全域が国家の保護管理下にあります。とりわけ奥地となると、あなたがたのように特別な許可を得ている人間でない限り、何人(なんぴと)たりとも立ち入ることはできません」わたしがさらに続ける。
 青年はうなずいた。重々しく、こっくりと。
「……もし」
 ずっと置物みたいに黙りこくっていたイサクが、ここで唐突に声を発した。わたしたちは一斉に彼女に注目した。
「もし本当に、森の奥に家かなにかを建てて、そこに住んでた人たちがいたとしたら……その建物になるくらいたくさんの石は、いったいどうやってそこまで運び込んだんだろう」
「それなんです」無念そうにうなだれて、青年は苦笑を滲ませた。「まさに、その点が謎なんです。あそこは、自分の足で歩いてみたら嫌というほど思い知らされますが、どこがどんなふうになっていてなにがどこに潜んでいるのか全くもってわからない、実に滅茶苦茶な世界です。人に害を為す危険生物だって、恐らくは我々が想像する以上に数多く生息しているはずです。そんなところに大量の大型石材を持ち込むなんてことは、たとえ軍隊を率いて挑んだところで絶対に不可能です。まぁ今なら、カセドラの力でどうにかできるかもしれませんけど、言うまでもなく過去の時代には、あんなもの影も形もなかったわけですから。だからそうなると、考えられる可能性はただ一つ……」
 言ってごらん。
 わたしは唇を動かすことなく、口のなかでそうささやいた。
「……ただ一つ、空から運び入れる方法しかありません」
 真面目くさった顔で青年が言うので、わたしたちは三人揃って吹き出した。
「そう、笑い話ですよ、まったく」大きく肩をすくめながら、青年も笑う。「よく知られているとおり、世の中には身体的な労力を用いずに物体を動かすことのできる人たちがいます。実を言うとこの僕の体にも、それなりの発顕因子が流れています。でも建材みたいな重量物を長時間ずっと浮かせて運ぶだなんて、まず上手くできっこありません。それにだいたい、単純に宙に浮かせただけじゃ話にならない。それこそ自分も一緒に空高く浮上して、森という険しく広大な障害物そのものを、文字通りに飛び越えなくちゃいけません」
「王都には空を飛べる顕術士(けんじゅつし)がいらっしゃるんですか?」わざと真剣な口調でわたしはたずねた。
「まさか。ご冗談を」今度は彼が吹き出した。「僕はこれまで何度か、一流の顕術士たちが相当な高度まで跳躍するのを間近で目にしたことがあります。しかしああいった技術も、あくまで飛び跳ねるという動作の応用でしかなくて、とても空中を自在に飛び回るなんていう芸当には程遠い。いや、あの人たちの顕術の能力とそれを操る練度は、それはもう大したものですよ。なにしろ僕が言っている彼らとは、王国軍が誇る〈顕術騎士団〉の精鋭たちのことですから」
 話しながら青年はカップを持ち上げ、それを口に運んだ。もうだいぶ冷めてしまっているだろうに、彼はきちんと最後までそれを飲み干した。わたしたちは身動き一つせず、その様子を見ている。
「それに僕は、彼らに直接たずねたことがあります」カップをソーサ―に戻し、青年は続ける。「あなたがたのなかに、鳥のように思うがまま空を飛ぶことができる人は存在しないのかと。すると彼らはみな笑いました。そんなやつがいるわけがないし、これまでいたこともない。もしもそこまでできてしまう者がいたら、それはもはや人間とは呼べない……と」
「なるほど」わたしは微笑し、両手をテーブルの上でぴたりと重ねた。「では、人間でなかったら、なんと呼びましょう」
「……そうですね」ふいに鋭く両目を細めて、テンシュテット・レノックスは虚空を見あげた。「もし……もし、そんな力を持つ人が実在するとしたら、それはきっと――」
「隊長」出し抜けに誰かが近くから呼びかけた。「レノックス隊長」
 はたと会話を休止して、全員で声のした方を振り向いた。テーブルのあいだを縫ってこちらに向かってくる若い男性の姿がある。彼はわたしたちに礼儀と警戒の入り混じる微笑を送ると、レノックスのかたわらに立った。
「どうしたんだい」レノックスが彼を見あげる。
「いえ、お戻りになられたはずですのに、お部屋にお姿がなかったものですから。ベーム博士が探しておられます」
「ドノヴァンが? ああ、例の報告書の件だね。わかった、すぐ――」青年はそこで急に口をつぐんだ。「噂をすればなんとやらだ」
 レノックスが目を向ける先、レストランの入口の外に、行列に並ぶでもなく突っ立っている二人の男の姿があった。ドノヴァン・ベームと、ヤッシャ・レーヴェンイェルムだ。彼らもまた、今は当世風(とうせいふう)の一般的な服装をしている。ベームは、(だいだい)色の厚ぼったいセーターにベージュのチノ。レーヴェンイェルムは、黒のピーコートと深緑のカーゴ。コートの襟は緩く立てられ、両手はそれぞれポケットに深く差し込まれている。その手の内にはなにか穏やかざるものが潜ませてあるような気配もするけど、真偽の程はわからない。特にわかりたくもない。
 レノックスはわたしたちに向き直った。
「すみません。こちらからお誘いしたのに、先に失礼してしまうことになってしまって」
「いいえ」ルータが和やかに首を振った。「どうかお気になさらず。僕らの方もちょうど良い頃合でしたので」
「ごちそうさまでした」
 わたしが一礼すると、ルータとイサクも続いた。
「今日はご一緒できて、本当に楽しかったです」青年はそう言いながら手帳とペンを取り出し、ささっとなにかを書きつけてページを破った。「このホテルの鉱晶伝報の番号と、僕の部屋番号です。よかったらいつでもご連絡ください。あなたたちとは、その……是非また、お話がしたいです」
 一瞬ためらいはしたものの、ルータは丁重にそれを受け取った。
 退場間際にとびきりの笑顔を客席に投げかけて、青年は部下と共に舞台を去っていった。
 彼らの背中がじゅうぶんに小さくなってから、わたしたちは聴覚を研ぎ澄ませた。
「レノックス隊長、今の方々は?」
「新しい友人たちだよ」
 時間を置いて、彼ら一行がじゅうぶんに遠ざかるまで待った。途中、どこかから飛んできたあの黄色い髪のアトマの女性が、青年たちに合流した。わたしたちはとっさに顕術を封じた。アトマの女性はちらりとこちらを振り返って見たけれど、それはただの周囲を見回す習慣的行為のようだった。
 今しばらくのあいだ、わたしたちは席に着いたままでいることにした。カップはすべて、とうに空になっていたけれど。
 わたしは少し表面が乾いたレモンの輪切りを摘まみ上げ、これといった目的もなく口に運び、ちょっとだけ嚙みついて果汁を味わった。それで少しは頭がまともに働くようになった。
「友人、だって」イサクが無表情でつぶやいた。
 ルータは小さくため息をつき、メモ紙を律儀に折り畳んで(ふところ)にしまった。その様子をわたしとイサクは黙って眺めていた。
 レノックス一行が完全に姿を消してしまったのを確認すると、わたしはデザートに取ってきておいたクッキーやチョコレートを紙ナプキンで包みながら言った。
「あの石ころ、記念に一個くらいもらっておけばよかったね」
 兄妹は、共に皮肉っぽい笑みを浮かべた。笑うと余計に二人はそっくりだ。目の細め方も、唇の曲げ方も、本当によく似てる。
「まったく、どういうつもりなのかな。運命の神さまは」
 ぼんやりと天井を見あげて、ルータがささやくように言った。


 ホテルを出ると、みんなで散歩がてら仕立て屋に向かった。仕立ては見事だった。三人ぶん新調したわけだけど、そのすべてがいささかの文句も付けようのない出来栄えだった。店を出て川沿いの道を歩きながら、イサクが言った。
「明日に間に合ってよかったね」
「ああ」眩しそうに夕陽を眺めながら、ルータがうなずいた。
「それにしても、宝石商ねぇ……」
 くすくすとイサクが笑いだすから、わたしもつられた。
「なんだよ」ルータはわたしたちをじろりと見やる。「あながち間違っちゃいないだろ?」
「それもそうね」わたしは言った。
 老師のお見舞いに行って、看護士のかたと一緒に彼の食事とお手洗いを補助してから、アパルトマンへ帰った。ケルビーノを膝に載せて前庭のベンチに腰かけているラモーナと出くわした。今日は父親が早くに帰ってくるというので、お手伝いさんを今しがた見送ったついでに、そのままここで待つことにしたのだという。心配になってあたりを見回すと、ベンチのすぐ後ろの窓の向こう側で、料理をしながら少女を見守っているサラマノさんと目が合った。わたしたちは互いに手を振り合った。
 わたしは少女にクッキーやチョコレートの入った包みをあげた。裕福な家の子はこういうの受け取らないかな、と思いつつそうしたのだけど、予想に反して彼女はたいそう喜んでくれた。
 明日の取引に備えて、この日は少し早めにベッドに入った。もちろん、三人で老師への祈りを捧げてから。
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登場人物紹介

◆リディア


≫『独唱編』シリーズの主人公/語り部。人に見えて人に非ざる、ある謎深き一族の末裔。数少ない同族の生き残りであるルータたちと共に、広大な森の奥地に隠遁している。絵を描くことがなにより好き。

◆ルータ


≫リディアとおなじく、現生人類とは異なる神話的な一族の末裔。穏やかで飾らない人柄だが、責任感は誰より強い。大変な読書家。

◆イサク


≫ルータの実妹。リディアとは物心つく前からの親友どうし。かなりの人間嫌いで普段の言動も素っ気ないが、動物や自然を愛する心はとても深い。共に暮らす祖父の身を常に案じている。

◆テンシュテット・レノックス


≫ホルンフェルス王国の名家レノックス家の長子。〈想河騎士団〉副団長の立場にあるが、国王の命を受けてある調査隊の長を兼任する。子供のように穢れなき心の持ち主で、古代神話の謎を解明するのが積年の夢。

◆ヤッシャ・レーヴェンイェルム


≫ホルンフェルス王国軍人。平時は一個精鋭歩兵部隊を指揮するが、現在はある調査隊の副長を兼務する。家柄も発顕因子も持たない身でありながら、その傑出した実力と戦歴の故に国王の寵愛さえ受ける。

◆〈アルマンド〉


≫三年ほど前にホルンフェルス王国が建造に成功した、史上初の完成体カセドラ。同国軍の主力量産型巨兵として、また現世界最強の巨兵として、広くその名を知られている。

◆〈ラルゲット〉


≫コランダム公国が隣国ホルンフェルス王国の〈アルマンド〉に対抗すべく製造した、主力量産型カセドラ。運用が開始されてからまだ日が浅い。

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