45 最後の晩餐

文字数 3,126文字

「今も来てるかな」
 わたしの推理を聞き終えると、()えてベランダの方へ顔を向けることなく、イサクがつぶやいた。わたしは首を振った。
「ううん。さっき外から念入りに探ってみたけど、今日はいなかった」
「もう来ないかもな」ルータが低い声で言う。「なんとなくそんな気がする。僕が商会の拠点に入っていくところを見届けて、ひとまず満足しただろうよ」
 イサクは席を立ち、カーテンを払いのけて窓の外を睨みつけた。そしてその目つきのまま、こちらを振り向く。
「まさかあたしたちの正体までは知られてないよね」
「いくらなんでも、そんなことは思いつきもしないさ」ルータが言い切る。「それなりに顕術を使うと見做されていることは、確実だろうけどな」
「アリアナイト、早めに隠しといてよかったね」わたしは小さく嘆息する。そして両手で頬杖をつく。「またなにか仕掛けてくるかな」
「さぁてね」ルータはひらりと手を揺らす。
「っていうかさ」どしどしと床板を踏み抜く勢いでテーブルに戻ってきたイサクが、再び椅子に腰かけた。「なんであいつはそこまでしてあたしたちを探るの。そんなにあの隊長くんのこと信用してないわけ?」
「それとも、犯罪に関わっている疑惑のある連中を野放しにはしておけないから、とか?」わたしは皮肉たっぷりに微笑する。「自分たちだって素性を詐称している上に、国際協定に背いて他国の森のなかをうろついたりなんかしてるくせに」
 しばしの沈黙。
「ねぇ」
 わたしとイサクは息を揃えてルータに迫った。
 勘弁してくれというふうに両手を挙げて、ルータはかぶりを振る。
「僕にわかるもんか、あの男がなにを考えてるかなんて。でも、奴がテンの行動を快く思ってないのは確かだろうし、極秘任務の件が露見することを恐れているのも確かだろうし、反社会組織に関与しているとおぼしき一味を放ってはおけないっていう道義心なんかも、まぁそれなりにあるんじゃないのかね」
「だけど今の自分の立場を考えると、あんまり大っぴらに他人(ひと)のことをとやかく糾弾できないってわけかしらね」わたしは冷ややかに言う。「仮にも王国正規軍に所属する兵士が、他所(よそ)の国で工作員まがいの活動をしてたなんて事実がなにかの拍子に明るみに出ちゃったら、それはそれは大問題ですものね」
「だから警察にチクるのも、わざわざ情報屋なんかを通したんだ」イサクが嘲笑する。「渋い(つら)して、やることがせこいな。あの若造」
「そう考えると」ルータはテーブルに右手のひらをぺたりと置いた。「向こうとしては、間接的にせよ自分が仕掛けた捕縛の策が不首尾に終わった以上、ここからは無闇に(こと)を荒立てたくはないだろうな。少なくとも、隠密の任務が完了するまでのあいだは。僕がテンを通じて探索隊の実情を把握している可能性を考えたら、垂れ込んだのが自分だとばれた時に報復で暴露されやしないかって、気が気じゃないだろうからね」
「せこいね」イサクが忌々しげに繰り返した。「なにもかもせこい。阿呆らしい」
 わたしは彼女をなだめるように、その憤る肩をそっと撫でた。それから両手を膝の上に並べて置き、ルータと面と向かった。
「テンシュテットとは、どこまで話してるの」
「へ?」ルータは目を丸くする。「どこまで、って……」
「だからさぁ」ここぞとばかりに身を乗り出して、イサクが続く。「いつも男どうし二人っきりで、どんなことをお喋りしてるのか、ってことだよ」
 彼は甲羅に引っ込む亀みたいに首をすくめる。
 そしてぽつぽつと口を開く。
「あいつとは……テンとは、込み入った話は全然しない。いつもそれぞれの好きなものについて話してばかりいるよ。本とか、考古学とか、旅とか音楽とか、そういうの。……いやでも、考えてみたらおかしいな。そういえばあいつ、僕らのことについて、なに一つ尋ねてきたりしないんだ」
 わたしとイサクは黙って顔を見あわせた。そして可笑しそうに一人で笑っているルータを、まじまじと眺めた。
「まるで学校の同級生かなにかみたいに、僕のことを扱うんだぜ。まったく、変わった奴だよ。そう思わないか?」
「思うね。思うよ」うんうんとうなずくと、イサクは咳払いを一つした。そしてじろりと目を細める。「でさ。その変わり者のお友だちは、ルータ兄ぃに自分の本当の境遇のことは――」
「向こうから打ち明けてきたよ」
 ルータが先んじた。羽根みたいに軽やかな口ぶりで。
「それってつまり……」わたしは一瞬息を呑んだ。「〈テルル〉探しのことを……?」
「うん」ルータはうなずく。「あいつは、僕の正体を知って以来二人で会って話した最初の時に、自分も隠し事はしたくないからといって、なにもかもを打ち明けてくれた。つまり、自分が竜殺しの森に不法侵入して、楽園探索なんていう愚かしい任務に就いているということを」
「ちょっとちょっと」イサクが大いに呆れ返る。「それってけっこう大事なことじゃん。なんで今頃言うの」
「だってきみたち二人とも、あいつが僕にそれを明かすことを予想してただろ」ルータはけろりと返す。「というか、確信してただろ。違う?」
 思わずわたしは吹き出してしまった。彼の言うとおりだったから。イサクはすとんと肩を落として、力無くため息を吐いた。そしてふてくされた子供みたいな顔をして、つぶやいた。
「まぁ……うん」
「あいつはただの()い奴だよ」ルータは言う。「信頼するに値する人間だ。きみたちも知ってのとおり」
 わたしたちは首を縦に振るより他なかった。
「……じゃあさ」イサクが思案げに口を開く。「その探索任務の進捗(しんちょく)具合なんかは、どうなってるのか教えてもらってないわけ」
 ルータは首を振る。「それは聞いてない」
「でもきっと、任務の完了はもうそんなに先のことじゃないのよね」わたしが言う。「こないだあの公園で飲んでる時に、当人たちがそういうこと話してたから……」
「そうなったら面倒だね」イサクが腕組みをする。「そうなったら、あの男から後ろめたいところがなくなっちゃう。……いっそ今のうちに、連中の犯罪の証拠になるような写真とか撮っとく?」
「はは」ルータが不敵に笑う。「良い案だがな。しかし、なにもこっちまでせこい真似することはないさ」
「ふん。ま、それもそうか……」
 わたしは椅子を引いて立ち上がり、広々とした居間の中心あたりへ歩いていった。
 そして部屋をぐるりと一巡、見回した。
 その途中、壁に飾られたハスキルとモニクの手紙が目に入り、胸がじわっと切なくなった。
「なんだか、つい昨日引っ越してきたばかりのような気がするよ」
 席を離れて窓辺に立ち、ルータが言った。
「だけど、ずいぶん前から住んでたような気もする」わたしの隣にやって来たイサクが、とても静かな声で言った。「しない?」
 わたしは彼女の肩を抱き寄せた。
「そうね」
 わたしは言った。後に続けようとしたいくつかの言葉は、そのまま外に出さないでおくことにした。どのみちなにを言っても言わなくても、きっと今からそう遠くない未来のある日に、わたしたちはまたすべてを捨てて、立ち去らなくてはいけなくなるんだから。それが、わたしたちに宿命付けられた生き方なのだから。
「……そろそろ、片付け始めておこうか」
 川の向こう岸をじっと見つめて、ルータが言った。自分自身に言い聞かせるような、厳しくも深い声遣(こわづか)いだった。それは少し、彼らの祖父の語り口と似ていた。
 わたしは下唇を噛み、天井へ顔を向けた。ふいに湧き上がってきた水の流れを、眼窩(がんか)の奥へと押し戻すように。
「ご飯にしよう」言いながらイサクがわたしを抱き締め返してくれた。「今、温め直すよ」
「うん」
 そうして囲んだ食卓が、()しくもこの家で三人でとる最後の晩餐になった。
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登場人物紹介

◆リディア


≫『独唱編』シリーズの主人公/語り部。人に見えて人に非ざる、ある謎深き一族の末裔。数少ない同族の生き残りであるルータたちと共に、広大な森の奥地に隠遁している。絵を描くことがなにより好き。

◆ルータ


≫リディアとおなじく、現生人類とは異なる神話的な一族の末裔。穏やかで飾らない人柄だが、責任感は誰より強い。大変な読書家。

◆イサク


≫ルータの実妹。リディアとは物心つく前からの親友どうし。かなりの人間嫌いで普段の言動も素っ気ないが、動物や自然を愛する心はとても深い。共に暮らす祖父の身を常に案じている。

◆テンシュテット・レノックス


≫ホルンフェルス王国の名家レノックス家の長子。〈想河騎士団〉副団長の立場にあるが、国王の命を受けてある調査隊の長を兼任する。子供のように穢れなき心の持ち主で、古代神話の謎を解明するのが積年の夢。

◆ヤッシャ・レーヴェンイェルム


≫ホルンフェルス王国軍人。平時は一個精鋭歩兵部隊を指揮するが、現在はある調査隊の副長を兼務する。家柄も発顕因子も持たない身でありながら、その傑出した実力と戦歴の故に国王の寵愛さえ受ける。

◆〈アルマンド〉


≫三年ほど前にホルンフェルス王国が建造に成功した、史上初の完成体カセドラ。同国軍の主力量産型巨兵として、また現世界最強の巨兵として、広くその名を知られている。

◆〈ラルゲット〉


≫コランダム公国が隣国ホルンフェルス王国の〈アルマンド〉に対抗すべく製造した、主力量産型カセドラ。運用が開始されてからまだ日が浅い。

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