61 奇蹟の光
文字数 1,695文字
教会から青い光の柱が生えていた。それはあの丸屋根のうえに厚く積もった雪を通過して、真円を描く天窓から夜空の深部に至るまで、まっすぐに伸びていた。
吹雪はいまだ猛り、夜はどっぷりと更けている。
忘れ去られた廃村を抱く山々の周囲に、生きて動くものの息づかいは一つもない。
人間の営みの灯 も、今はすべてが遠い遠い闇の彼方。
この大いなる奇蹟の光を目にしている者は、わたしたちを除いて、誰もいやしないだろう。
そのことで、わたしたちは心からの安堵を覚える。
ちょうど、寿命を終えた恒星が明るく輝きながら散っていくように、わたしたち一族の体も、魂を失って結晶と化す際に鮮烈な光を放つ。
この光の直視に耐えうるのは、おそらくおなじ一族の瞳だけだ。
先祖代々、たくさんの仲間を見送り、その最期の光を目に焼きつけてきたために、わたしたちはみなこれほどまで深い青の瞳を持つようになったのだとも、伝えられている。
それが本当かどうかはわからないけれど、ともかくこの尋常でない光の顕現があるからこそ、わたしたちはどうしても街なかで老師を見送ることができなかったのだ。
そして今、わたしたちは思いを遂げた。
老師との約束を、守り通すことができた。
これもすべて、わたしたちの偉大な友人のおかげだ。
教会のなかは、まるで百の太陽を詰めこんだようだった。それも、真っ青な炎をまとう、異なる宇宙の、異なる太陽を。
天窓の真下で、イサクが祖父のかたちをした青い結晶体を抱きしめ、静かに寝息を立てていた。わたしはかつてクレー老師だった結晶の額に、ここを出ていく時にもしたように、再び口づけをした。
「ただいま、老師」わたしはささやきかけた。
「おかえり」
と、心のなかではっきり声が聴こえた。
焚かれたままだった火のかたわらの床にぺったりと座りこみ、手近にあった椅子をたぐり寄せると、わたしはその座面に両腕を枕にして頭を載せた。
そしてしばらくのあいだ、努めて意識的に意識を捨て去った。
両目から入った光が脳を満たし、すべての思念が融解していくさまを想像した。
本当にそうなっている気がした。
ルータは祖父が遺していった結晶を、妹の隣に立って長いことじっと見おろしていた。それから足音をたてずにそろそろと歩き、乾いた木切れをいくつも焚き火にくべた。わたしはその様子を夢うつつで眺めていた。
いちど目を閉じて、
また開けると、
ルータの姿は祭壇のほとりにあった。
彼は首を後ろに反らせて、イーノをかたどった聖像を見上げていた。
それは、足もとまで達する大きな一枚布を頭からかぶり、両手を左右にゆったりと広げたヒトのようなかたちをしている。頭部は装飾のないつるりとした楕円体状になっていて、顔の中心に前後に貫通する円 い穴がぽっかりと空いている。全身がくまなく真っ白な石で出来ているけれど、今はそれはすみずみまで青一色に照り映えている。
その像の前で、ルータは両膝を折ってひざまずいた。
彼の両手は〈大聖堂〉の印を結んでいる。
本来なら、その印を組む両手のあいだは空洞にするのがならわしだけれど、彼は今そこに、まるで生まれたばかりの小鳥でも抱きしめるように、つやつやときらめくひと房 の金髪を握りしめている。
彼はいつまでも祈る。
夜が終わるまで、ずっと祈っていた。
夜が明けても、まだ祈っていた。
夢のないつかのまの眠りから帰ってきたわたしは、彼の背中を見つめながら、そっと指先を振るって、窓に立てかけていた長椅子の一つを脇にのけた。
闇は去っていた。
雪も止んでいた。
世界に再び、太陽が戻ってきていた。
わたしは起きあがり、窓辺へ向かった。
まだ青にはなりきれない薄紫色の空を、まぶたを細めて仰いだ。
たくさんの渡り鳥たちが、朝焼けのなかを横一列の編隊を組んで飛んでいた。
彼らは山や丘の頂 を越え、森の上空を均等に切り分けるように進み、大きな光のなかへと吸いこまれて、やがて見えなくなった。
いくぶん発光が落ち着いてきた美しい結晶のもとへ戻ると、わたしはイサクの背に手を置いた。
「起きて」わたしは言った。「朝だよ」
吹雪はいまだ猛り、夜はどっぷりと更けている。
忘れ去られた廃村を抱く山々の周囲に、生きて動くものの息づかいは一つもない。
人間の営みの
この大いなる奇蹟の光を目にしている者は、わたしたちを除いて、誰もいやしないだろう。
そのことで、わたしたちは心からの安堵を覚える。
ちょうど、寿命を終えた恒星が明るく輝きながら散っていくように、わたしたち一族の体も、魂を失って結晶と化す際に鮮烈な光を放つ。
この光の直視に耐えうるのは、おそらくおなじ一族の瞳だけだ。
先祖代々、たくさんの仲間を見送り、その最期の光を目に焼きつけてきたために、わたしたちはみなこれほどまで深い青の瞳を持つようになったのだとも、伝えられている。
それが本当かどうかはわからないけれど、ともかくこの尋常でない光の顕現があるからこそ、わたしたちはどうしても街なかで老師を見送ることができなかったのだ。
そして今、わたしたちは思いを遂げた。
老師との約束を、守り通すことができた。
これもすべて、わたしたちの偉大な友人のおかげだ。
教会のなかは、まるで百の太陽を詰めこんだようだった。それも、真っ青な炎をまとう、異なる宇宙の、異なる太陽を。
天窓の真下で、イサクが祖父のかたちをした青い結晶体を抱きしめ、静かに寝息を立てていた。わたしはかつてクレー老師だった結晶の額に、ここを出ていく時にもしたように、再び口づけをした。
「ただいま、老師」わたしはささやきかけた。
「おかえり」
と、心のなかではっきり声が聴こえた。
焚かれたままだった火のかたわらの床にぺったりと座りこみ、手近にあった椅子をたぐり寄せると、わたしはその座面に両腕を枕にして頭を載せた。
そしてしばらくのあいだ、努めて意識的に意識を捨て去った。
両目から入った光が脳を満たし、すべての思念が融解していくさまを想像した。
本当にそうなっている気がした。
ルータは祖父が遺していった結晶を、妹の隣に立って長いことじっと見おろしていた。それから足音をたてずにそろそろと歩き、乾いた木切れをいくつも焚き火にくべた。わたしはその様子を夢うつつで眺めていた。
いちど目を閉じて、
また開けると、
ルータの姿は祭壇のほとりにあった。
彼は首を後ろに反らせて、イーノをかたどった聖像を見上げていた。
それは、足もとまで達する大きな一枚布を頭からかぶり、両手を左右にゆったりと広げたヒトのようなかたちをしている。頭部は装飾のないつるりとした楕円体状になっていて、顔の中心に前後に貫通する
その像の前で、ルータは両膝を折ってひざまずいた。
彼の両手は〈大聖堂〉の印を結んでいる。
本来なら、その印を組む両手のあいだは空洞にするのがならわしだけれど、彼は今そこに、まるで生まれたばかりの小鳥でも抱きしめるように、つやつやときらめくひと
彼はいつまでも祈る。
夜が終わるまで、ずっと祈っていた。
夜が明けても、まだ祈っていた。
夢のないつかのまの眠りから帰ってきたわたしは、彼の背中を見つめながら、そっと指先を振るって、窓に立てかけていた長椅子の一つを脇にのけた。
闇は去っていた。
雪も止んでいた。
世界に再び、太陽が戻ってきていた。
わたしは起きあがり、窓辺へ向かった。
まだ青にはなりきれない薄紫色の空を、まぶたを細めて仰いだ。
たくさんの渡り鳥たちが、朝焼けのなかを横一列の編隊を組んで飛んでいた。
彼らは山や丘の
いくぶん発光が落ち着いてきた美しい結晶のもとへ戻ると、わたしはイサクの背に手を置いた。
「起きて」わたしは言った。「朝だよ」
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