62 ルータと、イサクと、わたし
文字数 1,916文字
この年のホルンフェルス王国とコランダム公国の合同軍事演習は、弔 いの儀として幕を開けた。
両国が国境を接する大陸北西部の沿岸地帯でおこなわれた此度 の演習には、例年のように軍や政府の関係者や報道陣だけでなく、一般の弔問 者たちもおおぜい訪れた。
青海に臨 む砂浜のうえに建てられた献花台と慰霊碑のもとに、将来を嘱望 された若者の早すぎる死を悼 む市民たちが、それぞれに喪服や喪章を身に着けて各地から集まった。
王国民たちは自分たちの未来を担 う若き才人の喪失を嘆き、公国民たちは己 の身を盾にして竜の脅威を退けてくれた異邦の騎士の勇気を讃え、感謝を捧げた。
その場には、両国の王たちの姿もあった。
ただし、この両者が目を合わせることは、ただの一度もなかったという。
参列席の最前列に、レノックス家の面々とおぼしき人たちがひとかまりになって並んでいた。その多くが、ひどくやつれた顔をしていた。互いにしがみつくように肩を抱きあい、ともにハンカチで顔を覆って泣き崩れている二人の女性は、ルチア・レノックスとその母親だった。
両国軍の司令官たちが弔辞を読みあげるあいだじゅうずっと、慰霊碑の上空には二振りの巨大な銀の刃が交差して掲げられていた。
王国のカセドラ〈アルマンド〉と、公国の〈ラルゲット〉が、それぞれの剣の柄 を両手で強く握りしめていた。
わたしたちは、これがあるから、この場に参列することも、近くまで行って遠巻きに眺めることもできなかった。あの男が乗っている巨兵を目にすることなど、絶対に耐えられないから。
だから、ここで話しているのは、ぜんぶ新聞で読んだり見たりして知ったこと。
二人の王どうしが互いに向けた最敬礼と、両軍の戦車から同時に海に向かって撃ち出された号砲をもって、テンシュテット・レノックス中佐を送る式典は締めくくられた。
その後、早くもその日の午前のうちに徹底した区域侵入規制が敷かれた沿岸部において、軍事演習の火蓋が切って落とされた。
演習は、五日と五晩に渡って続いた。
連日、史上初となるカセドラどうしの模擬戦を観るために集った報道陣や物好き連中が、厳重に張られた規制線の前に山となって詰めかけたという。もちろん、わたしたちは一日たりともそこへは近づかなかった。初日の様子を伝える新聞を読んだきり、その行事について意識を向けることさえやめてしまっていた。
テンの弔儀から六日後の朝、たまたまある国のある街で朝食を取っている時に、鉱晶ラジオの報道で演習のつつがない終了を知った。
そしてその終了は、字義どおりの意味で、今もって続いている。
少しばかり未来を先取りして言うと、この年を最後に、百年続いた王国と公国の合同軍事演習は完全に中止撤廃され、以来二度と再開されることはなかった。
国際法と対話を無視しての森への侵攻、土壌の破壊と資源の乱獲、罪なき生物の大量虐殺、そしてあまりに独善的かつ急進的な科学開発や軍備拡大、といった数多 の暴挙に対する抗議として、時の公王ミンツ・コランダムは、隣国の王トーメ・ホルンフェルスに対して、古来より保たれてきた両国間の条約の数々 を破棄する宣言を発した。
もとより火と水のような関係性であり続けてきた両国政府は、これを機に決定的な訣別に向かうこととなる。
双方の睨みあいは年を追うごとにますます深刻なものとなり、それはやがて数年後に勃発する世界大戦の火種の一つへと成長していった。
後 の世に〈星灰宮 〉の名で知られることになるコランダム公国の新たな軍事要塞の建造が始まったのも、この年のことだった。山をまるごと一つ拓 いて築かれたそれは、あろうことか、あのわたしたちの大切な恩人であるハスキルとモニクが暮らす丘からほど近い地点に出現した。
星灰宮の建造がすっかり完了するまでの数年間、さぞやモニクは家の外へ出るたびに機嫌を損ねていたことだろうと思う。あの丘の頂上で仁王立ちになり、腕組みをして彼方の峰 を睨みつけている彼女の姿が、目に浮かぶ。
タヒナータの街で暮らしていた頃に出した手紙を最後に、彼女たちへの便りは一度も送っていない。ほんとはいつだって手紙をしたためてお喋りしたい気持ちはあったのだけど、こちらがいつまでも住所や素性を明かさないままでいるとなると、それはやはり礼を失する不公平な行為だろうと思って、結局いつも取り止 めることになった。
でも、心のなかでは、毎日のように思い出す。
彼女たちの優しさや、親切さ、心根 の温かさを。
いつか二人が送ってくれた、あのアパルトマンの部屋に額装して飾っていた手紙は、以降もずっと大事にとってある。ルータと、イサクと、わたしの、三人共通の宝物だから。
両国が国境を接する大陸北西部の沿岸地帯でおこなわれた
青海に
王国民たちは自分たちの未来を
その場には、両国の王たちの姿もあった。
ただし、この両者が目を合わせることは、ただの一度もなかったという。
参列席の最前列に、レノックス家の面々とおぼしき人たちがひとかまりになって並んでいた。その多くが、ひどくやつれた顔をしていた。互いにしがみつくように肩を抱きあい、ともにハンカチで顔を覆って泣き崩れている二人の女性は、ルチア・レノックスとその母親だった。
両国軍の司令官たちが弔辞を読みあげるあいだじゅうずっと、慰霊碑の上空には二振りの巨大な銀の刃が交差して掲げられていた。
王国のカセドラ〈アルマンド〉と、公国の〈ラルゲット〉が、それぞれの剣の
わたしたちは、これがあるから、この場に参列することも、近くまで行って遠巻きに眺めることもできなかった。あの男が乗っている巨兵を目にすることなど、絶対に耐えられないから。
だから、ここで話しているのは、ぜんぶ新聞で読んだり見たりして知ったこと。
二人の王どうしが互いに向けた最敬礼と、両軍の戦車から同時に海に向かって撃ち出された号砲をもって、テンシュテット・レノックス中佐を送る式典は締めくくられた。
その後、早くもその日の午前のうちに徹底した区域侵入規制が敷かれた沿岸部において、軍事演習の火蓋が切って落とされた。
演習は、五日と五晩に渡って続いた。
連日、史上初となるカセドラどうしの模擬戦を観るために集った報道陣や物好き連中が、厳重に張られた規制線の前に山となって詰めかけたという。もちろん、わたしたちは一日たりともそこへは近づかなかった。初日の様子を伝える新聞を読んだきり、その行事について意識を向けることさえやめてしまっていた。
テンの弔儀から六日後の朝、たまたまある国のある街で朝食を取っている時に、鉱晶ラジオの報道で演習のつつがない終了を知った。
そしてその終了は、字義どおりの意味で、今もって続いている。
少しばかり未来を先取りして言うと、この年を最後に、百年続いた王国と公国の合同軍事演習は完全に中止撤廃され、以来二度と再開されることはなかった。
国際法と対話を無視しての森への侵攻、土壌の破壊と資源の乱獲、罪なき生物の大量虐殺、そしてあまりに独善的かつ急進的な科学開発や軍備拡大、といった
もとより火と水のような関係性であり続けてきた両国政府は、これを機に決定的な訣別に向かうこととなる。
双方の睨みあいは年を追うごとにますます深刻なものとなり、それはやがて数年後に勃発する世界大戦の火種の一つへと成長していった。
星灰宮の建造がすっかり完了するまでの数年間、さぞやモニクは家の外へ出るたびに機嫌を損ねていたことだろうと思う。あの丘の頂上で仁王立ちになり、腕組みをして彼方の
タヒナータの街で暮らしていた頃に出した手紙を最後に、彼女たちへの便りは一度も送っていない。ほんとはいつだって手紙をしたためてお喋りしたい気持ちはあったのだけど、こちらがいつまでも住所や素性を明かさないままでいるとなると、それはやはり礼を失する不公平な行為だろうと思って、結局いつも取り
でも、心のなかでは、毎日のように思い出す。
彼女たちの優しさや、親切さ、
いつか二人が送ってくれた、あのアパルトマンの部屋に額装して飾っていた手紙は、以降もずっと大事にとってある。ルータと、イサクと、わたしの、三人共通の宝物だから。
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