41 音に色はないけれど

文字数 5,530文字

 大昔にはただの占いや(まじな)いの道具みたいな扱いしか受けていなかったという〈アリアナイト〉だけど、人間たちの科学力が進歩するにつれ、いつしかその神秘の鉱物は、〈顕術(けんじゅつ)〉――アトマ族と限られた血筋の人間、それにわたしたちの一族が発現する多様な超常能力――に強い反応を示すこと、そしてその力の働きを伝導あるいは増幅したりする性質を持つことが、徐々に明らかにされていった。そのため、顕術を武力に転用するための軍事技術の開発や、科学や産業界の諸分野におけるさまざまな活用を目的として、世界各地で鉱晶採掘が盛んにおこなわれるようになった。
 しかし次第に、アリアナイトが乱獲された土地では草花の発育が遅くなったり、樹木がじゅうぶんに根を張らなくなったり、野菜や稲がうまく育たなくなったりする現象が確認され始めた。
 その原因は、この18世紀の現在においても、いまだ十全には解明されていないという。でもおそらくは、大地の活力の基礎である源素〈イーノ〉の均衡が(いちじる)しく損なわれることによって、自然の生命力――としか呼びようがない不可視の力――が減衰してしまうためだろう、というのが通説になっている。
 ところが、現代と比して遥かに科学的な発想が未発達だった中世から前近代期にかけては、そういった自然荒廃の現象はひたすら妄信的に「(たた)り」や「(のろ)い」、もしくは「天罰」と見做され、大いに人々を(おそ)れさせた。
 その後、近代の幕開けと共に開催された主要国首脳会議において、アリアナイトの採掘量と保有量を制限する国際法が制定されたわけだけど、いささか公平性に欠けたところがあると評判のその法律は、なんと制定から100年以上経った今でも、大陸全土に(あまね)く効力を発揮し続けている。各国領内のアリアナイト鉱脈や鉱床はそれぞれの国家によって厳しく管理され、その私的な採掘や所有、そして認可外の流通などは、固く禁じられている。
 そんな折り、こうした奇蹟の資源と人間たちとの関わりの歴史に大きな一石を投じたのが、他でもない、人類の叡智の結晶たる〈カセドラ〉の出現だった。
 顕世歴1740年代の半ば頃、突如として勃興を始めた新種の科学――〈顕導力学(けんどうりきがく)〉。その一つの到達点にして、最大の成果物でもあるこの巨大人型兵器は、文字どおりに、人間社会の在り様を一変させてしまった。
 カセドラの躯体を構成する基礎材料は、用途に応じて様々な形に加工・変成されたアリアナイトだ。もちろんその製造工程についての詳細な情報は、民間には一切公開されていない。けれど噂によると、たった一体の巨兵を製造するだけで、その辺の街が丸ごと一つ買収できるほどのアリアナイトが用いられるのだという。
 こうなると、(ふる)い時代に定められた法律の見直しが検討されるようになるのは必然の運びだったし、事実その声はすでに各国政府の思惑や謀計(ぼうけい)を巻き込んで、大きな怒号と化す一歩手前のところまで来ていた。
 ……でもまぁ、言ってみれば、こんなのはどれもこれも人間たちの世界に限った話だ。至極(しごく)当たり前のことでいちいち言葉にするのも億劫(おっくう)だけど、所詮(しょせん)人間はこの大地に暮らす数多(あまた)在る(しゅ)の一つに過ぎない。それ以上でもそれ以下でもない。人間どうしで取り決めた法など、

にはなんの関係もない。人間たちで定めた決まり事は、人間たちだけで守っていればいい。あるいは縛り合っていればいい。いつまでも。


「ねぇ。どうしても今すぐ()るわけ?」
 今朝だけでもう百回目くらいになるあくびをしながら、イサクが物憂(ものう)げにぼやいた。
 車窓から雪景色を眺めていたルータが、ため息混じりにうなずく。
入用(いりよう)なんだとさ。この頃は、なにかと……」
「ついこないだも、そんなこと言ってなかったっけ」イサクと腕を組んで、わたしは眉をひそめる。「なんだかどこも、きな(くさ)い感じになってきたね」
「あたしたちの知ったこっちゃないけどさ」イサクが肩をすくめる。「あんまり手間を掛けさせないでほしいね」
「……ま、仕方ないさ」ルータは目を閉じ、かぶりを振る。
 朝の早いうちにタヒナータの駅を出発した列車は、二時間半ほど走ったあとで、都市の東の森を抜けた先にある小さな村に到着した。ちょうど、コランダム公国とビスマス共和国の国境付近に位置する村だ。
 西には森の屋根の輪郭が、東には連なる山岳の稜線が望めるこの村は、春になるとたくさんの花々が咲き乱れる観光名所として知られている――らしいのだけど、今のところはすっかり雪に埋もれてしまって、廃村のように静まり返っている。ここで下車した乗客も、わたしたちの他には二、三人しかいなかった。
 丸太小屋みたいな駅を出ると、村の家々は降りしきる雪のなかで身を縮めて黙りこくっていた。外を出歩く村民の姿もない。列車から降りた人たちも、フードや帽子をかぶって早々(はやばや)とどこかへ立ち去っていった。わたしたちもそれに(なら)い、全員お揃いの旅行用外套(がいとう)のフードを頭にかぶった。そしてやはり各自が背負うリュックサックをしっかりと担ぎ直して、白銀一色の世界へ踏み入っていった。
 徒歩で村道(そんどう)を辿り、さらにその道が行き着く先へと強引に分け入っていくと、いつしか、人の世の息吹きがまったく届かない荒涼とした地帯に至る。一枚の葉もつけない真っ黒な枯れ木と、雪の下からちらちらと頭をのぞかせる枯草や(やぶ)が、あてどなく広がる白の上に点在しているだけだ。
 そしてその向こうに、なにものも寄せつけない絶壁のごとき岩山が、まるで進行中に(こお)りついた津波のように、無数に立ち並んでいる。
 この土地には、なにも無い。
 無いように、見える。
 でもわたしたちが求めているものは、ちゃんとそこにある。わたしたちには、それがわかる。
 念のため周囲の気配を探って誰もいないことを確かめてから(もちろん誰もいない)、わたしたちは思い切りよく空へと舞い上がった。
 顔にぶつかる雪片(せっぺん)が痛い。昨夜耳にした(きこり)の言葉は、実に正しかった。今日はこれからますます吹雪きそうだ。帰りはちゃんと列車が走ってくれるかどうか……。とにかく、早く終わらせてしまわなきゃ。
 秘伝の地図を頼りに北東へ向けて約二十エリムの距離を飛行した後、(いただき)に集落か村が築けそうなほど大きな台地の上に、わたしたちは着地した。このあたりはもう、ビスマス共和国の領内だ。東西南北どこを見渡しても、地平の果てまで続く白雪(はくせつ)に覆われた荒野と岩山しか目に入らない。森も海も街も、今やなにもかもが遥かな彼方。空には一羽の鳥さえ飛んでいない。
「この辺で間違いないかな」ルータが足もとを見おろした。
「たぶんね」
 わたしはうなずき、両目を閉じて意識を集中した。
 そして空想のなかで深い洞窟を思い描き、そこに静かに足を踏み入れ、これもまた空想の産物である小さな釣鐘(つりがね)を手に提げて、そっと打ち鳴らす。
 するとまもなく、わたしが放った特殊な波動に反応して、暗闇の奥地から微細な

が返ってくる。音に色はないけれど、わたしにはそれが目も(くら)むほどの青に感じられる。こだまを返した(ぬし)は、こうささやいているようだ――ここだよ、我々はここにいるよ、と。
 わたしは目を開き、もう一度うなずく。わたしとおなじ手応えをそれぞれに感じ取った兄妹の二人と、暗黙のうちに互いの確信を重ね合わせる。地中深くに眠るアリアナイトを探知する顕術の扱いは、わたしたちの一族が得意とするところだ。
 〈青い影〉として一族の先人たちから代々(だいだい)受け継がれてきた地図には、最上級のアリアナイトが埋蔵されている場所が無数に記録されている。わたしたちは今、その一つの直上に立っている。
「じゃ、やるか」
 ルータが放った一言を合図に、わたしたちは素早く散開した。それぞれが三十歩ほど後退したところで立ち止まり、ちょうど正三角形の各頂点に立つ形になった。
 そこからはもう、合図も掛け声もなかった。なにしろ子どもの頃からずっと一緒に生きてきたんだもの。ここでもわたしたちの息はぴったりだった。
 三角形の中心点に、三つの頂点から青のまなざしが注がれる。
 そして、前へ向かって突き出された手のひらの照準も。
 三人がかりで呼吸を揃えて放った顕術の衝撃波が、まるで天空から振り下ろされた巨大な(つち)のように、深く鋭く叩き込まれる。
 厚く積もった雪の表面がべこっとへこみ、その次の瞬間には、台地そのものが底の底まで真っ二つに割れていた。
 ここまで存分に力を解放するのは、かれこれ十数年ぶりのことだった。わたしたちは遠慮しなかった。鳥さえ飛ばないこんな雪のなかで、こんな世界の果てのそのまた果てみたいな場所で、ためらう必要はなにもない。落雷と地震と雪崩がいっぺんに発生したみたいな恐ろしい轟音と共に、地表は根こそぎ暴き出された。
 地響きと崩落が落ち着くのを待って、わたしたちは眼下に開いた大地の裂け目へ降りていった。そして再び鉱晶探知の術を発動し、求めていたものを求めていたぶんだけ採取した。三つのリュックサックは、極上の稀少鉱石で膨れ上がった。これだけあればじゅうぶんだ。世の中が今以上にきな臭くならない限り、次にまた全力に近い顕術を放つのは、十数年後になるだろう。
 掘り起こした跡地に土砂や岩石を敷き詰めて(なら)すと、わたしたちは一目散にこの場を離れた。言うまでもなく、三人とも(こご)える寸前だった。一刻も早く暖かいところで温かいものを口にする必要がある。でもその前に、ひとまず村の駅で鉄道の運行状況を確認した。このまま()ったら日没後には運休になるだろうけど、今のところはまだ徐行で走ってるよと、いっときだけでも話し相手が見つかったことを喜ぶ駅員のおじさんが教えてくれた。
 次の列車を待つ間に、駅の近くで唯一営業していた喫茶店に駆け込んだ。店主は客が来たことに心底仰天しているみたいだったけど、わたしたちの旅商人みたいな装備を目にすると、(ねぎら)いと同情の笑顔で迎えてくれた。ここで味わった黒糖入りのカフェオレとキャベツ・スープの味は、もう格別だった。
 血の通った顔色と臓腑の熱を取り戻したわたしたちは、やがてやって来た列車に乗り込んだ。
 座席に着くやいなや、三人ともぐうぐうと眠り込んでしまった。タヒナータに到着する直前まで、ずっと目を覚まさなかった。でもリュックサックが盗難に遭うようなことはなかった。誰がこんな野暮(やぼ)ったい荷物なんかに目を付けるだろう。青い光を放つ鉱石は、輝きが漏れ出さないよう遮光(しゃこう)用の袋で何重にも包んである。
 街に着くとその足で貸倉庫へ向かい、今すぐ必要なぶんだけ残してそれ以外はそのなかに保管した。


 日没直前に帰宅すると、着替えて病室に行った。クレー老師は針一本ぶんくらい目を開けてうつらうつらしていた。意思の疎通は難しかったけれど、わたしたちの声には反応を示してくれた。大した話はしていない。今日大変な思いをして商材を確保してきたことも、最近ルータに新しい友人ができたことも、その相手がわたしたちの正体を知ることになってしまったことも、なにも告げなかった。ただ、今はもう年が明けて新しい一年が始まってるんだよ、とか、早く春になってほしいね、とか、そういったなんでもないようなことを、三人で代わるがわる、ささやきかけただけだった。
 夕食と面会の時間が終了して部屋を出ると、廊下の向こうで看護士と話し込んでいるシュロモ先生のお姿を見つけた。彼もこちらに気付いた。そして、職員との会話は継続しながら、こちらの一人一人の目をまっすぐ見据えて、ある種の覚悟を求める視線を送ってきた。
 わたしとルータは、目を伏せるように小さくうなずいた。
 でもイサクは、なにもかもを振り払うように、兄とわたしの手をつかんで回れ右した。そのまま足早に階段を降りていった。
 アパルトマンに戻ると、部屋じゅうの明かりを点けてから荷を開けた。
 湯気のような青い光が、わたしたちの目の前に立ち昇る。
 それとほぼ同時に、得体の知れないかすかな物音が、ベランダの方から聴こえた。
 わたしたちはすかさずアリアナイトに覆いをかぶせ、跳ね飛ぶように音の出処(でどころ)へと向かった。
 カーテンを一息で引き開け、窓を全開にすると、飽くことなく降り続ける雪を含んだ風のなか、鳥のような小さな影が、わたしたちの眼前を横切っていった。
 鳥ではなかった。
 白猫のケルビーノだった。
 一瞬、積もった雪が猫の形になって動き出しでもしたかのような錯覚を覚えてしまったけれど、それは確かに、自分の意志で生きて動いている猫に間違いなかった。
 彼女はベランダの手摺を走り幅跳びの選手みたいに疾走し、やがてその突端から、なにを(おそ)れることもなく全力で飛び上がった。羽虫とか鼠とか、あるいは雀や鳩に飛びつく時のような、そういう本能的で衝動的な挙動だった。
 わたしは両腕を自分の体に巻き付けてぶるぶる震えながら、彼女の行方を目で追った。けれどすぐにこちらの視界から外れ、それきり戻ってくることはなかった。上階へと続く雨樋(あまどい)とベランダの柵を伝って、すいすいと駆け(のぼ)っていってしまった。
 くねくねと闇夜のなかを踊る白いしっぽが見えなくなると、三人ともついに耐えられなくなって室内に舞い戻った。窓を閉めて施錠し、薄いレースと厚いビロードのカーテンを二重に掛けた。
 最後に残ったほんの少しのカーテンの隙間から、わたしはもう一度外を見渡した。
 雪の積もったベランダの手摺の上に、猫の足跡が点々と残っている。しかしそれもじきに(たい)らに整地されてしまうだろう。次々と降り注ぐ雪たちによって。
 気を取り直して今日の収穫物の点検を済ませたら、食堂を暖かくして三人で普段どおりの夜のひと時を始めた。
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登場人物紹介

◆リディア


≫『独唱編』シリーズの主人公/語り部。人に見えて人に非ざる、ある謎深き一族の末裔。数少ない同族の生き残りであるルータたちと共に、広大な森の奥地に隠遁している。絵を描くことがなにより好き。

◆ルータ


≫リディアとおなじく、現生人類とは異なる神話的な一族の末裔。穏やかで飾らない人柄だが、責任感は誰より強い。大変な読書家。

◆イサク


≫ルータの実妹。リディアとは物心つく前からの親友どうし。かなりの人間嫌いで普段の言動も素っ気ないが、動物や自然を愛する心はとても深い。共に暮らす祖父の身を常に案じている。

◆テンシュテット・レノックス


≫ホルンフェルス王国の名家レノックス家の長子。〈想河騎士団〉副団長の立場にあるが、国王の命を受けてある調査隊の長を兼任する。子供のように穢れなき心の持ち主で、古代神話の謎を解明するのが積年の夢。

◆ヤッシャ・レーヴェンイェルム


≫ホルンフェルス王国軍人。平時は一個精鋭歩兵部隊を指揮するが、現在はある調査隊の副長を兼務する。家柄も発顕因子も持たない身でありながら、その傑出した実力と戦歴の故に国王の寵愛さえ受ける。

◆〈アルマンド〉


≫三年ほど前にホルンフェルス王国が建造に成功した、史上初の完成体カセドラ。同国軍の主力量産型巨兵として、また現世界最強の巨兵として、広くその名を知られている。

◆〈ラルゲット〉


≫コランダム公国が隣国ホルンフェルス王国の〈アルマンド〉に対抗すべく製造した、主力量産型カセドラ。運用が開始されてからまだ日が浅い。

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