第51話  亮介の場合  石垣島前日

文字数 1,820文字

石垣島前日。

 今日行くクライアントは非常に厄介な家である。
古くからのお得意で、所長は「機嫌を損ねないように」と俺に言った。
「だったら、あんたが行けばいい」と俺は思う。

 家族経営の内装、クロス屋で親父さんと長男で仕事をしていた。次男がいるが、こちらは別の仕事をしている。長男の嫁と社長夫人で経理をしているが、これがかなり適当なのである。
一番困るのが、何でも会社の経費で落とそうとする所だ。

「こんにちは。お世話になっています。N会計事務所の高村橋です」
俺は事務所の入り口で挨拶をする。
社長が出て来て、挨拶を返す。奥に向かって声を上げた。
「おーい。経理士さんが来たぞ」
長男の嫁が出て来て、俺を中に通した。
 
彼女は俺にお茶を出すと、案の定、無理を言い出した。
「義弟の子に五月人形を買ったのだけれど、会社の経費で落ちないかしら。ほら、季節の飾り物として。よくあるじゃない?時期になると会社のロビーとかに飾ってあるでしょう?鯉のぼりとかお雛様とか。消耗品とか雑費とかで、福利厚生かしら?伝統文化に親しんで心を豊かにするとか」
「・・・はあ・・・(飾ってあるのか?)」
「先日、一歳のお祝いをしたの。親戚一同で。それも落ちないかしら?接待交際費で」
「そのお祝いには会社の取引先とかお得意様とかご招待したのですか?」
「親戚一同って言ったじゃないの。そんなの呼んでないわよ」
「じゃあ、経費にはなりません」
「前の経理士さんは上手く経費にしてくれたわよ」
「ああ、そうなんですか・・・」
俺は首を捻る。
「どうやったのかなあ・・・。でも、ちょっと申し訳が無いのですが・・無理です。どう考えたって。一歳のお祝いなんて・・・」
「だって、もう法人カードで払っちゃったし」
嫁はあっさりと言った。
俺は笑みを絶やさずに言った。
「じゃあ、その費用は社長の未払金の支払いと言うことにしましょう。それでお祝いの費用を払ったと言うことに」
「だって、未払金の支払いは経費にならないじゃない」
「当然ですよ。だってもう計上してあるのだから」
「それじゃ、ダメなのよ!」
「いや、だって無理ですよ」

ああだこうだと文句を言っていたが、最後に彼女は言った。
「全く、頭が固くてだめねえ。あなたは。前の経理士さんの方が良かったわ。・・担当を変えてもらおうかしら。高いお金を払って来てもらっている意味がない」
それは本当に俺も望むところだ。

会社の金で外車を2台も買うし・・・内装の仕事にベンツで行くのかよと言いたい。
前回は所得隠しもしようとしていた。
本当に油断も隙もあったものではない。

俺は残念そうに言った。
「そうですか・・。それは残念です。・・では一応その様に私の方から所長にそう伝えておきます。それで所長からご連絡が行くと思います。・・・今までいろいろと有難うございました」
嫁はじっと俺を見ている。
俺は「では、失礼致します・・」と言って肩を落として(振りをして)その家を後にした。

家を出て歩き出すと元気が出た。
明日、明日から石垣島だ。こんなのは何でもない。
青い海が俺を呼んでいる。
澄み切った青空と透明な水。そこで魚を追い掛ける。赤や青や黄色のいろんな魚がいるぞ。
でっかい奴もいるだろう。
飯も旨いだろうな。ビールだって旨い。ソーキ蕎麦を食べるんだ。
久し振りのバカンスだ。

石垣島から帰って来たら所長に言って担当を変えてもらおう。俺は首になりましたと言おう。仕方がない。向こうが首だと言うのだから。大体、前の担当が辞めたのだって、あの家が原因だと聞いている。俺はもう無理だから。
それで所長が「否」と言ったら、俺だって「退職」をちらつかせてやる。


電車を一駅乗って、エリの指定した店に向かった。
店は道の向こう側にあった。
予定の時間は6時だったが、30分以上も早く着いてしまった。
クライアントの家を早々に退散したせいだろう。
俺は横断歩道を探してみたが、歩道橋しかなかったのでそれを渡った。
道の向こうからポルシェがやってきた。真っ赤なポルシェ。
それが店の前で止まった。俺は歩道橋の上からそれを見ていた。
助手席のドアが開いて、そこからエリが降りて来た。
俺はびっくりした。
エリが店に入ると車は少し行った先の駐車場に入って行った。俺はもと来た道に急いで戻った。店とは反対側の道でスマホを見る振りをしながら、駐車場を見ていると、男が一人出て来た。茶髪の若い男だった。
それが店に入って行った。
それを見届けると俺は駅に向かって歩き出した。

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