夢のあとさき 2
文字数 812文字
フロムは『夢』について述べている。
「私たちは夢の中で自分自身にある報告をしているのである。
-タルムード(訳注:ユダヤ教の聖典。べラコートはその律法書ミシュナの一節)(ベラコート55a)にある通り『解釈されない夢は、読まれない手紙と同じである』
実際は≪解釈する≫という語は決して正しいとは言えない。夢を解釈する必要は全然ない。
―解釈すべきことは何もない。― のであって、それは中国語やイタリア語を学ぶのに、解釈などしないのと同じである。それは独自の文法と独自の形式を持った一つの言語であって、それを人は学ぶのである」
『人生と愛』 エーリッヒ・フロム 佐野哲郎 佐野五郎 訳 紀伊国屋書店
p108より
また、『夢の言語』について述べている。
「・・さらにそれは象徴言語である。この言語は感覚的で手に取ってみたり眼で目たりできるようなものと関連した具体的な形で、心の中の経験を表現する、と言うことができる。外なるものが何か内なる物を表し、物が、ある経験を表すと言える。それは詩に似ている」
同。P、99.100 より
『夢の言語』は全世界共通で全時代共通の言語らしい。
象徴言語と言う意味合いで。
ユングは人々の無意識の中には普遍的な『元型』があると言った。それは夢や神話の中で似たようなパターンを繰り返す。また、神話と夢は似ている所があるとも。
けれど、その人の見た夢が何を表象し、どんな意味を持つか、それは極めて個人的な問題だと思う。大枠は有ったとしても「その人にとって具体的に何を象徴するか」と言うのは千差万別ではないかと。
そう思ったりする。
夢には『
それが普遍的無意識というものなのかしら?
『いろは歌』を思い出した。
色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奧山 今日超えて 浅き夢見じ 酔ひもせず
「浅き夢見じ
の文は
「浅き夢みし
だとずっと思っていた。