第4話  亮介の場合  過ぎた女房

文字数 2,584文字

 俺の名は亮介。英子の夫である。
 年は42歳。英子よりも一つ下。休日はスポーツクラブに行って汗を流すのが習慣である。
 引き締まった体が自慢だ。上背もあるし、顔もまあ悪くはないと思っている。
 なのでスポーツクラブにいても、時々、女性に声を掛けられる。

 二年前、そこで知り合った女性と関係を持った。女性は独身だと言ったが本当の所は分からない。
 一度、頼まれてマシンの調整の仕方を彼女に教えてやったことがあった。そんなのは俺の仕事じゃ無かったが、断るのも何だから教えてやった。それが切っ掛けで話をするようになった。
気安く話が出来る様になった頃、ちょっとランチでも一緒にどうですか?と言う話になり、食事に行った。食事をしながらアルコールも飲んで、その後ホテルに向かった。店を出る時には何となくそんな雰囲気になってしまい、そして雰囲気に流されるままに関係を持ったのだ。こういうのを魔が差したと言うのだろうか?あまりに簡単で自分で自分に驚いた。


 結婚して以来、初めて妻以外の女を抱いた。
 彼女の細い腰やすらりと伸びた脚が新鮮で、そうだよな。女ってこうだよな。と思った。
 滑らかな下腹に顔を置いてくびれた脇腹を手で撫でた。
 彼女はくすぐったいと言って身を捩って笑った。笑うと頬の下で筋肉が動くのが分かった。そこから下半身を見下ろした。ヘアがハート形に整えられていて、この形は初めて見たなと思った。
 

 俺は英子の体を思い出した。
 交わっている最中に彼女のお腹の肉を摘まんでみる。
「これ、何とかした方が良いんじゃないの?」
「ちょっと止めてくれない」
 そう言って笑う。
 それはそれで別にいいんだけど・・・。刺激的かと言われれば、そんな訳は無いだろうとしか言えない。何と言うか惰性的・・だな。ただの習慣と言うか・・・。
 若い女を抱きながら、そんな事を考えた。

 正直な所、英子に対する罪悪感をそれ程感じなかった。感じていたら一回で止めたはずだ。
 俺の気持ちの中では、それはそれ。これはこれという、奇妙な割り切りが生まれていた。
 気付かれなければ良いんじゃないか?
 そう思った。

 数回寝た後、彼女は突然クラブを退会した。
 何も聞いていなかった。
それに対して何とも思っていない。後腐れが無くていいだろうと感じた位だ。

 それ以来俺は時々浮気をしている。
今の相手は3人目だ。
 相手は年下の独身女性。既婚者には手を出さない。
何かあった時の余波が大きくなるから。
 今時の若い女は不倫なんて遊びだと割り切っている。と言うか、そういう女としか付き合わない。
 結婚とか言い出すと厄介だから、その辺りはきちんと最初に言って置く。俺は妻と別れる積りは無いから、それでも良ければ俺は君を大切にすると。
 家庭は家庭。遊びは遊び。相手が家庭に少しでも侵食する気配を見せたら即、切れる。二番目の女はそうだった。

 
 結婚をしてもう17年になる。
 英子はスクールカウンセラーをしている。
 時給はびっくりするほど高い。常勤では無く、学校を巡りながら仕事をするので時給で働いている。ボーナスが無いから、俺よりちょっと低い程度の年収になる。
 家計費は全て俺の口座から出ている。
英子は毎月22万円をそこに振り込む。
英子にはクレジットカードの家族カードを渡してある。彼女は日用品や食材などの購入はそれで支払う。
 自分用に購入した物は自分のカードで買うか、家族カードで買ったなら後で買った分の代金を俺に寄越す。

 長女の梨乃は俺の扶養、長男の和巳は英子の扶養にしてある。
 節税に関しては俺も会計事務所に勤めている位だから色々とノウハウがある。だから英子の確定申告も俺がやっている。
 英子には「取り敢えずレシートは全部取って置いて」と言ってある。英子は税金の計算などには甚だ無知であるから、言われた通りに全て取って置いてその時期になると「お願いします」と言って俺に渡す。
 大体これで妻の行動は知れる。

 俺達は有能な夫婦だ。それぞれの持ち場を守って、何のストレスも無く暮らしている。子供達はまあまあ優秀だし、梨乃は最近、生意気になって来て俺を冷たい目で見る事も多々あるが、表立って反抗したりはしない。英子に似て我慢強く努力家である。
 梨乃は絵を描くのが好きで、学校では美術部に在籍している。将来は美術の仕事がしたいと言っていた。
 和巳の夢はゲームクリエーター。PCの前に座って何時間もキャラを描いている時がある。小さい頃は一緒に公園でサッカーの練習をしたが、中学受験でサッカークラブを辞めてからはそれもない。中学に入った途端にやたら大人しくなった感がする。素直でいい子だがいまひとつ男らしさが足らない様にも思える。俺としてはもう少しやんちゃであってもいいのではと思うが。
 自分から話し掛けて来る事は少ないが、聞かれた事にはきちんと答える。どちらも可もなく不可もなく普通に学校へ通っている。
 今はこの『普通』が貴重なのかも知れない。


 英子はブランド品にも宝飾にも興味はない。綺麗な洋服で着飾る事もしない。高額なエステに行く訳でも無いし、ビールだけ飲んでいれば満足な妻である。金は掛からないし、逆に金を運んで来る。彼女は至ってシンプルに生きている。明るくて優しいし体は丈夫だし料理は上手い。綺麗好きだし、働き者だし家にいてもくるくると動き回っている。
 家に仕事を持ち込む事は皆無で愚痴もまず言わない。
 英子が際限なく買い込むのは本である。本だけは年間かなりの金額になる。そして場所を占領している。俺達の寝室の一面は天井まで本棚が作り付けてある。英子は「動かない様に隙間なく詰めてあるから大丈夫」と言うが、大きな地震が来たなら俺達はこの大量の本に埋もれて死ぬかも知れない。

 英子は本当に俺には過ぎた女房だと思っている。
 ただの一点を除けば。

  結婚して子供ができれば、まあ仕方の無い事かもと思う。英子は俺にとって大切な家族ではあるけれど・・・顰蹙を買うのを承知で言うなら、俺の日々に刺激をもたらし、その気にさせてくれる女では無くなってしまったという事だ。そんなの結婚して年月が過ぎればどこの夫婦にも多かれ少なかれ言える事なのだろうけれど。
俺は大した覚悟も無く、ふと境を越えてしまった。越えてみたら案外簡単だったので、時々楽しんでいるという感じだった。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み