第63話  亮介の場合  夢をみた

文字数 4,099文字

 俺とエリが歩いていると向こうから自転車に乗った英子がやってきた。
 英子は自転車を下りて俺を悲しそうに見た。
「亮介。どこへ行くの?」
「ちょっとエリを送って来る」
「ちゃんと帰って来る?」
 英子は心配そうに言う。
「うん。帰って来る」
 俺は答えた。
「必ずね。家で待っているからね」
 英子はそう言って自転車に乗って行ってしまった。
 俺はその姿を見送りながら、追い掛けるべきか、それともエリと行くべきか迷った。
「亮ちゃん」
 エリが腕を引っ張った。


 目が覚めて俺は部屋の中を見渡した。
 まだ暗い。みんな静かに眠っている。
 俺はもう一度目を閉じた。
 夢を思い出す。悲しい夢だった。胸がしんとした。

 もう、あれから随分時が過ぎたのに、まだそんな夢を見る。俺は目を閉じたまま記憶の海をゆらゆらと漂った。愚かだった自分を責め、その悲しい気持ちを抱えたまま、また眠りに落ちた。

 5年前。
英子に追い払われた石垣島。

 石垣島から帰って来て、俺は引っ越しをした。
新しいアパートは俺達のマンションのすぐ前。
だって、仕方が無い。急いで探さなくちゃならなかったし、近くなら引っ越すにも簡単だから。少しずつモノを運べばいいし。足らないものは取りに帰ればいい。
それに家の周囲に不審者がいないかどうか見張らなくちゃいけないし。
見張りには格好の場所だった。

英子は俺のアパートを知って顔を顰めた。
「何を考えているのよ」
荷物を取りに戻った俺にそう言った。
「だって、子供にもすぐ会えるから」
俺は平気な顔でそう言った。
「引っ越しだって簡単だ」
「それに毎月の養育費だって届けられる」
英子は返した。
「振込だよ!」

俺は会計事務所を辞めた。
所長には「実は親父が重病で緊急入院しまして。急遽、家の仕事を継がなくてはならなくなったのです」と言った。

 同情してくれた所長にも、今年73で元気に仕事をしている親父にも申し訳が無かったが、そうでも言わなくちゃ、すぐに辞める事は叶わないと思ったのだ。
万が一、会社にあんなモノが送られて来て俺の不始末がバレた、その時の騒ぎを思ったら・・・。もう、無理無理。絶対に無理。
それにマンションを見張らなくちゃならない。仕事なんかに行っている場合じゃないと思った。
まだエリ達が逮捕されたと言うニュースは無かった。

「引っ越すかも知れないと言っていたから早くしないと引っ越してしまうかも知れません」
俺は警察でそう言って置いた。
「部屋のどこかに隠しカメラが有るのだと思います」

俺は何度も弁護士に確認した。
弁護士は「警察が動いているから大丈夫」と言ってくれた。
それでも俺はXデー(期限の金曜日)が過ぎてからは、生きている心地がしなかった。寝不足でふらふらしながら見張りを続けた。
それとなく会社の同僚に電話を入れて会社の様子も探っていた。

次の週になって弁護士から連絡が入った。
エリとその義理の弟が逮捕されたと。俺以外にも被害に遭った人が3,4人いたと。中には一千万を騙し取られた人もいたらしい。俺はびっくりした。

妊娠は嘘だった。
診断書も偽造だった。
エリは33歳だった。やっぱり・・・。5歳もサバ読みやがって。

俺は本当にほっとした。大した信仰も無いのに思わず「神様。有難うございます」と言って床に額づいた。そして死んだ様に眠った。

次の日、エリ達のニュースがテレビで流れた。それを見た英子が電話を入れて来た。
英子は「今、テレビを見たの。びっくりした」と言って、それから大笑いをした。
「あの被害届を出した4番目だか5番目のヒトってあなたなのね」
「・・・うん」
俺はしぶしぶ答えた。
「いくら払えって脅かされたの?」
「・・・350万」
「まあ!!怖い!・・・あなた、ホントに不運だったわね」
そう言ってあはははと笑う。
「・・・」
「いい気味だわ」
「・・・」
「だから、俺は騙されたんだ。英子。分かるだろう。ハニートラップだ。俺は被害者なんだ。だから、俺を家に入れてくれ。お願いだ。離婚は勘弁してくれ」
俺は泣き付いた。
英子は「嫌よ」と言って無情にも電話を切った。


結局、俺は離婚に応じた。
何故なら弁護士に説得されたからだ。
「裁判になったら、どう考えても高村橋さんの負けですから。やるだけ無駄ですよ。まあ、復縁と言う手もありますから。一応(みそぎ)は済んだという事で。そっちを目指した方が良いんじゃないですか?」

「でも、離婚しちゃったら、元妻は再婚する可能性もあるんですよね?」
俺は言った。
弁護士はそんなのは当然だという顔をした。
「そうですね。早めに復縁をするようにすればいいんじゃないですか?お子さんを抱き込んで味方にするのが手っ取り早いですね」
俺はそのアドバイスを受け入れた。
和巳は何とかなりそうだったが梨乃はまず無理だろうな。
そう思った。

 俺は派遣で仕事をしながら司法書士の勉強を続けていた。仕事以外はほぼ勉強だった。通勤時間も勉強だった。
独りで飯を作って一人で食べた。食べながら勉強した。

 貯金を取り崩しながらの生活だった。
 お金を節約しなくてはならなかったから、買い物も外食も控えた。
 英子は月に一度、俺を家に呼んでくれた。子供達に会わせるために。その度に俺は花とケーキを持って行った。梨乃は暫くの間、俺に会ってくれなかった。
 
 和巳はよく俺の所に惣菜を詰めたタッパーを持ってやって来た。
「料理を持って来ているのをママは知っているのか?」
と聞くと、「うん」と答えた。
「パパが一生懸命に勉強しているのも知っている」
和巳はそう言った。

時には和巳と一緒に夕飯を食べた。
その時に英子や梨乃の話を聞いた。
和巳は俺のスパイの様なものだと自分で言って、笑った。


兄貴は「自由になったのだから、他の女を探せばいい」と言った。
「お前は男前なんだからさ。モテるだろう?いつまでも別れた女房に拘っていないで、若い女と再婚してまた子供を作れば良いだろう?」
そう言った。
「金がない。時間も無い。遊んでいる時間も金も無いんだ。養育費を払って、アパートの家賃や水道光熱費を払うと、金なんか残らない。養育費も少し下げてもらった。食費も出ないから。若い女と付き合うなんて、とてもそんなゆとりなんか無いんだ」
 俺は言った。
兄は気の毒そうな顔をした。
「今更、試験勉強なんてご苦労な事だ。しかし、大変だな。いろいろと。・・・俺は子供がいなかったから、まだラッキーだったな」
兄はそう言った。

 俺は「家族のもとに帰りたいんだ。俺は英子以外の女と結婚する積りなんか無いんだ。英子がいいんだ。俺は試験に合格したらもう一度英子にプロポーズをする積りなんだ」と言った。
兄は呆れた顔をした。
「何を馬鹿な事を言っている。止めて置いた方がいい。どうせ無理だから。しつこい男は嫌われるぞ。これ以上嫌われたら、お前、子供にも会わせてもらえなくなるぞ。・・・まあ、自分が悪いのだからな。仕方ない。自業自得だな」と言った。

「自業自得」
いろんな人にこの言葉を言われたな。そう思った。


でも俺は目標があれば頑張れる男なのだ。
クリアすべきミッションがあれば。
ミッション インポッシブル過ぎるが。
それが困難であればある程、クリアして見せようと頑張る事が出来るのだ。
俺はひたすら勉強を頑張り、ひたすら金を節約し、ひたすら誠実に礼儀正しく英子と子供達に接した。
「しつこいと嫌われる」
兄のその言葉を常に念頭に置いて(すでにかなりしつこいのだが)、猫を10匹程被って大人しく過ごした。

付かず離れず出しゃばらず。

 家の電気製品の不具合などで、和巳が何か言っていたら「俺が見てやるよ」と電話を入れる。
断られた時にはあっさりと引く。
俺は英子にとって便利な男になりながら、ちょっとずつ懐柔を試みる。
そうやって地道にポイントを稼ぐ。

 英子の態度が軟化したのは、その年のクリスマスの頃だった。
和巳からラインが届いた。
「ボッチのクリスマスじゃ寂しいだろうから、ママがうちにおいでって。梨乃と僕でママを説得したんだ」

「梨乃も説得してくれたのか!?」
俺は驚いた
「流石に哀れに思ったんじゃないの?」
和巳は言った。俺はうるっと来た。どうも最近は涙腺が緩い。
「それに、ママがどこの馬の骨とも分からない男と再婚したりしたら困るって。そんなのと一緒に住むのは嫌だって、梨乃は言っていた。まあ、それは僕もそうなんだけれどね」
和巳はクールに言った。
「・・・」

何でもいい。何でも。子供が味方に付いてくれるなら。
「有難う。・・有難うって梨乃に伝えてくれ。プレゼントを持って行くから。・・その、ママは許してくれそうなのか?」
俺は尋ねた。
「自分で聞けば?」
和巳は言った。

その一年後の11月、司法書士の試験があった。
試験が終わって、その足で指輪を買いに行った。
合格発表は年明けの1月だったが、そんなの待っていられなかった。
英子が婚活サイトを見ているという情報が入ったのだ。
子供達は全面的にバックアップをすると秘密裡に約束してくれた。
試験の結果はいずれにしろ、早くよりを戻したいと思っていた。英子が誰かを好きになる前に。誰かが英子を好きになる前に。


俺は英子に再度プロポーズをした。
英子は呆れた目で俺を見ていた。
「あまりのしつこさに呆れる」と言った。
俺は指輪を見せて言った。
「試験が終わったんだ。必死で勉強をしたんだ。指輪も買ったんだ。外食をやめて節約して買ったんだ。大変だったんだ。金が無くて」
俺は必死で言った。
「英子。俺を許してくれ。お願いだから、もう一度やり直すチャンスをくれ。一生のお願いだ」
 もう、これで最後だと思った。ここで断られたら・・・俺はもう・・・。
英子はじっと俺を見て「ふうっ」と息を吐いた。
そして指輪を手に取ってしみじみと眺め、ふふっと笑った。


その年のクリスマスが来る頃には俺は再婚をして家に戻ることが出来た。
念願の再婚を果たしたのだ。
元妻と。
その時に撮った写真がある。
照れた様に笑う俺と苦笑いをしている英子。



そしてその頃、すでに中国では最初のコロナ患者が出ていた。
その後、いくらもたたない内に全世界はコロナに席巻された。
昔、パニック映画で観たパンデミックそのものだった。

 













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