第19話  英子の場合  傘

文字数 1,426文字

私は女性の後を付いて行く。
水曜日はずっとそうしている。
だから、彼女の家も知っている。
もしも夫の他に男がいるとしたら、それも分かる。
だが、彼女だっていつもお利巧さんで直帰する訳では無いから、そんな時は時間が許す限り、後を付けてみる。友達と居酒屋なんかに入った場合はそこで帰って来る。
歩き易いパンプスを買った。ヒールが低めのやつ。
精々おしゃれをして歩く。おしゃれが日常になる様に。


 もう何度も後を付けているから、まるで彼女の事は友人の様に思える。ある意味、親しみさえ感じそうだ。
私と彼女は10メートル程離れて、雨が落ちて来そうな空の下を歩く。
彼女は電車に乗る。
私も同じ車両に乗る。スマホを見ながら時々観察する。
楚々とした美しい人だ。不倫なんかしそうにない。
さらりとした長い髪。ロングスカートが好きらしい。それもフレアーとかプリーツとか。
淡い色が好きだ。スマートだからそれも似合う。寒色系を着ているけれど、彼女には暖かい色が良いんじゃないかと思う。
華奢な上にちょっと儚げな感じが男心をそそるのかも知れない。私は逆立ちをしたってあんな風にはなれない。彼女と私は全く違う。
亮介は本当はあんな女が好みなのだろうか・・・。
今更、本当に今更だがそう思った。
なあんだ。そうだったのか・・・。だったらそういう女を選べば良かったのに・・・。
あーあ。・・・
ひとり黄昏れる。

しかし、どう考えたって亮介には勿体無い。
何で亮介みたいな中年男と付き合っているのか分からない。もっと似合いの若い男がいるだろうに。
私は彼女の心理を考える。
ちょっと話を聴いてみたい。

妻のいる男と寝るのはどんな感じですか?
ウチの夫はベッドの中でどんなことを囁きますか?
妻には飽きたとか?君の方が魅力的だとか?
そんなセリフですか?
それを聞いてあなたはどう思いますか?
時には彼の妻の事を考えますか?彼女の気持ちとか、家族の事を。

思った事はなんでもいいのでお話ください。私はあなたの言葉を否定することはありません。非難することも有りません。穏やかに傾聴しますから。それがルールです。だから怖がることはないのです。どうぞ本音を仰ってくださいね。

他の女と男を共有することについてどう思いますか?
・・・共有じゃないか。もうきっと私とはレスなんじゃないかと思っているか・・・。


あなたは私の夫を奪って結婚したいと思っているのですか?
亮介は私と別れてあなたと結婚するって言っているのですか?

駅を二つ過ぎる。
彼女の家は駅から10分程度。職場が近くて駅にも近い。
本当に便利だわと思う。全くの好立地。亮介なんて帰り道じゃん。何てお手軽なのかしら・・。

駅から出ると小雨が降っていた。
彼女は折り畳み傘を出す。
私も傘を広げる。
彼女が歩き出し、私も歩き出す。
前を行く彼女の傘袋が落ちた。
私はそれを拾う。
花柄の傘袋。

走って彼女に追い付く。
そして声を掛けた。
「あの・・・済みません」
彼女は怪訝な顔をして振り向く。
私は傘袋を手渡す。
「これ落ちましたけれど・・」
彼女は「あっ、済みません。有難う御座います」と言いてにっこりと笑った。
私は「いいえ」と言って微笑んだ。
真っ直ぐに彼女を見る。

一度すれ違う様に歩いて正面から見た事もある。だか、こんな風に目を合わせたのは初めてだ。当たり前だけれど。

彼女は会釈をして去って行った。
私は彼女とは違う方向に進む。そして立ち止まって花柄の傘が去って行く様子を見送る。
「お休みなさい。良い夢を」
そう呟くと駅に戻った。
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