第29話  亮介の場合  嘘ばっか

文字数 2,142文字

その日の帰りにエリと会って話をした。
彼女と会うのは久しぶりだった。
エリは今の会社との契約期間がそろそろ切れる。
次にどこへ行くかという事で派遣会社の担当との打ち合わせがちょこちょこ入っていたし、俺は俺でそれ程エリを求めなくなって来ていたから。そろそろ飽きてきたと言うか不倫に疲れて来たと言うか。

今日は話だけして帰ろうと思っていた。
俺は率直に言った。
「子供の様子が心配なんだ。ここの所、様子がちょっと変で。夜は早めに帰って傍に付いていてやりたいんだ。・・・だから、悪いけれど君とは暫く会えなくなるんだ」
エリは黙って俺を見た。

「亮ちゃんが付いていなくても奥さんがいるでしょう?」
エリは言った。
「うん。奥さんもいるけれど、俺も付いていてやりたいんだ」
俺は返した。
「それに俺はずっと女房に任せっきりだったから。子供も中学になって、女房の手に余る様になって来たんだ。もう母親だけじゃ駄目なんだと気が付いた。だからこれからは俺も付いてやろうと思っている。どうか分かって欲しい」
俺は深刻な顔で言った。
「大人しい子だから、もしかしたら学校で苛められているんじゃないかと思うと心配で・・・・」
暗い顔でため息を付く。
エリは言った。
「ああ・・。それは心配だよね。それは分かるけれど・・・」


エリは悲しそうな顔で俺を見て言った。
「ねえ?じゃあ、もう私達はこれで終わりなの?」
俺は苦しそうな顔をした。
「エリ。俺だって辛いんだ。でも今、子供に付いていてやらなかったら、俺はきっと一生後悔すると思う。分かって欲しい」
俺はエリの目を覗き込んで言った。
「じゃあ、落ち着いたらまた会える?」
エリはそう言った。
俺は心とは裏腹に、にっこりと笑って「勿論」と答えた。
答えた途端、くしゃみが出た。二回も。
「嫌だな・・。風邪をひいたかな」
ぼそぼそと呟いてエリを見る。


エリは目を落としてテーブルの上の紙ナプキンを指先で弄っていた。それを畳んでくるくると丸めたり、うんと小さく折りたたんだり。ずっとそれをしていた。
俺はその姿を見ていた。
少し、心が痛んだ。
エリは決心した様に言った。
「じゃあ、我慢する。亮ちゃんの為に。・・・ねえ。じゃあ、今日は私の部屋で一緒に過ごしてくれる?私も我慢するんだから、それ位聞いてくれてもいいよね?」
俺は怪訝な顔をした。
何でまた部屋・・?

でも、最後に一回ぐらいホテルに行ってもいいか。俺の中で声がする。
もう無いのだから、これで納めと言うことで。
エリの寂しそうな様子を見ただろう?
もう、抱けないんだぜ?
そいつは言った。
まだ、時間も早いし。飲み会と言ってきたから遅くなっても平気だし。
ちょっと憂さ晴らしをしてもいいんじゃないか?


俺は和巳の暗い顔を思い出した。
英子が俺の手を振り払った時の権幕を思い出した。
今日は話だけして帰る積りじゃ無かったのか?
やばいと思ったんじゃないか?
そんな事を考えながらエリの沈んだ表情を見る。


俺はエリに言った。
「今日は駄目なんだ。実を言うと、先日、子供の事で女房と喧嘩をしていて・・・女房が俺の事を疑っているんだ。だから今日は勘弁してくれ・・・だから、落ち着いたら俺から連絡を入れるよ」
エリは明らかに不満な顔をした。
むっつりと黙って俺を見ていた。
俺も視線を逸らせないでエリを見詰めた。
ここで目を逸らせたら、後を引くと感じた。

「久しぶりに楽しめると思って来たのに。頭に来る」
「御免。本当に済まない。・・・だから落ち着いたら必ず連絡するから」
俺はその場限りの嘘を付く。
エリは文句を言い出した。
俺はそれを傾聴する。

傾聴。
文字通り、体を傾けて全身で聞いていますよというオーラを出しながら、静かに聞く。
エリの言う事に反論はせずに、悲しそうな目をしてエリを見る。

頷くだけの俺を相手に言いたい事を言い終えたエリは次第に落ち着いて来た。
「必ず連絡するよ」
俺はエリの手を握ってまた繰り返した。
「・・・うん。じゃあ待っているね。・・・亮ちゃん。田舎の法事に行くのは月末の土曜日だったよね?」
エリは言った。

俺は家族と沖縄に行く事はエリには言わなかった。法事で嫁の実家に行って数日泊まって来ると言ってある。
「そうだよ。7月23日の土曜日から5日間」
俺は答えた。
「法事なのに随分長いわね」
「法事の後、向こうの親戚と一緒に旅行に行くんだ」
「そっか・・・」
エリは何かを考えている。

これで布石は置いた。
後はうんと間を開けて、それで連絡を入れる。
エリが待ちくたびれてもう他の男と付き合い出す位、間を開ける。

俺は心とは裏腹に済まなそうな顔を作って言った。
「悪かったね。今日は。次回は必ず行くから」
「まったくだわ。・・・男って本当に情けないわね。奥さんにばれそうになるとすごくビビッちゃって。もうがっかりしちゃう」
エリはそう言って俺を睨んだ。
その言葉で彼女の嘘つき度がよりレベルアップした。
「不倫なんて初めてだからドキドキしちゃう」
付き合い始めにそう言っていたけれど、そんなの付き合い出したら嘘だってすぐに分かる。今更な話だけれど。それに俺だって同じ様な事をエリに言っていたし。

「だから、次回は必ず行くから」
俺は繰り返し過ぎて、うんざりして来た言葉をまた言った。
そして可哀想だけれど、次回は「さようなら」をいう時だなと思った。


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