第49話 罠(3)

文字数 1,214文字



「トウマ……まさか!」

 エウカリスは容赦なく続けた。「ここからが本番よね。そうして恋人が出来たことを、同級生にそれとなく(・・・・・)見せつけたんだわ。すごいやり方。純情な女の子の心がボロボロになって自滅していくのを、あなたは笑って見ていられるものね。さらに新しい恋人とちょっとした甘い時間を楽しむことで、恋の色彩についてもバッチリ学べるじゃない。感心させられるわ。後輩にしておくにはもったいないぐらいの策士ね!」

 エウカリスの熱のこもった拍手が、言葉を失ったケイカとトウマの間に、黒い祝福の光を投げかけた。

 ケイカの指が震えていた。息ができなくなるほど、混乱していた。ただでさえ慰めてもらいにここに来たというのに、エウカリスにあらぬ事実を発表され、奸雄のように悪事を名誉として称賛されている! すぐさまこの辛辣な先輩を「嘘つき!」と罵って、怒りのままに殴りかかることもできたかもしれない。けれどケイカには拳を握る力どころか、エウカリスを睨む余裕すらなかった。

 恐ろしいことに、ケイカの眼の前でトウマの心が、暗い影の中に落ち込んでいくではないか! 温かい日差しを投げかけてくれたこの場所が闇に包まれ、柔らかい地面が深いクレバスになって、若者を暗い絶望の底に引きずり込もうとしていた。とにかくケイカは沈みゆくトウマを助けたくて、必死に言葉の手を差し述べた。

「何を言っているのか分からないの! 本当よ、トウマ……お願い! 私の話を聞いて!」ケイカは走ってトウマの前に立ち、両肩をつかんで愛する者の顔を覗き込んだ。

 けれど白面の少女は、もはや自分の意志ではケイカの言葉を受け入れられなかった。彼女の細身の体が、風もないのに大きく揺れて、ぐらりと傾く。

 ケイカは必死になって、トウマを支えた。自分さえ崩折れそうで、もうこれ以上、何も支えられないというのに。

 力ないトウマの手から一冊のファイルが滑り落ちて、挟んであった紙が芝生の上にばっと広がった。それはかつてこの少女が弾くことを夢見ていた、古い色譜の束だった。

「いや! トウマ! トウマ!」

 ケイカが悲痛な叫び声を上げてトウマの体に抱きついた。それにも反応せず、トウマはただひざまずいて、天を仰いでいた。あふれるケイカの涙がトウマの上着に吸い込まれ、いくつも染みを作っていった。

 この悲劇の演出家となったエウカリスは、唇に指を当てて、この結末と評価について考えていた。

「先輩の務めとしては、これで十分かしら。まあ、ちょっとやりすぎたかもしれない。下手したら恋を通り越して、失恋まで予習させちゃったから」

 エウカリスは折り重なってひとつの影となっている二人を取り残し、その場から歩き去っていく。

 彼女が最後にささやいた言葉が、立ち並ぶ木々と風に消されて、失意の二人に聞こえなかったのは、不幸中の幸いだったかもしれない。

「よかった。ユミが私の恋人だったことまでは、言わなくても済んだわ」


(罠  おわり)
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