第11話 老人2(2)

文字数 1,513文字



「今日は調子がよさそうだね」

 低い声が窓の外から聞こえてきた。もう聞き慣れたので驚きはしない。むしろケイカが待っていたお腹に優しく響く音だ。色に例えれば、大地の匂いがする暖かな土の色といった所。

 ケイカは指を動かしながら、声の主に向かって答えた。「この曲は違うの。課題のじゃなくて、普通の流行りのもの。でも私が好きな曲のひとつ」

「そうだろうと思っていたよ」老人は窓の外にいるのだが、姿を見せなかった。しゃがんで、土いじりをしている最中だからだ。低い場所から声だけが聞こえてくる。「私はあまり新しいもの(・・・・・)に詳しくはないのだけれど、そいつは楽しそうに聞こえる。君の腕前のせいかもしれないけれど、感情が素直に出ている気がするね」

「でしょう」自分と曲の両方を褒められ、ケイカは嬉しくなって微笑んだ。今日は指の調子も色の出もいい。いつまでもこうして弾けていたらと思った。

「その曲を楽師とやらに、聞かせてあげることは出来ないのかい?」

「そんなの、絶っ対に無理!」ケイカは後半のアクセントを強くして断言した。「こうして弾いているのが見つかっただけでも叱られるわ」

「そうかかね」老人は残念そうだ。「君の学ぶ『シキラク』とやらはとにかく厳しいんだなあ……私はもっと、こう……何といったらいいだろう。私自身、柔らかく生きてきたせいで、ルールに縛られのが嫌いでね」

「ふふ、変わってる!」

「おかしいかね」

「だって普通は、おじいさんみたいな年配の人の方が、頑固でルールに厳しいのよ。先生みたいにね」

「まあ規律は必要だと思うよ。それは認めるが、けれどそこまで厳しくされて楽しいのかね?」

「ん……楽しいわ……でも半分ぐらい楽しくない時もある。でも厳しいのは聞かされてきて知ってたし、もともと好きなことだし」

「シキラクというのは」剪定鋏のパチンという音がした。「私にはとうてい見えないけれど、色を大切にするという話だったね」

「そう」

「前に教えてもらった。(えが)いているシキというのは、君の音が生んだ君の心そのものなんだろう? 果たして半分だけ楽しくて、良い色が出るものだろうか」

「……」

「私にしてみたら、どうせなら全て楽しい方が、良いものが生まれるんじゃないかと思ってしまうんだけれどなあ」

「言いたいことはわかるけど、そんなに上手くはいかないわ」

「駄目かね」

「駄目っていうか……決められたように弾くのが音楽で、定められた色を出すのが色楽だもん。自由に何でもやれたら、それは違うものになってしまう」

「まあ、理屈はそうなるね」

「特に天子様に献上する曲は、極端にそうでなくては駄目。少しのゆらぎも許されないの」ケイカの指が止まった。「いまの私みたいな、不安定な気持ちでいることが、一番の敵だって先生は言ってる」

「ふむ……困ったね」老人は土いじりを終え、ひょっこりと窓から顔を出した。同じ姿勢で固くなった腿や腰を、握りこぶしで叩いてほぐしていく。「楽しい曲が弾きたいけれど、それは禁じられている。だから半分だけ楽しい曲を選ばなきゃならないけれど、それがまた君を憂鬱にさせる」

「もう! 変な事を言って、おじいさんは私を困らせたいんでしょ? こっちだって悩んでいるんだから……」

「そんなことはないよ。私は君が自由にやって欲しいだけなんだ。私の花たちだって、一色だけを植えるよりも、いろんな色を組み合わせた時の方が美しく輝いて見えるものだから」

「色楽が花だったら、良いんだけどなあ」ケイカは深い意味はなく言い、外の遠くの方を見つめた。

 少女が何の気なしに漏らした言葉に反応して、老人は黒い瞳でじっとケイカを見つめていた。その何か思惑のこもった視線に、ケイカは全く気づいていない。

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