第25話 歌い手2(4)

文字数 1,269文字


 トウマに袖をつかまれ、ケイカはまだ口も閉じないうちに、商店街の真ん中に引っ張り出された。

 時間帯がちょうどはまったのか、通りには結構な人数が歩いていた。サラリーマン、主婦、家族連れ、老人など、確認できるだけでも様々な人種がいた。

「ちょうどいい頃だ、ケイカ!」

「ちょっと、な、名前を呼ばないでよ!」マスクの下でケイカの顔が赤くなった。こんな事をしているなんて、学校どころか色楽の仲間にだってバレたくない。

 ケイカは折り畳みの簡易スタンドを広げ、両手で抱えたキーボードをその上に載せて固定した。

 こんなこと相当、注目されるよね……ケイカは意識しなくてもそう考えてしまう。

 準備をしている最中にも、何人かの歩行者の足が遅くなる。ケイカの背中越しに、女子高生らしき二人組がひそひそ話を始めるのが聞こえてきた。

 準備が終わり、トウマの方を振り返る。少年は誰かを待っている通行人という感じで電柱に背をもたげ、雑踏に溶け込んでいた。ケイカばかり目立って損している気分になる。

 それでもケイカは覚悟を決めた。腹式の呼吸を二度、三度繰り返し、足で軽くきっかけのリズムを刻む。指が形を作り、ケイカは最初の曲を演奏し始めた。

 屋外で弾いてきた曲はすべてトウマが作ったもので、今回もそうだった。最初の曲は観客の気を惹くきっかけになるように、早く複雑な出だしでスタートした。ケイカのしなやかな指の動きが、踊るような音を形作る。軽快なメロディが最大ボリュームに設定したスピーカーから通りに沿って鳴り響いた。

 トウマには作曲に関する才能がある。ケイカは曲を弾きながら、あらためてそう思わされた。それは最初に譜面を見た時から思った、素直な感想だった。トウマがますます高飛車になりそうなので言わないが――ケイカは彼の曲が好きだった。どこかの批評家が喜ぶような組み立て方ではない。ただ厳しい練習の小休止に、自分を癒やすために楽しんで弾くような、ほっとさせる要素をそこかしこに感じるのだ。

 そんな気持ちが曲に乗っていたのか、人々が何事かと足を止めだした。子供が親の手を振り払い、ケイカの前に座りだした。マウンテンバイクに乗っていた若者は、わざわざ自転車を降り押して歩いてくる。ひとりまた一人と、ケイカに注目する人数が増えていく。最初のメロディが終盤に近づいてくる頃には、その人だかりは二十人を越えようとしていた。

 正直まだ少し気恥ずかしい気分はある。けれど私はやはり演奏することが好きなんだと、ケイカは悟った。こうして大人から子供まで、自分の音に耳を傾けてくれているという事実が、ケイカを幸せにさせる。少女はこの臨時の演奏会の雰囲気を、だんだんと楽しめるようになってきていた。

「いいぞ!」トウマが興奮を隠せずに叫んだ。まだ始めて数分なのに、これまでの中で最大の集客人数になっている。危険を犯して商店街に来て良かったとトウマは確信した。

 前奏が一巡し、トウマの歌う箇所にきた。歌い手は勢いよく観客の前に飛び出した。

 人々が驚いて、若者に注目する。トウマが口を開いて歌い始めた。

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