第4話 鈍い痛み(4)

文字数 1,992文字

 このクラスに集められた者は全員、その心に「共感覚」を宿していた。

 解りやすく言い換えると、彼女たちは世に大量に存在する『音』の中に色を見ることができる、珍しい人間だった。その力は決して一般的ではなく、全生徒の人数とこのクラスのそれを比較してみれば、数が極端に少ない事がわかる。

 水滴が跳ねる音は水色、川のせせらぎは青、そして風が木の葉を揺らす音は緑……彼女たちは世に溢れる音を聞く時、小さなふたつの瞳の中で様々な色を映し出していた。

 この能力を使った(さい)たる芸術が『色楽』だった。

 音楽とは音の洪水、さまざまな音色がひとつの曲を作り出す芸術だ。色楽はそれに色の概念が加わる。奏でた音が色を生み、さらにひとつの色が別の色と重なり新しい世界を生み出す――聞くという音楽の世界に、彩色という新たな要素が入り込んだのが色楽だ。色楽は音楽とは姉妹でありながら、独特で別次元の芸術性を生み出していた。

 この芸術があまりにも特殊で、稀有である理由は、ただひとつ。それがほとんどの人間には『見えない』からだ。

 美しい音を紡ぎ出せる女性の奏者がいたとしよう。その者は音楽の世界では高い評価を得られるだろう。けれど色楽にはなれない。なぜなら、かの者の心に共感覚が無いからだ。もしかしたら彼女は、自分が奏でた音で色を作り出せているのかもしれない。けれど残念な事に本人には描かれた世界が見えていないのだ。

 色楽は共感覚の持ち主たちだけに伝えられ、その狭い世界の中で生き延びてきた。けれど廃れることも滅びることもなかった。その理由は、この芸術にはもうひとつ別の用途があるからだ。

 それは聖なる供物としての側面だった。

 この世には特別に強い共感覚の力を持つ者たちがいた。それが天無と呼ばれる位にある古い皇族たちのグループだ。その中で天子は、この国で最も高い頂きに立つ、象徴としての唯一無二の存在だった。

 彼らを対象に行われる国の祭典として『シキ』と呼ばれる舞踊がある。その中で天子に貢がれるのが色楽であり、それを奏でるための楽隊が代々宮中に仕えていた。

 この学園で将来の色楽隊の候補として選ばれた少女たちは、この極限の芸術を昇華させる為、一般の授業とはまた別の特別なクラスに在籍していた。

 優れた共感覚者とはいえ、まだ幼く未熟な精神の子供たちでもある。彼女たちは色が見えていても、楽器――色楽では『うつわ』とも呼ばれる――を自在に操ることはできなかった。器は確かな音、ひいては美しい色を生み出す為の、触媒の役目を持っている。つまり、聴くものに確かな色を想起させる為には、卓越した楽器の演者である必要があるのだ。


 どんなに達人の奏者(そうしゃ)でも、楽器の音を媒介しなければ、色楽が人の目に色を見せつける事など不可能だ。だから我々は日頃から必死の思いで、自らが選んだ(うつわ)を手に、音と色の関連を学び続けるのだ。

 だったら、これは何なのだろう。エウカリスの心が焦りに似た苛立ちに襲われる。無手のケイカの周りに見える色の渦は、あきらかにエウカリスの知識を超えた現象に思えた。

 共感覚(きょうかんかく)の暴走? そんな週刊誌の広告のような言葉が、エウカリスの脳裏をよぎった。

 いつも自信を持つ者ほど、理解できないものには脅威や不安を覚える。エウカリスは自分がなぜこんな追い詰められた気分でいるのか、説明ができなかった。

 けれど年上のこの少女は、心を立て直す(すべ)に長けていた。

 まあいいわと、エウカリスは肩の力を抜いた。何も真剣に考える必要など無い。私自身にも不安定な時期があって感覚をコントロールできない事がある。相手の未知の能力などではなく、()の問題。こんなものは、己の未熟さが見せるただの錯覚のひとつに過ぎない。エウカリスはそう言い聞かせた。

「まあせいぜい頑張りなさい。そうそう、今回の課題は『恋』よね。楽師先生も意地が悪い。どうみても経験がない子供たちに、そんなテーマを出すなんて……」

 エウカリスは掌を教室の天井に向け、理解できないという素振りを見せた。そして来たときと同じ遠回りをして、そのまま教室を出る扉へと向かっていった。


 暴風雨が去った。サンジャオは先輩の後ろ姿を見やりながら、自分と周囲に受けた被害に気持ちが付いていかず、しばらく放心状態で立っていた。

 窓から入ってくる雨まじりの風に自分の三つ編みの房が揺れて、初めて我に返った。指が、ケイカを止めようとして開いた形のままで固定されていた。サンジャオはそれを、反対の指で一本ずつゆっくりと引き戻していった。

 ようやく喉に力が戻ってきて、喋ることが出来るようになった。「あ……えっと、驚いちゃった! 何だかいろいろ突然すぎてさ……ねえ、ケーカ?」

 振り向いたサンジャオの目に映ったのは、青い顔で床に崩れ落ちるケイカの姿と、少女が床に膝をついた時の赤黒い衝突の色だった。


(鈍い痛み  おわり)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み