第26話 歌い手2(5) 

文字数 1,557文字

 ケイカはその歌声に、青を見た。どこかの写真で見た白壁が眩しい海外の港町、そこに広がるどこまでも澄んだ空の色にそっくりだった。トウマの気持ちが高ぶっているせいで、色にムラはあるけれど、濃い部分は美しい純色を保っていた。

 人というのは声だけでこれだけの色を出せるのかと、ケイカは感動した。それにトウマの才能にも驚かさる。色が見えていないのが信じられなかった。性別はどうあれ、彼が共感覚の力を持ってこの世に生を受け、楽器を手にしていたら、私なんて全然敵わなかったかもしれない。

 ただひとつだけケイカには感じたことがある。それは一筋の冷たさだった。歌声の中に何か空虚さとか、埋められない悲しさが出ている気がする。それがケイカを寂しい気持ちにさせていた。トウマと会話している時にもうっすら感じていたのだが、彼の人間や人生に対して一歩退いて望む態度の裏側にある、どこか寂しげな心をその歌から感じるのだ。

 ただしこんな商店街という場所で、トウマの声にそんな印象を受けているのは、感応性が異常に鋭いケイカひとりだけだった。

 しかも世間の人々は、まったく異なるレベルで残酷だった。

 曲に歌が挿入されたと知った瞬間、人々の反応が一変した。まず主婦たちが買い物袋を持ち直し、ぐずる子供の手をつかんで強引に連れ去った。サラリーマンは外していたイアホンを付け直して歩いていく。徐々に人だかりがただの混雑になって、やがて元の雑踏に戻ってしまった。

 気持ちが入りすぎていたせいで、トウマは最初、観客の態度の変化も徐々に減っていく人影にも気づかなかった。歌の最後の一節が終わって正面を向いた時に初めて、異変に気づいた。

 気持ちが高ぶる以上に、抜けていく時間は早かった。トウマがぴくりとも動かなくなった。彼が曲のパートに入っても口を閉じていたままだったので、ケイカの演奏もだんだんと音が細っていった。やがてすべての音が止まった。

 何もなかったかのように、通りはいつもの雑踏の流れと音に戻っていた。

「あ、あの……」ケイカは言いよどんだ。実はこういう事は一度目ではないのだ。ケイカが回り込んできて、トウマの顔を顔を覗き込む。「毎回言うけれど……」

「ありがとう、毎回(・・)慰めてくれて」返された皮肉は辛辣だった。そして皮肉がきつい程、本人には惨めに聞こえてくる。「君が集めてくれた観客を僕の歌で帰してしまったみたいだ」

「トウマの歌だから、じゃないわ」ケイカはすっかり日常に戻った通りを見渡した。「人が歌に対して、こんなに冷たいだなんて……」

「みな天子様の気分になりたいのさ。歌なんて余計だし聞きたくない。聞きたいのは音楽なんだ」

「……ごめん」

「どうして君が謝るんだい?」

「わからないけど……何となく、落ち込んでいるみたいだから」

「気にするな。僕は歌いたくてそうしてるんだから。さあ、もう行こうか」

 トウマは無表情ですたすたと歩き、キーボードとスタンドをケースにしまい始めた。ジッパーを閉め、自分の荷物と一緒に肩に背負い込む。

 無言で商店街を去ろうとする彼に、ケイカはどう声をかけていいか、迷っていた。

「帰るの?」

「ああ、僕は病院(いえ)に。君は……どこへでも好きな所へ帰っていいよ。どうせ今週はもう君を誘うことはない」

 振り向かないまま、持ち上げた片手だけで挨拶して去ろうとしたトウマだったが、不意に立ち止まり、肩越しにつぶやいた。「そうそう、さっき色のない世界がどう見えるか知りたいって、言ってたよね」

 ケイカは相手に見えていないと思いつつ、首を縦に振った。

「無理だね」トウマは無慈悲に言い放った。「ただでさえ他人なのに、君は生まれてから今まで、いちども寄り道も挫折もしたことがない色楽者だ。色がない世界を説明したって、理解できるわけがない」


(歌い手2  おわり)
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