第22話 歌い手2(1)

文字数 1,625文字



 ケイカが聞き出した最初のひとつは、この若者の名前だった。彼は名をトウマといった。

「僕はあまり自分の事を語るのは得意じゃないんだ」

 トウマはダイニングルームのテーブルに寄りかかって立っていた。矢継ぎ早に繰り出されるケイカの質問を笑顔でかわそうとする。少女はしつこく食い下がった。ここまで歩かされて、手ぶらで帰る気はさらさら無い。

 それでも会話上手なトウマから苦労して聞き出せたのは、わずかな情報だった。もっとも尋ねるだけでも苦労したので、どこまでが本当かなんて、解りもしなかったが。

 彼はまず「自分はこの近くにある総合病院の患者だ」と言った。精神を患っていて長い間そこに入院している。外出許可が出ている日だけ、この老人ホームに立ち寄るのだという。

 園を訪れた最初のきっかけは思い出せない。散歩のついでだったかもしれない。トウマはボランティア気分で老人の話し相手になったり、彼の歌を聴かせていたのだけれど、やがて彼女たちが本当に望んでいるのが、音だけではなくそこから映し出される色だという事を知った。

「そういうのは色楽さんがやることでしょう? 僕はただの歌い手だからね。楽器の弾き語りも出来ないし、見えないキャンバスに色を塗ることも出来ない」トウマはどうしようも無いという風に、降参のポーズを取った。「そこにふらっと、あのじいさまが現れたのさ。近くにある色楽の卵たちがいる学校で、悩みを抱えている女の子がいるってね。その子は将来有望な演奏家(ピアニスト)だけれど、何だか今は『課題』とやらに苦しんでいるらしい。だから相談にのってあげて欲しいと言われたんだ」

「ち、ちょっと。『あげて欲しい』って言い方はひどくない? 私はただ、おじいさんに来てくれって言われただけで」興奮してケイカの声が大きくなった。普段はこんな事で怒らないのだが、いちいち角の立つトウマの言い方――色楽者を一介の演奏家と言ってみたり――にケイカはやたら苛立っていた。最初はもっと優しい人だと思っていたのに。

「落ち着いてよ、色楽さん」誰も注目していないのだが、トウマはわざとらしく周囲を気にするように声を潜めて、少女をなだめにかかる。「さっきも言ったけれど、君はここに来てメリットがあっただろう? 演奏を聞いてもらって、無料(タダ)でアドバイスまでもらえて――ところで課題っていったい何のことだい?」

 トウマがいきなり話題を変えてきた。

 ケイカは会話の流れに乗り、つい課題の内容を説明しようとした。はっとして歯が鳴るぐらい思いっきり口を閉じて躊躇した。危なくのせられて喋る所だった。この色白の男の子の前で『恋を経験したことがない』だなんて、死んでも言える訳がない!

「ちぇ、まあいいや」ケイカが口を固く閉ざしてしまったので、トウマは失敗を悟った。「ともかく君の課題の事は、あそこにたくさんいる、婆さまの誰かに相談しなよ。それでこの話は終わり。でもね、まだ残っているものがあるんだよ」

「残っているもの?」ケイカは首をかしげた。

「僕に対する報酬だよ! はっ、あきれたね! 君と婆さまを仲介する役目だけをしたら、もう不要でポイって訳かい? 僕に対して何も礼をしていないって事ぐらい、気がついているだろう?」

「ちょっと待ってよ。どうして私があなたにお礼をするの? きっかけをくれた、おじいさんにならともかく。第一、私はここに来て初めてトウマに会ったのよ? あっ!」

 つい相手を呼び捨ててしまってうろたえるケイカを見て、トウマがニヤニヤしている。この人、本当に性格悪いかも! ケイカは鼻に皺を寄せた。「もういいわ! トウマ、あなたが何かをしてくれる所なんて、見てないんだから!」

「これだよ……当人なのに気づかないんて! あのさ、色楽の人たちは年齢を問わず男性に免疫が無いってこと、君なら良く知っているだろう? じいさんとばあさん、二人のご老人の間に入って話を繋げたのは、この僕なんだ! なんたって僕は……いや、何でもない」
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