第12話 老人2(3)
文字数 1,285文字
「……私の知り合いに、相談してみる気はないかね」
「知り合い?」前置きなしに出た話に、ケイカはうまく反応出来ていなかった。
「うん。その人はね……『歌い手』なんだ」
老人がおずおずと伝えた事実を聞いても、ケイカには最初意味が理解できなかった。けれどそのフレーズはなぜか、ケイカの心の一部に引っかかっていた。鼓膜に残る振動の記憶が耳の奥でその言葉を繰り返している。知り合い……相談……歌い手……歌い手……。
「歌い手!?」ケイカは驚いて大声を出してしまった。それが恥ずべき言葉だったかのように、すぐに口をつぐむ。「な、何を言ってるの? おじいさん、正気なの?」
「ありゃ、駄目かね?」不思議そうに、残念そうに、老人は聞き返した。
「あたりまえじゃない! 色楽を
少女はきょとんとする老人を非難の目で見た。けれどこれは仕方がなかった。ケイカは老人に色楽のすべてを説明したわけでは無かったのだから。
ケイカたちが届ける色楽は曲と色だけの芸術で、そこに歌は存在しない。老楽師の言葉を借りれば「言葉など音と色を邪魔するだけの雑音」でしかないのだ。この考え方は楽師だけが唱えているのではなく、色楽の世界では絶対だった。
この世にどれだけの曲があるのかケイカは知らないし、その中には歌詞のある曲も存在するだろう。けれど色楽者の候補に選ばれた時、極端に言えば共感覚を持つ人生を背負った時から、ケイカたち少女は『歌』を捨て去っていたのだ。
ケイカの態度に老人はショックを受けたようだった。「すまなかった。そんなに怒るなんて。同じ音楽をする者同士なので、何か刺激があるかと思っただけなんだよ」
「いえ、私こそ……ごめんなさい」ケイカは相手の悲壮な顔を見て、言い過ぎを悟った。老人を傷つける気はなかったのだ。「先生の心が乗り移っちゃったみたい」
「その人はね、君の音に興味があるようなんだ。もし出来るのであれば、その君の演奏を聴かせることも
断る理由を考えようとして、ケイカは黙ってしまった。私が色楽として存在しているように、歌い手が世にある事を少女は知っていた。彼ら/彼女らは、器の代わりに自身の体の一部――声を用いて音を作る。ケイカも思わず口ずさんだりする事はあるのだけれど(はしたないと叱られるが)、歌い手の声はそのレベルではないという。私たち色楽と彼らとの触れ合いがなぜ、こうまで神経質に禁じられるのか、ケイカも疑問に思ったことがあった。けれどそれは誰も問えない色楽の中の不文律だった。
ケイカはこれ以上、この花を愛する老人に、ショックを与えたくなかった。「……わかりました。少しだけなら」
「おお! ありがとう! 友人を友人に紹介することが、年寄りの私にとっては最高の道楽でね。すぐにでもその人を呼ぶとしよう。いやいや、今日はとても良い話がまとまった!」
老人は蓄えた白髭の上に、今日一番の笑みを浮かべた。彼は持ってきていた青いバケツにすべての園芸道具を詰め込むと、長靴をバタバタと鳴らして校舎の奥へと歩み去った。