第59話 ケイカの歌(1)
文字数 886文字
弾いていた曲の最後の一節を終えたケイカが、ピアノの白鍵から静かに指を離した。
「今日はこれぐらいにしましょう」
遮音された部屋に響く音の余韻が消えるまで待ってから、ケイカは横に座っていた少女に向き直って言った。
「後半はだいぶ落ち着いて歌えていたと思います。あなたはどう感じましたか、レイナ?」
「とても良かったです!」レイナと呼ばれた少女は、手を握りしめ、恍惚とした表情と溜息で答えた。「先生の曲と私の歌……一体感が凄くて、心が舞い昇ったみたいでした。こんな気持ち、色楽を目指していた頃でさえ無かったかも知れません!」
「それは何より」ケイカは鍵盤のカバーを閉めながら淡々と言った。
最初に出会った頃のレイナの、あの暗く落ち込んだ雰囲気からは、信じられないぐらいの回復ぶりだ。表面上は冷静を装ってはいたが、自然とケイカの心は暖かくなった。
「石野先生、私……歌うのが楽しいです。本当にありがとうございました」レイナが涙をにじませて言った。
「思ったとおり、あなたはもともと歌に向いていた子だったの。だから、私はあなたに『ひとつ新しい色を教えた』だけよ」ケイカはそう伝えた後、くすぐったそうに笑った。「ちょっと先生っぽく格好いいこと言ってみたけれど、やっぱり駄目! どうしても照れくさくて……レイナの、その『石野先生』っていう言い方がね。せめて『ケイカさん』ぐらいにしてくれない?」
「だって年上だし、私のトレイトマだし……」
「楽師じゃないのよ。私はただの大学生! でもそう呼んでもらえて本当は嬉しいの。勘違いかもしれないけれど、あなたに尊敬してもらえていると思えるから」
「そんな! 私先生を尊敬しているわ! 曲も素敵で、歌も素敵だし……それに先生、綺麗だし……」レイナの頬が熱を帯びて赤く染まる。そして震える手をケイカの掌に重ねようとし――
「こら、ガキンチョ! そんな真似はまだ十年早いよ!」ケイカは笑いながら、レイナのおでこを軽くつついて押し戻した。「残念だけど、私にはちゃんと恋人がいるんだから。ねえ、あなたのその気持ち、歌に込めてみなさい。きっと素敵な歌い手に成長できるから」