第29話 ほころび(3)
文字数 1,406文字
滅多に人が来ず、締め切られていた地下室の中に入ると、ケイカはどこかカビ臭さを感じた。
これだけのたくさんの棚があり、それぞれに貴重な紙資料が保管されているのだから、相応の除湿設備は動いているはずだった。
ケイカには機械のことなど知るよしもない。ただ目の前の暗さだったり、空気がずっと動いていない独特の雰囲気を感じていると、頭が変な臭いを作り出してしまう。
「もう一度言うからね。おばあさんが現役の色楽だったのが三十歳ぐらいまでだから、五十年以上前の楽譜で、天子様に献上された歌。その題名に春が入っているものだよ。まずは楽譜の棚から探そう」
ケイカは自分にも言い聞かせるつもりで、しつこく二度目の説明をサンジャオにした。
蛍光灯のスイッチを探し出して点けると、二人は保管室を奥へと進み始めた。
実をいうと、ケイカは一度ここへきた事があるので、楽譜棚の場所までは順調にたどり着いた。
さらにその付近から、一段と立派な木製の棚の一群を探し当てた。横板に天子の紋が掘られている。目指す譜面が置いてあるとしたら、ここに間違いなかった。
「じゃあここからは、手分けして探そう。ジャオはあっち、私はこっち」
何か目印があるわけではないので、楽譜に押されていた印の日付を頼りに、その前後を探していくしか良い方法はなかった。
そもそも曲名が正しいかどうかすら分からないのだ。見たことのない漢字や古めかしい筆の書体を見ていると、少女たちの気はますます遠くなった。
さらに地下室にいて、明るさが変わらないせいか、時間の概念がわからなくなってきた。
終わりの見えない作業を与えられ、まだ幼い子供たちにどれだけの熱意が保てるのか。
「ふぅ……手が痛い……目も埃のせいか、おかしくて。ごめん、ケイカ。ちょっと……」サンジャオが先に、ギブアップの宣言をした。
「いいよ、休んでて。そっちの分もあとで私が見るから」
ケイカの方の熱意はまだ消えていなかった。地面に這うように座り、下の方の棚を懸命に引っ張っていた。
「ジャオ。見て、この古い楽譜たち。わたし、感違いしてたけど、こんな時代だもん。コピーなんて出来ないよね。全部手書きで写してある。しかもこの色譜……」ケイカは紙を持ち上げ、一番上の紙を蛍光灯の明かりに透かしてみた。「昔は透明の紙なんて無かったんだわ。ものすごい薄く刷った半紙を重ねて使ってるの。これを楽譜に重ねて、半透明の色譜として使ってたんだ。昔の人って、本当にすごい……」
目を輝かせ、ケイカは楽譜に虜になっている。
床に座って楽譜棚によりかかりながら、サンジャオは遠い目でそんな友人を見つめていた。「ケーカってすごいよね。いちど決めたら夢中になって突き進むんだもん。それで気づいたら何でも一番になっちゃう。それでも周りには自分の事を自慢したり、絶対にしないもんね」
ケイカは次の楽譜を調べていて、何かに気づいたようだった。目が黒い文字と記号を懸命に追っていた。それで、サンジャオの言葉がきちんと耳に入っていなかった。「んー、サンジャオ。何か言った?」
サンジャオは構わず語り続けた。「生まれて持った力のおかげって言う人がいるけど、私はそうは思わない。だってケーカ、すごい頑張っているし、ケイカのこと一番見てるの、私だもん」話しながら、サンジャオの目が少し潤んできた。「わたし、あなたの事、本当に尊敬してる。尊敬して、尊敬しすぎて……」