第20話 歌い手1(7)

文字数 1,901文字



 ケイカは納得した。彼の言うとおりだ。言葉にしてみて初めて、違和感の答えが明確になった。ここにはひとりも『おじいさん』がいなかったのだ。老人たちは全員女性だった。

 そしてケイカが最初に披露したピアノの反応については、説明するまでもない。色楽の厳しい目からすれば、私の色も気も抜けた演奏に感動など覚えるはずがないのだ。

 ケイカは恥ずかしさに顔を赤らめた。男の子にヒントをもらえなければ、気づかないままだった。そうして思い込みの酷さを悔いた。年老いているからという理由で、自分はこの人たちを見下していたのかもしれない。

 若者はケイカの神妙な様子を見て溜息を漏らし、少し飽きてしまったような表情になった。

「ねえ、お嬢さん。そんなに落ち込む必要はないと思うよ。それよりも、僕だったら今すぐにでも園長のもとに行って、頭を下げて頼みこむけれどなあ。『毎日ここに来て、私の演奏を先輩たちに聞いてもらいたいんです!』ってね。それって、君が悩んでいる課題とやらの、助けになる気がするんだけれど」

 若者は踵を返し、まだ興奮している老人たちに大きな声で尋ねた。「ねえ皆さん。いま聞いたこの子の演奏は最高だったと思うんだけど、更に良くなるアイディアって、何かあると思いますか?」

 紫色のパーマをかけた老婆が、真っ先に口を開いた。「あたしの全盛期の指使いは、こんなもんじゃなかったね。まだまだ伸びる余地はあるよ」

 その隣にいた、アダルトな色の口紅を塗ったおばあさんは、もっと辛辣だ。「色は瑞々しくていいんだけれど、元気過ぎるっていうかね。もう少し落ち着いた方が曲に合う時だってある。その色合いの出し方についちゃあ、このオババに敵うやつはいなかったね」

 それを皮切りに、老婆たちは競争するように口々に意見を言い合い、ダイニングルームは一気に活性化し始めた。

「あ……あ……」ケイカはその反応から嬉しさがこみ上げ、思わず涙声になった。

 気軽にアドバイスを貰える目上の存在がいない事に、ケイカは普段から悩んでいた。クラスの生徒は残念ながら、先輩ですらケイカの演奏に意見を挟む事はできなかった。ケイカがその点(・・・)では認める存在のエウカリスに至っては、ケイカに改善の意見を言うはずがない。本来はその役目にあるのは楽師なのだが、彼女の指導は独特で、ただ抽象的に駄目としか言ってくれないのだ。

 ケイカに信じる神がいるのであれば、彼女は天を仰いでお礼を言いたい気持ちになった。こんな立派な人たちが、私の指や色を見て、意見を述べてくれるなんて、と。

「別にそれで負い目を感じる必要はないと思うよ。あの高齢者達はとにかく曲や色に飢えていてね!」男の子はふざけて年老いた獣のような格好をしてみせた。

 ケイカは思わず笑ったが、すぐにしまったと口を覆った。

「彼女たちも君の……ケイカの演奏から、若い元気をもらえると思うんだ。これって、お互いにとって悪いことはないよね」若者はいたずらっぽく言った。

 ケイカは自分よりも少し背の高い彼の笑う姿を、不思議な目で見つめていた。雲のようにつかみどころがないくせに、この部屋に入ってからのケイカは、全てがこの人のペースに乗せられている気がした。

 この子の素性は全然わからないけれど、最初ほど警戒しなくても良いかもしれないと、ケイカは考え始めていた。

 そんな彼女の心の動きを察知したのか、それとも偶然か。彼が振り向いた所で、ケイカと目があった。

「あ、あの……」やっぱりまだ、こっち(・・・)の方は駄目だ。ケイカはおずおずと口を開いた。

「ん?」

「いろいろと聞きたいことがあります。でも今はひとつだけ知りたいんです」ケイカは勇気を絞り出して尋ねた。「私、演奏はまだまだ下手です。だからさっきの曲、全員に納得してもらえなかったんです」ケイカの目が自然と、背の低い老婆を見つめていた。「たぶん……いや絶対、何かが足りないんですよね?」

「たぶん……そうだろうね」彼はケイカの口調を真似て言った。「何が足りないと思う?」

「えっと……もう、意地悪しないで教えてもらえない? あ、ごめんなさい!」ケイカは顔を赤らめた。私いま、サンジャオと喋るみたいに、この人と喋ってる。

「いや、いいよ。ウメさんは……あのおばあさんは難しい女性(ひと)だから。僕ですらまだ一度も、納得してもらえないんだ」

 彼はケイカを残して、ステージの中央へと進んでいった。わざとらしく一礼して、老人たちのまばらな拍手を誘う。「ケイカ、今の曲をもういちど弾いてもらえる?」

「は、はい!」驚いてケイカは椅子に飛び移り、ピアノに向き直った。それで少女は気楽に呼び捨てされている事にも気づかなかった。

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