第31話 電車

文字数 1,081文字

 憮然とする有希に、すでにいつもの調子を取り戻したらしい生野は、ははっと笑いながら言った。
「泣いたの丸わかり。その顔で電車に乗るのが恥ずかしいなら、このままホテルにでも行くか?」
「行くかよ」
 恥ずかしくても、このまま電車に乗って帰るしかない。すると、生野が言った。
「嘘だよ。ちょっと目は赤いけど、もうそんなに目立たない。それにこの時間は、みんな疲れていて、いちいち人の顔なんか気にしないさ」


 そろそろ駅だというところで、生野が口を開いた。
「さっきは本当にごめん」
「もういいよ。僕も、馬鹿みたいに泣いて、ごめん」
 生野が、不意に立ち止まった。そして、振り返った有希に言う。
「なぁ。また連絡してもいいか?」
「いいよ」
「あっ、いや。でも、通知があって、伸くんだと思ってスマホを見て俺だったら、がっかりするよな」

 有希は、思わず噴き出した。生野が、傷ついたような顔で有希を見る。
「生野って、いつもそんなふうなの?」
「何が」
「そうやって、一人でああでもないこうでもないって」
「おかしいか?」
「大胆で図太いのかと思ったら、意外と細かいことを気にするんだね」
「うるせぇ」
 やっと意趣返しが出来た気がして、有希は、少し愉快になった。
 
 
 週末だというのに、電車は思いのほか空いていた。居眠りするサラリーマン風の男性や、スマートフォンの画面に見入る若い女性がちらほらといる程度だ。
 二人は座席に並んで座り、振動に身をまかせる。やがて電車は、有希が降りる駅のホームに滑り込んだ。
「じゃあ」
 有希が立ち上がると、生野も出口までついて来る。ドアが開き、降りた有希は、電車の中の生野に向き直った。
 
 生野は、じっと有希の顔を見つめている。
「もう学校には来ないの?」
「あぁ」
「えぇと、引っ越しが決まったら、教えて」
「あぁ」
 発車のアナウンスがあり、ドアが閉まり始める。そのとき、生野が素早く電車から降り、彼の背後でドアが閉まった。
 
 驚いているうちに、電車は走り始める。
「いいの?」
 生野が、改札の方向を見ながら言った。
「やっぱり、家まで送るよ」
「そんな、いいよ」
「でも、もう遅いし、危ないから」
「大丈夫だよ」
「でも、襲われたりしたら……」

 有希は、ちょっと呆れる。
「襲われたりしないよ。女の子じゃないし」
 生野が、有希の顔を見る。
「いや。そうとは限らない。お前、かわいいし、それに、非力だから」
 確かにさっきは、強い力で生野に押さえつけられて、逃れることが出来なかったが。
「大丈夫だよ。家までタクシーで帰るつもりだし」
 母に言われて、遅い時間には、いつもタクシーで帰ることにしているのだ。
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