第95話 開店準備

文字数 834文字

 季節は、わずかながら春の兆しが見え始めている。伸は、ダイニングバーの開店準備のために、連日出かけている。
 早い春休みに入っている有希は、毎日、伸の部屋に入り浸っている。ベッドでうとうとして、ふと目を覚ますと、いつの間にか帰っていた伸が、床に座って、じっと見下ろしていた。
「伸くん。おかえり……」
 伸びをする有希を見ながら、伸が微笑む。
「ただいま。って言っても、もうずいぶん前からここにいるけど」
 言われてみれば、伸のコートは、すでにハンガーに掛けられている。
 
「え。ここで何してたの?」
「ユウの寝顔を見ていたんだよ。かわいい顔を見て、疲れを癒していた」
 有希は上体を起こす。
「伸くん、疲れてるの?」
「うん。少しね」
「じゃあ、もっと癒してあげるから、ここに座って」
 そう言ってベッドの奥に移動すると、伸は素直に、空いた場所に腰かけた。有希は、伸を両腕で抱きしめる。
 
 有希の背中に腕を回した伸に尋ねる。
「今日は何をしたの?」
「今、店長と最終的なメニューを決めているところで、試作したり、料理に合わせる食器の見本を見たり。今日は、ユウのお母さんも来て、料理の試食をしてもらった」
「ママは、厳しいことを言ったりしなかった?」
 有希に対しては、いつも優しい母だが、経営者としては、とてもシビアで妥協を許さない。
「そんなことないよ。とても優しかった」
「そう」
 それならば、きっと伸の料理を気に入っているのだろう。それに、人柄も。そうでなければ、人を見る目が確かな母は、料理人として伸をスカウトしなかっただろうし、そもそも、有希と付き合うことを許さなかったはずだ。
 
「オープンまで、あと少しだね」
「うん。緊張する」
 有希は、伸の髪に頬を寄せる。
「伸くんなら、大丈夫だよ」
「でも、パークレストランなんか比べ物にならない高級店だし、客層も全然違うだろうし」
「相変わらず心配性だね。どこの店だって、どんなメニューだって、伸くんの料理が素敵においしいことに変わりはないよ」
「ありがとう」
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