第73話 浴衣

文字数 998文字

「あぁ。もう駄目だ」
 そう言うなり、伸は畳の上にごろりと横たわってしまった。いつも酒を飲まない伸が、今日の夕食は、せっかくだからとビールを飲んだのだ。
 少し苦しげな顔の頬の辺りがほんのり赤らんでいるのも、ビール一本でつぶれてしまうのもかわいいと思うが、少し残念でもある。特別な夜なのだから、もっとたくさん話したり、いちゃいちゃしたりしたかったのに。
 浴衣がはだけ、あらわになった胸元がセクシーだ。
「伸くん、露天風呂は?」
「うん。後で……」

 豪華な部屋には、内風呂のほかに、そこから直接出られる部屋専用の露天風呂があるのだ。夕食前に一緒に内風呂に入り、そこでしっかり愛し合ったのだが、後でまた、露天風呂に入ろうと約束していた。
 だが、伸がこんな状態では仕方がない。有希は、ため息をついて言った。
「伸くん、寝るなら布団で寝たら?」
「うん……」
 ふすまを隔てた隣の部屋には、すでに布団が敷かれている。
 
「ほら、起きて」
「うん……」
 返事ばかりで動かない伸の肩に手をかけて、起き上がらせる。
「あぁ、ごめん」
 そう言いながら、伸はしなだれかかって来た。
「伸くん」
「一人じゃ立ち上がれない。布団まで連れて行って」
「もう。甘えん坊だね」
 口ではそう言いながら、本当は、まんざらでもない。最近、自覚したのだが、有希は、伸に甘えられるのが、たまらなく好きなのだ。
 
 伸の腕を肩にかけ、体を支えながら隣の部屋に行き、二人して絡まり合うように布団の上に崩れ落ちた。一瞬、伸に組み敷かれてこのまま……などと思ったのだが、伸は本当に酔っているようで、うずくまったまま動かない。
 二組の布団の、伸が倒れていないほうの掛布団をめくって有希は言った。
「伸くん。ほら、こっち。ちゃんと布団に入って寝なくちゃ」
「うん……」
 伸は、這いずるように横の布団に移動する。浴衣は、もうほとんど脱げてしまっている。
「しょうがないなぁ……」
 浴衣の襟元と裾を整えてやってから掛布団をかけ、そっと顔をのぞくと、伸は、早くもすーすーと寝息を立てている。 
 
 有希も隣の布団に入り、横を向いて伸の寝顔を眺める。酔った伸を初めて見たし、さっきの伸はかわいかったし、これはこれで特別だ。
 一緒に露天風呂に入りながら夜空を眺めたかったが、早朝の澄み切った空気の中で入る露天風呂も素敵かもしれない。そんなことを考えているうちに、有希もいつしか眠ってしまった。
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