第68話 内気な少年

文字数 1,086文字

 伸は椅子に腰かけたまま、胸に顔をうずめるようにして有希を抱きしめた。
「ごめん。自分でも、まさかこんな気持ちになるなんて思わなかった。
 いつでもユウがそばにいてくれるのに。あそこはもう、ただの寂れたレストランでしかないのに。
 だけど、長年通い続けたあの場所に立てなくなるのかと思うと、苦しくて、どうしていいかわからないんだ……」
 有希は、伸の髪を撫でる。伸は、有希の胸でむせび泣いている。
「大丈夫だよ。伸くんが苦しくなくなるまで、僕がこうしているから。伸くんが元気になるように、僕がなんでもしてあげる」

 有希は思う。以前の自分だったら、伸が今も、自分の知らない行彦との思い出を胸に生きていることに寂しさを感じたことだろう。
 だが伸は、自分が生まれるよりも前に行彦と愛し合い、悲しい別れの後も、ずっと行彦だけを思って生きて来たのだ。そこにはきっと、自分には計り知れないほどの孤独や悲しみがあったに違いない。
 伸は、もうなくなってしまった洋館の跡地で働き続けることで、それらに耐えて来たのだろう。
 
 そして何よりも、自分は行彦の生まれ変わりなのだ。つまり、自分は有希であると同時に行彦なのだから、伸が今、泣きながら思いを馳せているのは、ほかならぬ自分なのだ。
 それならば、自分に出来ることは、ただ一つ。伸を癒し、少しでも伸の苦しみを和らげることしかない。
 有希は、伸の耳元に口を寄せてささやいた。
「伸くん。ベッドに行こう。僕が、うんと優しくしてあげるから」


「ユウ、ごめん。みっともないところを見せちゃったな」
 有希を背中から抱きしめながら、伸が吐息混じりに言う。ようやく涙が止まったようだ。
 行為の間中、伸はとても辛そうで、最後は涙をこぼしながら果て、その後も、しばらく泣き続けた。こんな伸を見るのは初めてだった。
 有希は、伸の腕の中で寝返りを打ち、間近に伸の顔を見ながら言う。
「そんなことないよ。辛い顔も悲しい顔も、全部僕に見せて」
「ユウ……」
「どんな伸くんも、全部大好きだから」

 まだ潤んでいる伸の目を見ながら、そっとキスすると、伸は恥ずかしそうに目を伏せた。その顔は内気な少年のようで、きっと行彦と出会った頃の伸も、こんなふうだったのだろうと思う。
 伸が言った。
「なんだか立場が逆転したみたいだな。いい年をしてめそめそして、ユウに慰めてもらって、恥ずかしい」
「年なんて関係ないよ。僕だって、伸くんのことを守りたい。
 それに伸くんは、すごくかわいいよ。多分、自分で思っているよりもずっと」
「からかうなよ……」
「からかってなんかないよ。僕の本心。……ねぇ、シャワー浴びよう」
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