第58話 駅までの道

文字数 978文字

「そんなことはないよ」
 伸が、有希の顔を見て言った。
「俺もユウのことが好きだったけど、俺なんかが、若いユウの人生を狂わせてはいけないと思って……」
「え?」
 伸が、行彦に関わる記憶のすべてを失った有希を遠ざけようとしたのは、有希のためを思っての行動だったのだとわかっているが、まさか、そんなふうに思っていたとは知らなかった。
 
「そんな、人生を狂わせるだなんて」
「ユウならば、どんな素晴らしい未来でも自分の手でつかみ取ることが出来る。それは、パートナーに関しても同じだよ。
 それなのに、俺なんかが、ユウの無限の可能性を摘み取ってしまうことは許されないと思ったんだ」
 有希は涙ぐむ。
「僕の未来は、ずっと伸くんと一緒だよ。伸くんのいない人生なんてあり得ない。
 僕は伸くんと出会うために生まれて来たんだよ。わかってるくせに……」
「ユウ……」
 伸が、切なげな目で見つめる。
 
「あぁ……」
 そのとき突然、伸の母が声を上げた。二人は、はっとしてそちらを見る。彼女は、疲れたように言った。
「あなたたちの言いたいことはわかったわ。だけど、すぐには感情が追いつかないの。
 そういう会話は、二人だけのときにしてちょうだい」
「あっ、ごめん……」
 つぶやいた伸に、母が言った。
「来てもらった早々、悪いけど、一人になって頭の中を整理したいの。今日のところは引き取ってもらえないかしら」
 伸が、母と有希を見比べながら言った。
「わかったよ」


「伸くん、ごめん」
 伸の実家を出た後、駅までの道を歩きながら話す。
「僕、余計なことを言っちゃったかな」
 伸が、そっと有希の肩に触れてから言う。
「そんなことはないよ。俺たちの正直な気持ちを聞いてもらえたことはよかったと思う。
 それで、母が俺たちのことを認めてくれるかどうかはまた別の話だけど、それは仕方がないよ。どっちにしても、俺の気持ちは変わらないし、ユウが一生懸命に話してくれて、うれしかったよ」
「だって、約束したから」
 伸が微笑む。
「そうだね」

「伸くん」
 人通りのない夜道で、有希は伸の腕にしがみついた。振りほどくこともなく、伸は有希を見下ろす。
「うん?」
「今日も伸くんの部屋に泊まっていいんだよね」
「あぁ」
「じゃあさ、今夜もたくさん、愛を確かめ合おうね」
 伸は苦笑する。有希は、伸の肩に頭を預けながら言った。
「新しいパジャマ、着るの楽しみだな」
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