第32話 ファミリーレストラン

文字数 1,141文字

 生野がうつむく。
「まぁ、俺に家までついて来られても困るよな」
「そんなこと言ってないだろ。生野だって襲われるかもよ」
「馬鹿。襲われねぇよ」
 そう言う口調に元気がない。
 今ここで別れたら、もう二度と会えないかもしれない。遠くに引っ越すのならば、なおさらだ。
 それで生野は、別れの時間を引き延ばしたいのかもしれない。有希だって、名残り惜しいのは同じだ。

 これから先の住まいもまだ決まらず、きっと寄る辺ない思いをしているに違いない生野に、有希は言った。
「時間が大丈夫なら、駅前のファミレスに行く?」
 生野が顔を上げた。
「俺は大丈夫だけど、お前はいいのか?」
「うん。母親は仕事で、明け方まで帰って来ないから」


 終夜営業のファミリーレストランは、八割ほどの席がうまっている。メニュー表を見ながら、生野が言った。
「パスタでも食べるかな。ちょっと腹が減って来たし」
 有希は驚く。
「えっ、もう? さっき食べたのに」
 だが、生野は当たり前のような顔をして言う。
「さっきって言ったって、もう何時間も経っているじゃないか。お前は腹減ってないの?」
「うん。まだ」
「だから、そんなに痩せてるんだな」
「痩せてないよ」
「痩せてるよ」


 結局、生野は、カルボナーラとジンジャーエールを、有希は、フルーツ杏仁を注文した。大きな皿に盛られたカルボナーラが運ばれて来ると、さっそく生野は豪快に食べ始める。
 杏仁豆腐の上に飾られたイチゴを口に入れて咀嚼しながら、その様子を眺めていると、生野が、突然手を止めて、フォークを皿の上に置いた。口の中のものを飲み下し、ジンジャーエールを飲んだ後、その手を下ろしてしまう。
「どうかした?」
「いや」

 首をかしげながら、ぼんやりと見ていると、生野が、うつむいたまま言った。
「これを食べ終わったら、帰らなくちゃいけないだろ」
「あ……」
「俺、やっぱり……」
 そう言いながら、眼鏡を外し、目元に片手を当てた生野は、それきり黙ってしまった。どうしていいかわからず、そのまま見守っていると、生野の口から小さなうめき声が漏れた。
 もしかして、泣いている?
「生野?」
 何も答えないまま、生野は、両手で顔を覆った。有希も、スプーンから手を離す。
 
 
 ずいぶん長い時間が経ったような気がするが、もしかすると、ほんの数分のことかもしれない。生野は、テーブルの隅に置かれた紙ナプキンを数枚取って顔を拭き、眼鏡をかけてから、ようやく顔を上げた。
「ごめん」
「うぅん」
 眼鏡越しにも、目元を赤くしているのがわかる生野に、有希は言った。
「急いで帰らなくてもいいから、冷めないうちに食べたら?」
 食べかけのカルボナーラは、もうすでに冷めてしまっているかもしれないが。生野は、上目遣いに有希を見た。
「お前もそれ、食べろよ」
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