第35話 動揺

文字数 1,132文字

 家に帰り着くと、風呂上がりでバスローブをまとった母が、ミネラルウォーターを飲んでいるところだった。
「こんな時間まで、安藤さんのところ?」
 母の言葉には、かすかな棘が感じられる。
「違うよ。友達が、学校をやめて引っ越すことになったから、送別会」
 二人きりの送別会ではあったが。表情を和らげた母が言う。
「そうなの。お腹は?」
「空いてない」
「そう。それなら、早く寝なさい」
「わかった。おやすみなさい」

 徹夜で生野と話していたので、さすがに疲れたし、眠い。今日はもう日曜日。夕方には伸の部屋に行き、今夜は泊まるのだ。
 有希は、顔を洗って歯を磨くと、パジャマに着替えてベッドに入り、そのまま昼過ぎまで眠った。母が用意しておいてくれた料理を食べて、シャワーを浴びると、もう家を出る時間になっていた。
 
 
――これから家を出ます。早く伸くんに会いたいな。
 有希にしては短いメッセージを伸に送ってから、家を出る。昨日は、ずっと生野と一緒だったので、メッセージを送ることが出来なかった。
 昨日はいろいろなことがあったし、生野の気持ちや、もう、彼と会うこともないのだと思うと、とても切なかった。
 だが、メッセージを送った途端、気持ちが切り替わる。早く伸に会って、顔を見て、キスをして、たくさん甘えたい。
 
 夕方の電車に揺られていると、返信があった。
――今仕事が終わったところ。部屋で待っています。
 いつもの素っ気ないメッセージも、伸らしくてうれしい。電車が駅に着くのが待ち遠しい。
 
 
「伸くん!」
 玄関に入るなり、有希は、伸に抱きついた。伸も、いつものように、ぎゅっと抱きしめてくれる。
 だが、キスをしようと顔を上げたとき、伸が言った。
「今日、生野くんがレストラン来たよ」
「……えっ?」
 心臓が、ぐりんと飛び跳ねる。
「あの子、やっぱりユウの同級生だったんだね」

 どうしよう。あいつ、なんだって、そんなことを。動揺して立ち尽くす有希に、伸が言った。
「上がって」
 急に手足が自分のものでなくなってしまったようだ。ぎくしゃくしながら靴を脱ぎ、部屋に上がると、伸が、手に持っていたバッグを受け取り、背中のデイパックを下ろしてくれた。
「今、コーヒーを淹れるよ」
 どうしよう……。椅子に座りながら、有希は泣きたい気持ちになる。
 
 
 カップの一つを有希の前に置き、椅子に座った伸に向かって、有希は言った。
「伸くん、違うんだ。僕は……」
 コーヒーを一口飲んでから、伸は言う。
「生野くんから聞いたよ」
 早くも泣きそうになりながら、有希は言いつのる。
「違うんだよ。僕は、あいつに伸くんのこと話すつもりなんてなかったのに、あいつが……」
 言い終わらないうちに、涙がこぼれてしまった。
「伸くん。怒らないで……」
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