第37話 ユウ

文字数 1,130文字

 伸は言う。
「ユウの中で行彦の記憶が戻ったとき、一つの体の中に、行彦と有希、二人の人格が共存していた。そのことに、ユウは矛盾も混乱も感じていないように見えた」
 そうなのだ。有希は、行彦の生まれ変わりなのだ。しかも行彦は、伸と愛し合っていたとき、すでにこの世の者ではなかった! 
 有希が記憶を失った後、伸が有希と付き合うことをかたくなに拒んだ理由もそれだった。伸は、行彦だったときの記憶がない有希を、自分のもとに留め置くことをよしとしなかったのだ。
 
 その話を聞いた当初は、有希も、ひどく動揺した。そんな奇妙な話は、にわかには信じられなかった。
 だが、桐原行彦という人物が実在したことは確かだったし、伸が、わざわざ有希に嘘をつく理由がない。そもそも、初めは固く口を閉ざしていた伸に、しつこく言って聞き出したのは、有希自身だ。
 すべてを知ってもなお、伸のことが好きでたまらないのは、やはり自分が、行彦の生まれ変わりだからなのかもしれないと思った。そして伸も、行彦の生まれ変わりだということを差し引いても、有希本人を愛していると言ってくれたのだった。
 
 自分は、行彦の生まれ変わりだからこそ伸に出会ったのだし、伸を愛し、愛されている。行彦なくして、自分はこの世に存在しないのだ。
 いや。存在したとしても、多分、今とは違う姿で、伸と出会うこともなかったのだろう。
 それがすべてだ。自分が行彦を否定することは、自分自身を否定するのと同じことだ。
 それなのに自分は、伸の心の中に、今も行彦がいることが辛くてたまらない。伸の過去と、長い間の孤独や痛みまで否定しようとする自分は、ひどく自分本位で傲慢だと思う。
 それでも、どうしても、伸に自分だけを見てほしいと思ってしまう。伸が、自分のことを行彦と重ねて見ているのかと思うと、胸が引きちぎれそうに辛い。
 
 伸が、青ざめた顔で言う。
「ユウは、お墓の前で倒れたとき、ユウの中から行彦が出て行ったんだと言ったね。でも俺は、実は違うことを考えていた」
「……え?」
「俺はあのとき、行彦と有希が同化したんだと思った。二人は、完全に一つになったんだと。
 だから、行彦としての記憶が、すべてなくなったんだと思ったんだよ。なぜなら、今この世に生きているのは有希だから」

 伸は続ける。
「二人の人格が共存していたとき、俺は、しばしば混乱した。今自分は、いったいどっちの人格と話しているのかとね。
 それで、君に新たな呼び方を考えてもらったんだ。君は、二人をまとめて呼ぶための名前を、『ユウ』と決めた」
「あ……!」
「俺にとっては、君はユウだ。同化して、名実ともに、ユウになったんだと思っている。
 俺には、行彦と有希を切り離して考えることなんて出来ない」
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