第4話 雪の人形峠

文字数 780文字

  南国には珍しい積雪の朝。
四十数年も昔の、雪の道行を思い出した。私は
雪が途方もなく好きだが、夫はどうであったか、
今となっては確かめようもない。
 大雑把な私は、今頃になって雪を追ったあの旅は、
夫の思いやりであったように思えてならない。

 山陰方面の大雪警報を聞きながら岡山へ。岡山からさらに北上。
院庄の手前から雪はだんだん激しくなってきた。
 人形峠で初めて丈余の切り立つた雪の壁を見た。自然を埋め尽く
した雪に、感動を覚えると共に脅威を感じた。
 本降りになった雪は、車に体当たりしてワイパーが動かない。
そのうち視界は零になり進退窮まる。
立ち往生したまま何十分かが過ぎた。雪の緞帳の降りた世界で、
クラクションばかりが不気味に鳴る。
 小一時間も経過しただろうか。雪が小降りになると、
のろのろと車の列は動き出した。
数珠つなぎの車は追い抜くことも、抜かれることもない。
 峠を半ば降りたころ、民家の庭先で夫の車がスリップした。
雪を流すために放水していて、雪は流れずぬかるんでいた。
 ぬかるみに入ったのが先か。スリップが先か。兎に角、
車は真横になり道路を遮断して止まった。
「困った。どうしよう」思う間もなく、前方からも後方
からも、スコップを持った男性が、二人、三人、四人と
現れた。
申し合わせたようにタイヤの下のぬかるんだ雪を掻き出した。
「アッ」という間に
「ヨイショ。ヨイショ」と車の方向転換をした。
それぞれ何もなかったように自分の車に戻った。
 夫と二人は車から離れて他人事のようにじっと
見ていただけだった。

 「ありがとうございました」最敬礼をして車に乗った。
再び、車の列はのろのろと動いた。
 雪と共存する方々の生活の知恵に頭が下がった。
どこのどなか、わからぬまま、
助けの神々のおかげで無事峠を下りた。
 あの時は夫も私も元気だった。
 人形峠は今年も深い雪に埋もれたことだろう。


 

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み