第67話 極楽への道(1)

文字数 747文字

 息子の会社の慰安旅行に便乗して青森へ飛んだ。
いつ行っても松島は絶景である。大間のマグロも絶品であった。
八甲田山は霧の中だった。今までどうしても果たせなかった恐山が
旅程にあったので浮き立つように同行したのは3年前の6月。

 三途の橋の渡りちんは5○○円(入山料)
彼岸と此岸の間には10メートルほどの橋がかかっていて、車で通過した。
並行して太鼓橋もあり「アッ」という間に彼岸に着いた。そこは現世と
思えぬ風景が展開し、硫黄の匂いが充満していた。
霊場である恐山菩提寺は、開基、1200年になるという。ここで肉親の
菩提を弔い、信仰と祈りの場として古くから今日まで伝えられてきたのだ。
「死んだらお山へゆく」お山には地獄と極楽があり、この世で徳を積んだ人は
極楽の門が開いていて御仏が迎えてくれる。が、この世で悪を重ねた人は地獄へ
落ちる。地獄には鬼が住んでいる。
 物心ついた時から聞かされた地獄絵の話は、万物の霊長だと昂っている
人間への戒めだろう。

 賽の河原は勝手に思っていたイメージより遥かに明るく、宿坊や食堂も
あり、観光化されて恐ろしさは微塵も感じない。
 ガスの吹き出している岩肌のあたりを地獄、青く澄んだ湖と白い浜は
極楽浄土とみなされ伝えられてきたのだろう。
「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため」と至る所に小石を積み
あげた大小の石塚が目を引く。ガイドさんから
「嫌な気を貰うから決して石や草に手を触れないように」注意があった。
にもかかわらず、数少ない草がところどころで結ばれている。
 水子が別れた親を偲んで、親のために積んだ石を鬼が来て崩すから
鬼の足止めに現世の親が草を結んでいるのだろう。と勝手に思い親と子の
深いえにしを考えさせられた。
 諺では「親子は一世」というが?「親子は3世」と訂正したい。




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