第51話 父帰る(3) 

文字数 977文字

 男は不法出国中の船の中で運命の中国人に遭遇した。
その人は海南島の人で(宋)と言い、色々な顔を持っていた。
 男は、渡りに船と宋について海南島に渡った。
宋はすぐ土木(土工)の仕事を世話してくれ、食、住に
ありついた。男は力も強かった上、脳の回転も抜群だったので
重宝がられた。見知らぬ土地では頼りになるのは己と現金
だけである。どのようにして貯めたかは?だが、1年後、男は
小さい土地を他人名義で買った。利益を出して売った。
また買った。土地転がしをしているうちに、未来図が現実の
ものになるのを感じる。
 戦局は日増しに厳しく日本は追い詰められていったが、
男は海南島で山持ちになったところで敗戦。
 悪い夢を見たとしか思えない戦後。痩せても枯れても日本男子だ。
男の二言、赦される訳がない。それでも捨てた故郷が恋しい。恥も
外聞も、男も捨てて、文なしの哀れな冒頭の姿で帰ってきたのだ。

 出奔したきり4年余、何の連絡もよこさずに
「世が世なら大山持ちになっていた」と言うが、誰も見たものも
いないので、眉唾?ぞと、話半分に聞いた近親者たち。
 
 親が許し、子が許しても妻は許すまじと、妻の悲壮さを知って
いた親戚は、固唾を飲んで見守った。が、旬日もしないうちに
男は亭主関白に収まった。
 妻は許したのか?
「この年が来て今更ら子供も産めない」と闇に葬ったと言う。
摩訶不思議は夫婦のえにし。

 戦後初の地方選挙に、男は立候補しトップ当然を果たした。
もう、その頃は冒頭の男の面影は微塵もなく脱皮に脱皮を重ね
押しも押されもされぬ男性になっていた。男性は4年の任期で
議員を辞めた。村議とは、こんなものかと、達観したのだろう。
誰が推しても再び立候補はしなかった。

 考えることあって家督を長男に譲った。70歳にして自動車
の運転免許証を取得した。自動車に新鮮な野菜を積み、村から
町へ、街から村へ商って回った「自分と婆さんの小遣いさえ
あればよい。自分を待っていてくれる人達に今日も逢える。
『お爺さんのみかんは美味しい』と聞くだけで嬉しい。海南島
で死に損ねたが、帰ってきてよかった。おかげでわしはいい
老後だ。ありがたい」

 旅立ちの3日前、私は見舞った。目に力はなく細く開けた目は
遠くを見ているように感じた。海南島の幻を追っていたのかも。

 波乱の末に自らいい老後だったと感謝しながら逝った。
 享年82歳だった。










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