第3話 イースター島にて

文字数 1,029文字

 パペーテ空港を後にして機は、七時間を経てイースター島に着陸。
十二月から三月までは週三便、他は週二便、チリのサンティアゴからイースター島を経由
して、パペーテ間をランチリ航空の定期便が離着陸している。 
 島のマダヴェリ空港の滑走路は、拡張されて三三○○メートルと余裕の長さだ。
 旅装を脱ぐ。ときめくままにHさんたち四人で、島民信仰の儀式村だったと聞くオロゴン
へ向かう。歩けども歩けども近くに見えたオロゴンの丘との距離はは縮まらない。
 誰言うとなくヒッチハイクしようと言うことになる。何台かの車に無視された後、トラック
が拾ってくれた。トラックの主はオロゴンに着くと露天商に変身した。草むらに織物らしい布
地や、小物を広げただけのお店だ。私たちは値切ることも出来ず感謝を込めて売り上げに少々
協力した。
 ここは絶海の孤島。雑草の緑に包まれた平和な丘、オロゴンだ。
 古代人が住んでいたと思われる横穴式の住居跡の石積がいくつも並んでいる。
 巨大なラノ・カウ火山湖は、トトラ葦に覆われ、円形空間を醸し出している。
 現世のものとは信じ難い圧巻であった。
  絵描きさんはキャンパスを広げた。私は夏草の上に寝転んだ。緑の絨毯とは言いづらく
硬かった。絶壁に当たって砕ける波の音を聞きながら天空をぼんやり眺める。
悠久と言おうか永遠と言おうか、時を刻む波の音に引き込まれ、己の存在さえ忘れた、無に
近い瞬間だったように思う。
 後日談になるが、Hさんは銀座で個展を開き招待を受けた。この時の絵が何枚かあった。
 次の日、全員で車をチャーターして島巡りに出た。ガイドは付かずドライバーの現地語
(ラパ・ヌイ語)と日本語では会話にならないが、観光の要所、要所には車を止めてくれた。
パンフレットと手振り身振りで、概ね理解した。
 小さな市街地を抜け、海岸線に沿って十分も走ると、やがてトンガリキと言って、島最大の
モアイのあったところに着く。
 モアイの残骸が海岸に埋まり、横たわり面影を留めていないものも多かった。
 眼前に山が見える。石切山で、モアイはここから切り出されたのだ。山には切った後がつぶさ
に残っている。多くのモアイはチリ地震の津波で破壊されたそうである。
 現在、十五体のモアイが日本のT重機の協力で復元され横一列に並んでいる。
大小さまざまで、脱帽あり戴冠ありで、観光のメッカになっているようだ
 謎とロマンを秘めた孤島に、古代人の知力とエネルギーを傾注して立てた巨像は
意志あるごとく立っていた。




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