第63話 人間革命(3)
文字数 495文字
どん底からどうにか立ち上がりかけた時、Mの紹介で亡夫は、
仕事にありついた。ボーリングの走りで、先見の明のあるMは
島国に初めてのボーリング場を仲間と共同で設立した。亡夫は1ケ月の
講習を経て裏方のチーフになった。順番待ちするほどの盛況ぶりだった。
どこかで書いたから重複するが、亡夫は、一年であらぬ疑いをかけら
れてクビになった。身の潔白が判明した時、亡夫よりも私の方が
「許さん」となって、会社へ乗り込んで、ヤクザ顔負けの台詞を吐いた。
その時から、Mは「この人は有名な先生です」と誰彼なしに私を紹介した。
「何の先生ですか」
「それは名にしおう喧嘩の先生です」
半分冗談にしても、こうして私は、知る人ぞ知る喧嘩の先生になった。
「喧嘩する限りは負けてはいかん。勝たねばならん。勝つ喧嘩の指南しますよ」
良くも悪くも、Mとの交流は続いた。恥ずかしい話しながら市議選には教会の
息子、Hに投じ続けた。太極からでなく、仁義であった。
亡夫の友人もほとんど旅立って、喧嘩の先生という人はいなくなったが、
福岡の寺で修行さされた御仁がまだひとり健在である。
「これはいかんと要領をかまして退散した」と御仁は語っている。
仕事にありついた。ボーリングの走りで、先見の明のあるMは
島国に初めてのボーリング場を仲間と共同で設立した。亡夫は1ケ月の
講習を経て裏方のチーフになった。順番待ちするほどの盛況ぶりだった。
どこかで書いたから重複するが、亡夫は、一年であらぬ疑いをかけら
れてクビになった。身の潔白が判明した時、亡夫よりも私の方が
「許さん」となって、会社へ乗り込んで、ヤクザ顔負けの台詞を吐いた。
その時から、Mは「この人は有名な先生です」と誰彼なしに私を紹介した。
「何の先生ですか」
「それは名にしおう喧嘩の先生です」
半分冗談にしても、こうして私は、知る人ぞ知る喧嘩の先生になった。
「喧嘩する限りは負けてはいかん。勝たねばならん。勝つ喧嘩の指南しますよ」
良くも悪くも、Mとの交流は続いた。恥ずかしい話しながら市議選には教会の
息子、Hに投じ続けた。太極からでなく、仁義であった。
亡夫の友人もほとんど旅立って、喧嘩の先生という人はいなくなったが、
福岡の寺で修行さされた御仁がまだひとり健在である。
「これはいかんと要領をかまして退散した」と御仁は語っている。
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