第46話 さくら道(1)

文字数 1,192文字

「桜の咲くころバスの旅」と銘打ったパンフレットを旅先で拾った。
風もないのにひらひらと足元に落ちた桜の絵が目に止まった。
ふと拾い上げた。それは名古屋と金沢を結ぶ桜街道の広告だった。
名金線のバスの車掌さんだった、故佐藤良二さんの植継いだ桜を問う
旅のパンフレットを手に、惹きつけられるようにツアーに申し込んだ。
 平成六年四月、JR東海バスの名古屋営業所で一号桜を愛でた。
「この地球上に天の川のような美しい花の星座を作りたい」
良二さんの碑が建立されていた。限られた財の中で人生を賭けて植えられた
一五00本の桜は金沢まで点々と咲き継いでいた。キャッチフレーズに違う
ことなく、まさに王道、桜道であった。  
「右を見て、続いて左をご覧ください00本目の桜でございます」
エピソードを交えながらの添乗員の流暢な紹介に引き込まれてゆく。ツアー
全員が感動して、車内では和の輪が広がるのを覚えた。
 バスは奥美濃を過ぎ、時間の都合で分水嶺を素通りして昼食会場へ向かった。
分水嶺という言葉にロマンを感じて、どうしても見たくなり、昼食を割愛して
ヒッチハイクで分水嶺へ向かった。
 谷川は幅二メートル足らずだったが流れは豊かだった。木立は奥深く、木漏れ
日のやさしい光が水辺の水芭蕉に降り注がれていた。私は、一葉を投じた。
木の葉は、迷わず日本海を選んで流れていった。選んだのではない。
無の木の葉は、あくせくしない。あなた任せで流れていったのだ。
 またもヒッチハイクで昼食会場に戻った。ヒッチハイクできなかったら、
どうなっていたのだろう。若さって怖い、怖い。
 ひるがの公園には水芭蕉が咲き誇っていた。00本目の桜を見ながら街道を
ひた走り、一行は御母衣ダムを眼下にした。ダムの底に沈んでしまった村は林業
と稲作で豊かに暮らしていたそうな。しかし、時代の波に巻き込まれた村は、
ご多聞にもれず賛否両論の末、ダムを作り永遠に故郷を無くした。
 ダムは何事もなかったかのように、静かに緑の水を満々とたたえていた。
 村に樹齢四百五十年の桜の樹が二本あった。
「この桜をなんとか生かしたい」村の総意である。専門家の知恵を借り、小さく
切り込んで、何台ものクレーンで引き上げ、世紀の大移動をしたという。
 今、後母衣ダムを眼下にいている老桜は、枝葉を四方に広げ、雄々しく
天に向かって伸びている。その上花も盛りだ。
 人間の都合により転植させられ、人間の英知により生き残った桜は
「荘川桜」と呼ばれ、村人の故郷を偲ぶよすがとなっているという。   
この巨桜こそ、拾ったパンフレットを飾っていた桜木だった。
 白川郷を越え五箇村を過ぎ1500本目の桜を金沢で眺めた。
 映画にもなった良二さんの前人未到の桜道は語り継がれることでしょう。
 十年後、否、生あらば二十年後にまたこの桜に会いたいと切望した。
                       平成六年のこと









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