第7話 尾瀬

文字数 1,184文字

 待望の尾瀬へ。
JRのツアーに参加しての旅だった。
会津高原経由で沼山峠まではバスで行く。
塩原湿原を越えるころになると左右の山が迫り、谷川も狭くなった。
 葉緑樹の続くトンネルを通過。この辺りの秋は見応えがあるだろう。
 バスは予定より二時間遅れて沼山峠に着いた。
装束を整えて、一斉に登り始める。径は石塊がゴロゴロしていて、
その上、走り根の凸凹で歩きづらく、靴が合わないのかと不安になる。
歩き出した時は、最前列にいたのにだんだん後方になっゆく。健脚の
若い者たちは涼しげに追い越してゆく。
 峠を越えたらしい、下り道になる。尚も走り根は太く、石ぐるまに
乗りながら必死で谷を降りた。小さい沢を横切ると、道は穏やかになる。

 突然、目の前が開け、広い緑の原が目に飛び込んできた。
尾瀬沼である。真っ白い穂綿のようなワタスゲが咲いていた。小さい起伏
をしばらく進むと、日光キスゲの蕾に出会った。そこを行き交う人々が
「今年は花が遅いね」話しながら通り過ぎて行った。

 木道が現れた。人間一人が通行できるだけの右側通行の木道の一本道。
遠くにも近くにも日光キスゲの群生を見た。


 宿が近づくと人が沢山いて、こまめに移動している。
 日の入りのドラマを撮ろうと、アングルを定める人、場所どりを
する人で道の端はざわづいていた。
 宿の長蔵小屋に着いた時は日没で、沈まんとする太陽は大きく赤か
く、残照に染まる峰々があざやかだった。

 荷物を放り出して私も急いで落暉撮りの仲間に参加した。

 下界は夏の盛りというのに、尾瀬の夜は涼しく秋の訪れを告げている。
澄み切った夜空が美しい。降るような星空というが、天が、星がこんなに
近くに感じたのは初めてだ。

 自然保護のため、風呂で自由に使える湯は洗面器二杯と決められている。
日本人は真面目である。暗黙の約束をみんな守っていた。

 翌朝、それぞれ握り飯三個を弁当にもらって、七時に小屋を出発。
沼尻に出て→竜宮小屋→山の鼻→鳩待峠までを歩き切ることである。
落伍は許されない。夢を追うことは、楽しさと悲壮と表裏一体である。

 杜若の得もいえぬ紫紺に目を細め、尾瀬河骨の咲く小さい沼を撮った。
 咲き遅れた水芭蕉が、木の影や橋の下でひっそりと咲く様を見、どこか
人間社会に通じるものを感じた。
 タテヤマリンドウの楚々とした花に心奪われる。
 木道から振り返る尾瀬ケ原は日光キスゲのオンパレードだった。
 さよなら尾瀬。ありがとう尾瀬沼。

 足も腰も十八キロの道程によく耐え、鳩待峠へことなく到着。
 一人旅の女性が、最後の鳩待峠への坂でダウンしたらしく、
峠の茶屋で3時間待った。
 これが自分であったらと考えただけで震えた。

 念願の尾瀬の旅は終わった。
そこに住む人々から、湿原の草や花から、自然の移ろいとともに
一人では生きられない、共存共栄を学んだ。

 平成十九年八月、世界自然遺産に尾瀬は登録された。





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