第64   人間革命完

文字数 871文字

 昭和44年8月、Mの発案で新建材の基幹工事会社を設立した。
資本金500万円。株主はM、K、Bと亡夫の4人の均等出資だった。
MとBはすでにそれぞれ会社の代表取締役だった。新会社の代表は担え
ないということで、経営の責任は亡夫が負うことになった。
 事務所は、私の八百屋の半分を使った。最小限の備品と工具を購入して、
「菱洋00会社」の看板を八百屋の入り口に立てた。主力工事は今
出たばかりの「軽量気泡コンクリート」である。
 亡夫は工事現場(県外)へ見習いに行き、建築経験者(大工、左官
鉄工)の経験者を募集した。とりあえず一組4人を構成した。
 職長は亡夫である。商社から回ってくる工事に追われた。
2ヶ月の間、亡夫はよく働いた。その後、職長を決めて現場の責任を譲った。
工事は四国一円と和歌山、阪神まで遠征した。前途は明るいという。
しかし、6ヶ月で資本金を食い潰してしまって、資金が回らなくなった。
その責任は全て亡夫にある。
 株主会議が始まった。Mは勿論KもBも手を引くという。といっても
無傷で出資金を返すわけにはいかん。第一返すお金はないのだ。
さあどうする。私は二度と、あの貧乏地獄は味わいたくない。
 今辞めれば、資本金をなくしただけで済む。さあどうする。

 「今を乗り切ればこの仕事は絶対に成功する。頼む。助けてくれ」
 大きな岐路だったが、もう一度亡夫にかけることになった。
 Bは「菱洋○○会社」の社名を求め、社名を持って出て行った。
亡夫は社名変更した。
3人は円満に手を引いて会社は亡夫1人のものになった。
3人に1○○万円づつ、合計300万円の約束手形を切った。
今でも300万円は大金であるが、昭和44年に書いた300万円
の約束手形の返済は、言葉では言えない、苦しいものだった。
 袂は分かったけど、以来、助け合うこともあり終生、交流はあった。
 亡夫は昭和6○年に、平成に入ってBが、今年Mが逝った。
 Kとは不通のままである。
生きることは大変なことであった。
一年後、八百屋をたたんだ。浮沈はあったが今、長男が3代目を継いでいる。
「恩送り」が果たせずにいる。





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