第55 話 令和の天馬座

文字数 1,035文字

 街は焼け野になり、空襲にこそあわなかったが、昭和の初期。
寒村には何の娯楽もなかった。戦後何年かは秋の取り入れの終わる頃
どさ回りの劇団がきた。また素人芝居が流行って、村の青年団が座を作って、
近隣へどさ回りしていた。知っている女の子も踊ったり歌ったりしていた。
どうしてできるのか?私は思案の他だった。

 その内、青年団の素人芝居に兄が駆り出されて吉良の仁吉を演じた。
芝居の日は重箱にお弁当を詰めて、座布団や毛布をしいて場所どりをしていた。
ここは00や÷÷の娘さんをこっそり盗み見する場でもあったようだ。
顔はいいけどまるで大根だ。と言う大人の声を聞いたが兄には伝えなかった
しかし、兄には沢山のご祝儀が投げ込まれた。何だっのだろうと思う。
 従兄弟はスルスルとプロ級の司会をしていた。2〜3年で芝居はやめたが、歌の
上手い青年がいて、数年いやもっと長く近隣の大会には馳せ参じていたようだ。
その歌の中に「青い山脈」があった。あの歌は好きだった。

 沢山の劇団がきたがあの寒村に名のある劇だが来て興行したとは思えない。
記憶にあるのは「スワラジ劇団」ただ一つのみ。

 徳島にも天馬座ができ、2○15年に柿落としをしている。
芝居が好きで故郷の友とよく一緒に観劇した。 
「東京だよおっかさん。馬場の忠太郎」などみると70余年の時空
が一気に超えて、当時に戻るから摩訶不思議である。私は芝居は見るが
きんきらした踊りや歌は苦手なので、いつも一人で座を立つ。

 6月に入ってから友人に天馬座を招待されていたが、予定もあり、体調も
優れず、千秋楽の今日まで伸ばしてしまっていた。

 50人入れば大入りがでるほどの小さい天馬座。知人が右前の14席を
予約してあった。
 令和になって初めての観劇であるのに劇団の名前も思い出せない。
嫁姑劇は、時代を問わず年代を問わずうけるのだろう。「ワッハッハ、アッハッハ」
絶え間ない拍手と甲高い笑い声が頭に響く。
みんな好きな郷に入っているのだ。郷に入れない自分がいる。笑えない。面白くも
おかしくもないのである。なぜかもうついて行けない。
 昔の娘さんたちは、次々とお捻りというか祝儀袋を舞台のヒロインの胸に帯に
挟んでいる。この風景は昭和も平成も令和も変わらない。色々な人がいて、それぞれ
ファンがあり、まさに十人十色である。酸欠するほどの空気に圧倒された。

 踊りが始まったので失礼を承知で中座してバス停へ急いだ。
「ワッハッハ」と笑える人はみんな幸せなんだろうと、あの熱気を思い出している。








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