第81話 寿命が尽きる二年前はいつ

文字数 1,415文字

 虫垂炎、甲状腺ガン、手首骨折、白内障、網膜剥離、左右の変形性膝関節症、
眼瞼下垂。九十年生きる間に手術した病や怪我である。
「ほんまに母さんは手術が好きやけん」娘が吐いた言葉である。
 寿命が尽きる二年前だと知っていたら、強欲な私でもどの手術もしなかった
のではないかと思う。まだまだこれから生きるために手術は必須だったのだ。
 久坂部羊氏は言う。寿命が尽きる時期がわからないと言う人は、今だ。と知れ。
後、二年の命と知れば、新幹線ならグリーン車、飛行機ならファストクラス、
ホテルなら五ツ星に泊まって、人生の最後を豊かに満喫するがよい。
 そうだ。そうだ。と思うけど、生きすぎると、そのどれも実践できない。
よほど根性を入れなくては、タクシーさえなかなか呼べない。
めんどくさい。何もやる気が失せてからではもう遅い。八十歳は死にごろだと
書いたことがある。今も変わらず八十歳は死にごろだと思っている。
 今死ぬと、早すぎるとは言わないまでも、あんなに元気で矍鑠としていたのにと、名残を
惜しんでくれる人の一人や二人はいると思うし、少なくても子供は別れを惜しんで
くれるだろう。難なく終えたとホッともするだろう。
ところがどうあろう。寝たきりで九十まで生きていたら、…‥。
 幸か不幸か、私は五十過ぎに寡婦になった。働くことは生きることだったから、
よく働いた。六十代中頃から七十代は、日本の内外を問わずよく旅をした。旅は
連れがある方が倍楽しい。無二の旅友が病に冒された。一人になっても分にあった
一人旅をした。今、しみじみ思う。あの時、あの旅、行っていてよかったなと。
 今となってはもう旅はできない。
週一回のデイケァも辞めた。ジャンケンほいも中断した。読む書くの会も足が重くなった。
 古事記の会だけ、辛うじて残っているが、ここには、全く横の繋がりがない。孤である。
 
 ただ死ぬために生きているのだろうか。
 少なくても、人生の終わりの時、後悔はすまい。
 米寿の時「人生、あの日、この日」を出版した時は、趣味の仲間もいる。
小さい旅なら行ける。まだ夢がある。米寿万歳であると書き連ねているのに、
老いるとは、悲しきもの、階段を飛び算して降りてゆく。
 ありがとう。いい人生だったと、言って逝きたい。
 ビンコロは理想であるが、私は尊厳死の会に入ってやがて三十年になる。
九十年も生きて学んだのだから、願わくば尊厳ある死にざまを見せてやりたい。
 
 かかりつけ医がいて毎月診てもらう。新しい病が見つかってもガンが
見つかっても、もう決して手術はしない。
「先生健康寿命と言われるけど私は両膝手術で曲がらないし、持病もあるから
健康寿命とは程遠いね」かかりつけ医は言う。
「あなたは杖なしで歩いて一人で生活している。立派な健康寿命の保持者ですよ」
納得できないが、先生に反論しても仕方のないことだ。

 辛いものも、甘いものも身体に善悪なく欲しいように食べている。
規則正しい生活は過去のこと、暮らしは不規則である。
一番、不自由しているのは、入浴であり、今一番やりたいのは温泉に
浸かることである。誰かが片道でも自動車に乗せてくれたら、うれしい。

 天気の良い日は暖房はつけなくて良い。日が昇ったら、太陽は部屋
いっぱいに入ってくる。窓辺も部屋の中も鉢の花で賑わっている。
「久しぶりの来客は花の鉢に驚いている。
 朝が来た。薄いが陽は雲に覆われている。暖房器の世話になろう。
 二年前の一日が今日も始まった。
















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