第12話 胸突き八丁

文字数 859文字

 お山の8号目にはもうストーブが据えられていた。
ストーブを囲んだ。ポッポと燃える火に癒される。
アルコールのまわりが異常なようで、悪酔いする者が何人か出た。

中2階の上も下もみんな雑魚寝だ。布団は高山の匂いがした。

 ご来迎に向けて、午前3時山小屋を発つ。
祈る思いで空を仰いだが、天は暗く星は隠れていた。
雨かっぱをつけ各自、電池で足元を照らし一歩、いっぽ山頂へ近づく。

 ここは、名にしおう胸突き八丁。100歩も登ると早や、心臓が高鳴る。
少し登っては、休み、また少し登る。とにかく苦しい。胸が裂けそうだ。
背中のリュックが、息にかかるので捨てた。登るより、休む方が多くなる。
かっぱも脱ぎ飛ばした。小さい電池一つがもう持てない。
登るというより這っていたが、それもだめ、ついに倒れた。

「あゝもうだめだ。苦しくて、登れない。みんなが帰るまでここで待っているわ」
「そらだめだ。帰りは道が違うから、ここは通らない」夫の声は非情だった。

 それを聞いた職長が二人、杖を2本持って降りてきた。

「おっかぁ、中に入りな」
私を中に挟んで、前の者は引く、うしろの者は押す。 
3人2脚で遅々と登った。
私は、足が勝手に動いている感じで必死で杖に縋っていた。
押すのも引くのも重かっただろうと思う。
 1時間は優に越えていた。

「おっかぁ、最後は自力で登りなよ」二人は杖を外した。
1歩、2歩、3歩、とうとう登り詰めた。私が、最終だったのだろう。
みんなの拍手を上の空で聞いた。
身一つで登るのも難所なのに、私を引き上げてくれた
二人にどんなに感謝したことか。

 夫と花子も自力で登っていた。
 剛力さんは友人につきっきりだった。
誰が拾ってくれたのか、山頂にはかっぱもリュックも着いていた。

 折りあしく悪天候で、富士の峰は寒く、突風もあり、その上濃霧だ。
雷さまを下に聞き、ご来迎も、雲海も見果てぬ夢に終わった。
山頂には浅間神社の奥宮があり、小さい鳥居が立っていた。
感無量で手を合わせた。

 富士山の神秘さ偉大さを実感として捉えた、男たちも女たちも、
みんな活き活きと輝いて見えた。





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