20、迷い込んだ神社
文字数 1,839文字
信じられないことに自分は神社の中に迷い込んでいた。
え? え? え?
頭の中が真っ白になる。
周囲を時計回りに見わたす。
手水舎に社務所、線路に踏切、稲荷神社、ベンチ、階段の向こう側は狛犬の先に社殿、そして、目の前には女蜂神の文字が印字された幟(のぼり)がふたつ、社の入り口に立っていた。
おかしい、絶対におかしい。先ほどまで自分は、シャッターが下りたタバコ屋の屋根の下で雨宿りしていたのだ。それは、間違いない。体は冷やされたが、脳味噌まで凍ったわけではあるまいよ。
それでも、自分がどこからこの神社に入ったのか全く記憶になかった。本当に一瞬で、景色は様変わりした。林に囲まれた神社で僕は、ひとりだった。
「ここはどこ……」
雨は変わらずザアザアと降っていた。僕と外界とを繋ぐものを消して、さらに孤立させようとするかのように。
馬鹿みたいに濡れて呆然と突っ立っていると、視界がわずかに暗くなった。誰かが頭上に傘をさしてくれた。
傘を持つその細く白い手首にピンときた。
「バカね。こんな日に傘を持っていないなんて。天気予報、見てないの?」
さっきまでスクール水着で泳いでいた右京ほたるだった。巫女らしく緋袴姿だ。
「右京さん、家に帰ったんじゃ……」
「窓から見たら鬼月くんが神社の方へ行ったから心配になってきたのよ」
「え、僕って、やっぱり神社に向かって歩いてたの?」
仰天して声が裏返った。
「結界を超えてしまったのね、……私のせいで……」
ぼそっと、彼女は困惑した表情で言った。後半はうまく聞き取れたか自信がないほど消え入りそうな声だった。
「結界?」
「せっかくだから、案内してあげるわ」
ほたるは、余所者の僕だけでなく基本的に男子生徒に対して眼中にないイメージがあったので、意外な申し出に面食らった。
どうやってこの神社ヘ来たのかという問題は解決していなかったが、差し伸べられた花柄の傘を改めて見上げて急に照れくさい気持ちになった。
「右京さんは、ここで巫女を?」
彼女は静かにうなづくと、 低い石段を並んで上り正面の社に入った。
入口に垂れている、家紋か何かが刺繍された暖簾を割って入ると、ガラスのショーケースが並んでいた。左右真正面にとどまらず天井にまでびっしりとお面が掛けられている。
「こりゃ、凄い……」
一番面、二番面と数字の横にお面の名称が書かれている。天狗、異形、翁、猫、おかめ、鬼、鼻長、鴉、ひょっとこ……。
「そういえば、生徒会長が言ってたな。学校と協力しての例大祭では、様々なお面をつけての夜祭パレードがあると」
「もうじきね。毎年死人がでるから、覚悟してね」
「え、死人?」
「あら、エリカから聞いてないの?」
涼しげな声で小首を傾げてくる。
彼女のこげ茶色の切れ長な瞳が僕の心を覗くように見てきた。
---生徒会って黄賀さん一人なの?
---男子四人いたが、みんな死んだ
ふと、生徒会室でのやりとりを思い出す。
「死人って、本当に人が死ぬの?」
「人かどうかわからないけど、死ぬわね」
ゴクリと唾をのみ込んだ。どうして、こんな物騒な話がさらりとできるのか。
「もしかして、生徒会のメンバーが亡くなったっていう?」
「ええ。でも、名誉ある死よ」
その現場を彼女は目の当たりにしたのだろうか。巫女として働く彼女ならば十分にありうることだ。四人の生徒会メンバーがどのような最期を遂げたのか気にはなったが、その詳細を訊けるほどの勇気はなかった。
多種多様なお面を一通り見ていると、ひとつだけスペースが空いているところがあった。
『番外面 鰐』
そう書かれている。
鰐(わに)、間違いない、美星が被っていたお面だ。
「ねぇ、ここにあるお面って一般の人でも被ることってできるの?」
「それは無理ね」
僕は確信する。
緋袴姿の彼女は、いつもと違う神聖な魅力があるのだが、やっぱり普通の人ではないと。どう普通ではないのか、もちろん知る由もないが。
「そろそろ、雨が止むわよ。今のうちに帰りなさい」
社から一歩外に出ると、まるで彼女の言葉が空の果てに通じたのかと思うほど絶妙なタイミングで雨音が小さくなった。
「右京さん、傘ありがとう」
そう言って振り返ると、彼女の姿はどこにもなかった。僕は疲れているのかもしれない。少し寒気がした。
え? え? え?
頭の中が真っ白になる。
周囲を時計回りに見わたす。
手水舎に社務所、線路に踏切、稲荷神社、ベンチ、階段の向こう側は狛犬の先に社殿、そして、目の前には女蜂神の文字が印字された幟(のぼり)がふたつ、社の入り口に立っていた。
おかしい、絶対におかしい。先ほどまで自分は、シャッターが下りたタバコ屋の屋根の下で雨宿りしていたのだ。それは、間違いない。体は冷やされたが、脳味噌まで凍ったわけではあるまいよ。
それでも、自分がどこからこの神社に入ったのか全く記憶になかった。本当に一瞬で、景色は様変わりした。林に囲まれた神社で僕は、ひとりだった。
「ここはどこ……」
雨は変わらずザアザアと降っていた。僕と外界とを繋ぐものを消して、さらに孤立させようとするかのように。
馬鹿みたいに濡れて呆然と突っ立っていると、視界がわずかに暗くなった。誰かが頭上に傘をさしてくれた。
傘を持つその細く白い手首にピンときた。
「バカね。こんな日に傘を持っていないなんて。天気予報、見てないの?」
さっきまでスクール水着で泳いでいた右京ほたるだった。巫女らしく緋袴姿だ。
「右京さん、家に帰ったんじゃ……」
「窓から見たら鬼月くんが神社の方へ行ったから心配になってきたのよ」
「え、僕って、やっぱり神社に向かって歩いてたの?」
仰天して声が裏返った。
「結界を超えてしまったのね、……私のせいで……」
ぼそっと、彼女は困惑した表情で言った。後半はうまく聞き取れたか自信がないほど消え入りそうな声だった。
「結界?」
「せっかくだから、案内してあげるわ」
ほたるは、余所者の僕だけでなく基本的に男子生徒に対して眼中にないイメージがあったので、意外な申し出に面食らった。
どうやってこの神社ヘ来たのかという問題は解決していなかったが、差し伸べられた花柄の傘を改めて見上げて急に照れくさい気持ちになった。
「右京さんは、ここで巫女を?」
彼女は静かにうなづくと、 低い石段を並んで上り正面の社に入った。
入口に垂れている、家紋か何かが刺繍された暖簾を割って入ると、ガラスのショーケースが並んでいた。左右真正面にとどまらず天井にまでびっしりとお面が掛けられている。
「こりゃ、凄い……」
一番面、二番面と数字の横にお面の名称が書かれている。天狗、異形、翁、猫、おかめ、鬼、鼻長、鴉、ひょっとこ……。
「そういえば、生徒会長が言ってたな。学校と協力しての例大祭では、様々なお面をつけての夜祭パレードがあると」
「もうじきね。毎年死人がでるから、覚悟してね」
「え、死人?」
「あら、エリカから聞いてないの?」
涼しげな声で小首を傾げてくる。
彼女のこげ茶色の切れ長な瞳が僕の心を覗くように見てきた。
---生徒会って黄賀さん一人なの?
---男子四人いたが、みんな死んだ
ふと、生徒会室でのやりとりを思い出す。
「死人って、本当に人が死ぬの?」
「人かどうかわからないけど、死ぬわね」
ゴクリと唾をのみ込んだ。どうして、こんな物騒な話がさらりとできるのか。
「もしかして、生徒会のメンバーが亡くなったっていう?」
「ええ。でも、名誉ある死よ」
その現場を彼女は目の当たりにしたのだろうか。巫女として働く彼女ならば十分にありうることだ。四人の生徒会メンバーがどのような最期を遂げたのか気にはなったが、その詳細を訊けるほどの勇気はなかった。
多種多様なお面を一通り見ていると、ひとつだけスペースが空いているところがあった。
『番外面 鰐』
そう書かれている。
鰐(わに)、間違いない、美星が被っていたお面だ。
「ねぇ、ここにあるお面って一般の人でも被ることってできるの?」
「それは無理ね」
僕は確信する。
緋袴姿の彼女は、いつもと違う神聖な魅力があるのだが、やっぱり普通の人ではないと。どう普通ではないのか、もちろん知る由もないが。
「そろそろ、雨が止むわよ。今のうちに帰りなさい」
社から一歩外に出ると、まるで彼女の言葉が空の果てに通じたのかと思うほど絶妙なタイミングで雨音が小さくなった。
「右京さん、傘ありがとう」
そう言って振り返ると、彼女の姿はどこにもなかった。僕は疲れているのかもしれない。少し寒気がした。