26、14年前の夏、帝王貝細工と。その2
文字数 2,180文字
女蜂神社に着くと、襦袢(じゅばん)姿の帝王貝細工が正門で右往左往していた。タクシーから降りると、すぐに社務所に案内された。「ここで待っていてくれ」と、畳の上まで通された。
頭上には素朴な裸電球がぶら下がっている。どこか落ち着かないので正座をして辺りを見渡していると、ようやく帝王貝細工が麦茶を盆にのせて美星と名乗る少女と共に現れた。
刹那、空気の色が変わった。
視線の先には目を見張るほどの美しい少女が佇んでいる。
肌は青白く、遠くを見ているような近くを見ているような定まらない視線に奥行きを感じる銀色の瞳と、肩くらいまで伸びた銀色の髪が特徴的だ。身長は155センチあるだろうか。病衣の上からは、膝まで隠れる薄桃色のロングカーディガンを羽織っていた。
軽く会釈をしたのち、口は動いていたが何も聞き取れず。言葉がわからないのではなく、発語されないのだ。
「なんて言ってるんだ?」
思わず、隣に立つ帝王貝細工に尋ねる。
「初めましてと。樹には聞こえないのか?」
かぶりを振った。
よほど信じられなかったのか、その後も帝王貝細工は美星に向かって彼に何か話しかけるよう何度も促した。
「神の声は一般人には聞こえないのだろう。君は曲がりなりにも神職だからな」
「一言余計だよ、樹」
喉が渇いたので、出された麦茶を口につけた。
「早速だが、頼む」
「そのために呼ばれたんだ。任せろ」
硬く口を真一文字に結んで帝王貝細工はうなづいた。
早速、黒い革の往診バッグを広げて青白い美星の健康状況を診た。聴診器をつけて彼女の心音を確認。続いて、血圧を測定したり口内を診たり一通りのことを行った。
「どうだ、何かわかったか?」
帝王貝細工は扇子を仰ぎながら僕に答えを迫る。
ゆっくりと往診器具を置き、改めて彼に視線を送った。
「臨床研修を終えたばかりで、確かに僕は知識も経験も浅いが……。これは、普通じゃないぞ道隆」
「どういう意味だ」
怯えが声で彼は僕の説明を待つ。
「知っているか。哺乳類と昆虫では、心臓の場所も外観も異なるんだが……」
帝王貝細工は目を瞬いた。
「だから、どういう意味だ」
「実は……」
いつの間にか立場が逆転していた。
「心音が聞こえないんだ」
「え……でも彼女は生きているじゃないか」
「ああ、そうだ」
二人の会話に耳をそばだてることもなく、少女は壁に掛けてある面を眺めていた。
「でも、聞こえないのもまた事実だ。ただな、腰のあたりに聴診器をあてるとわずかにそれらしい音は確認できた。昆虫ならば、細長いもので身体の後ろの方に背脈管というものが存在する」
「それは?」
帝王貝細工は扇子を仰ぐ手を止める。
「つまり、大動脈だよ。心臓や脳は人間と違って特殊なんだ。もっと精密な検査をしてみないとわからないが彼女は通報もしくは隔離した方が良い。得体が知れないぞ」
友人の警告に帝王貝細工は眉根を寄せた。
「まだすべて話していないんだ」
沈鬱な表情で彼は言った。
「すべて話せ」
「……彼女は血まみれで境内に倒れていたところを私が助けた。すぐに救急車を呼ぼうとしたが、応急処置程度で半日後には回復した。右腕に少し傷は見られるものの外傷らしい外傷はない。それと、彼女が現れる前に私は夢を見たんだ」
「まさか」
「そのまさかだよ、樹」
それまで無関心だった少女が、ふと大人たちの会話に入ってきた。少女は無表情で帝王貝細工に何かを伝えようと必死だ。
「なんて?」
「『私を境内で見つけた時、周りに人がいたとしたら何かしらの影響がでるはず』そう言っている」
僕たちは互いに蒼白となった顔を見合わせた。
「影響とは?」
まるで、通訳者のように帝王貝細工は僕の言葉をそのまま彼女に伝えた。少女は即答し、すぐにまた彼が僕に伝言する。
「『本来この神社は、この町は、私たちの世界だから。本能的に女王の命を受けて育つでしょう』って。質問とは食い違っている解答かもしれないが」
それを聞いて思わず息を吐いた。
このお嬢さんは、一種の宇宙人なのか。常識を大きく逸脱している。
「今日のところは帰るけど、また何か言ったら電話してくれ」
急に睡魔が襲ってきたので、お暇することにした。
立ち上がった瞬間、帝王貝細工は情けない声を出して「このことは内密にしてくれるよな?」と懇願してきた。本人にそう告げたことはないが、その瞳は神職に恥じない清廉潔白なもの。
「道隆の秘密を知っている以上、君が少女を何とかしてやりたいと思う気持ちは尊重したいと思っている。しかし、秘密ばかり持つ奴だな」
呆れた声で笑ったが、帝王貝細工は安堵の息を漏らした。
後ろで少女がこちらを澄ました顔で見ていた。手には鰐の面を握っている。
「あの鰐の面、道隆が高校の文化祭で作ったやつだよな?」
「あ、あれな。勝手に例大祭のパレードで使う面の横に、自分の作った玩具の面を並べて、親父に怒られたっけなぁ」
「道隆でも怒られることなんてあるのか」
学生時代の話を懐かしんでいると、少女は鰐の面を被って見せた。間違いなく彼女には心があった。すっかりこの場所が気に入っているようだ。
頭上には素朴な裸電球がぶら下がっている。どこか落ち着かないので正座をして辺りを見渡していると、ようやく帝王貝細工が麦茶を盆にのせて美星と名乗る少女と共に現れた。
刹那、空気の色が変わった。
視線の先には目を見張るほどの美しい少女が佇んでいる。
肌は青白く、遠くを見ているような近くを見ているような定まらない視線に奥行きを感じる銀色の瞳と、肩くらいまで伸びた銀色の髪が特徴的だ。身長は155センチあるだろうか。病衣の上からは、膝まで隠れる薄桃色のロングカーディガンを羽織っていた。
軽く会釈をしたのち、口は動いていたが何も聞き取れず。言葉がわからないのではなく、発語されないのだ。
「なんて言ってるんだ?」
思わず、隣に立つ帝王貝細工に尋ねる。
「初めましてと。樹には聞こえないのか?」
かぶりを振った。
よほど信じられなかったのか、その後も帝王貝細工は美星に向かって彼に何か話しかけるよう何度も促した。
「神の声は一般人には聞こえないのだろう。君は曲がりなりにも神職だからな」
「一言余計だよ、樹」
喉が渇いたので、出された麦茶を口につけた。
「早速だが、頼む」
「そのために呼ばれたんだ。任せろ」
硬く口を真一文字に結んで帝王貝細工はうなづいた。
早速、黒い革の往診バッグを広げて青白い美星の健康状況を診た。聴診器をつけて彼女の心音を確認。続いて、血圧を測定したり口内を診たり一通りのことを行った。
「どうだ、何かわかったか?」
帝王貝細工は扇子を仰ぎながら僕に答えを迫る。
ゆっくりと往診器具を置き、改めて彼に視線を送った。
「臨床研修を終えたばかりで、確かに僕は知識も経験も浅いが……。これは、普通じゃないぞ道隆」
「どういう意味だ」
怯えが声で彼は僕の説明を待つ。
「知っているか。哺乳類と昆虫では、心臓の場所も外観も異なるんだが……」
帝王貝細工は目を瞬いた。
「だから、どういう意味だ」
「実は……」
いつの間にか立場が逆転していた。
「心音が聞こえないんだ」
「え……でも彼女は生きているじゃないか」
「ああ、そうだ」
二人の会話に耳をそばだてることもなく、少女は壁に掛けてある面を眺めていた。
「でも、聞こえないのもまた事実だ。ただな、腰のあたりに聴診器をあてるとわずかにそれらしい音は確認できた。昆虫ならば、細長いもので身体の後ろの方に背脈管というものが存在する」
「それは?」
帝王貝細工は扇子を仰ぐ手を止める。
「つまり、大動脈だよ。心臓や脳は人間と違って特殊なんだ。もっと精密な検査をしてみないとわからないが彼女は通報もしくは隔離した方が良い。得体が知れないぞ」
友人の警告に帝王貝細工は眉根を寄せた。
「まだすべて話していないんだ」
沈鬱な表情で彼は言った。
「すべて話せ」
「……彼女は血まみれで境内に倒れていたところを私が助けた。すぐに救急車を呼ぼうとしたが、応急処置程度で半日後には回復した。右腕に少し傷は見られるものの外傷らしい外傷はない。それと、彼女が現れる前に私は夢を見たんだ」
「まさか」
「そのまさかだよ、樹」
それまで無関心だった少女が、ふと大人たちの会話に入ってきた。少女は無表情で帝王貝細工に何かを伝えようと必死だ。
「なんて?」
「『私を境内で見つけた時、周りに人がいたとしたら何かしらの影響がでるはず』そう言っている」
僕たちは互いに蒼白となった顔を見合わせた。
「影響とは?」
まるで、通訳者のように帝王貝細工は僕の言葉をそのまま彼女に伝えた。少女は即答し、すぐにまた彼が僕に伝言する。
「『本来この神社は、この町は、私たちの世界だから。本能的に女王の命を受けて育つでしょう』って。質問とは食い違っている解答かもしれないが」
それを聞いて思わず息を吐いた。
このお嬢さんは、一種の宇宙人なのか。常識を大きく逸脱している。
「今日のところは帰るけど、また何か言ったら電話してくれ」
急に睡魔が襲ってきたので、お暇することにした。
立ち上がった瞬間、帝王貝細工は情けない声を出して「このことは内密にしてくれるよな?」と懇願してきた。本人にそう告げたことはないが、その瞳は神職に恥じない清廉潔白なもの。
「道隆の秘密を知っている以上、君が少女を何とかしてやりたいと思う気持ちは尊重したいと思っている。しかし、秘密ばかり持つ奴だな」
呆れた声で笑ったが、帝王貝細工は安堵の息を漏らした。
後ろで少女がこちらを澄ました顔で見ていた。手には鰐の面を握っている。
「あの鰐の面、道隆が高校の文化祭で作ったやつだよな?」
「あ、あれな。勝手に例大祭のパレードで使う面の横に、自分の作った玩具の面を並べて、親父に怒られたっけなぁ」
「道隆でも怒られることなんてあるのか」
学生時代の話を懐かしんでいると、少女は鰐の面を被って見せた。間違いなく彼女には心があった。すっかりこの場所が気に入っているようだ。