【銀色】
文字数 1,628文字
和太鼓や笛の音が高揚感を煽る。蝉もその音にかき消されないよう必死に鳴き続ける。
浩司も興奮気味に踊り出して僕の手から何度も離れたがっている。
「人が多いから、ぶつかるぞ」
叱責するも浩司は言うことをきかない。前へ、前へ、歩を進めてゆけばゆくほど、すれ違う浴衣姿の人々でごった返していた。
浩司のことばかり気にかけていたら、歩行中、誰かにぶつかったのか、それとも何かに刺されたのか腹部にチクリと痛みを感じた。
「痛っ」
反射的に叫ぶと、手足を動かして踊っていた浩司がぱたりとやめる。
「にぃにぃ、痛い?」
「なんでもない」
強がりを言って見せる。
その時、いっせいにみんなが手に持っていたカメラを高い位置に掲げはじめた。浩司が見たいと駄々をこねるので、大人たちの足元を潜り抜けるようにして前へ移動した。
すると、坂の上からぞろぞろと異形の顔をした者がゆっくりと歩いてくるのが見えた。まるでおとぎ話の世界にいるような、不思議な感覚に囚われる。
顔面が青く塗られたひょっとこに、土色の肌に腫れあがった頬のお爺さん。大きな鼻にだらしない口元から突き出した牙を持つ老婆。憤怒をたたえた真っ赤な天狗。黄色いぎょろ目の鴉。
浩司は遊園地やデパートの着ぐるみを前にしても怖くて逃げてしまうのだ。すぐに帰りたいと言い出すに決まっている。
しかし、握る手に力は入ったものの、次々と通り過ぎる異形の彼らを食い入るように眺めていた。
「にぃにぃ、銀色が来る」
「銀色?」
「銀色、銀色が来るんだ」
やけに落ち着き払った声で、浩司は何度も繰り返す。ただでさえ知らない土地にふたりだけで行動していたのだ。わけのわからないことを言われて、不安が助長された。
「浩ちゃん、そろそろ駅に行こう。ママとパパと三十分だけって約束しただろう?」
浩司の言葉を無視して左手を強く引っ張った。
「来るんだよ!」
ヒステリックに叫び、僕の手を振り払う浩司。母から借りた腕時計を見ると、すでに約束の時間は過ぎていた。ふと、浩司を見て強い違和感を持つ。眼前の異形たちを見ていないのだ。浩司ただひとりだけが、パレードの後方に焦点を合わせていた。
強い力にでも惹きつけられるように。
「来た!」
その声につられて坂の上を見た。誰もそこにはいない。
「浩ちゃん、もう帰るよ」
ため息交じりに言ったその時。
黒と灰色の頭巾に何かのお面をつけた子供の影が目の前をよぎった。
鼓動が速くなる。
……自分は、何を見たのか。
「銀色だね」
浩司は、うっとりするような目をしながら最後尾を見送っていた。見物客たちが四方に散らばりだしたが、僕たちはしばらく無言のまま佇んでいた。金縛りにあったように身動きがとれなかったわけではない。それなのに、身体中が重たく感じられた。
そのうち血相を抱えて母が迎えに来た。浩司は我に返ったように母の足元に飛びつき、「お腹すいたー」と甘えた。弟にとってパレードはすでに過去のことなのか、夜になっても親に話そうとしなかったのは想定外だった。僕たちだけの秘密にしたいのかもしれない。勝手にそう受け取った僕もまた、あの奇祭について誰にも打ち明けなかった。
その一週間後、弟の浩司が高熱をだした。
父は医療具が入ったセットを持ち出し、浅い呼吸を繰り返す弟に付き添った。母も水枕を交換したり、浩司の手を握ったりと、必死の看病を続けた。
三日目、浩司が突然うなされたように「ヨソモノヨソモノ!」と叫び出した。僕は「こわい夢見たの? どうしたの?」と声をかけるも、『ヨソモノ』の四文字を繰り返すだけで会話にならなかった。
その後、父の病院に入院したが、次の日も、また次の日もなにかに憑りつかれたように叫び続けた。祈祷師を呼んだ方が良いと真顔で言う父をよそに、その夜、弟は息絶えた。
あまりに突然のことで、家族の誰もが弟の死を受け入れられなかったーー。
浩司も興奮気味に踊り出して僕の手から何度も離れたがっている。
「人が多いから、ぶつかるぞ」
叱責するも浩司は言うことをきかない。前へ、前へ、歩を進めてゆけばゆくほど、すれ違う浴衣姿の人々でごった返していた。
浩司のことばかり気にかけていたら、歩行中、誰かにぶつかったのか、それとも何かに刺されたのか腹部にチクリと痛みを感じた。
「痛っ」
反射的に叫ぶと、手足を動かして踊っていた浩司がぱたりとやめる。
「にぃにぃ、痛い?」
「なんでもない」
強がりを言って見せる。
その時、いっせいにみんなが手に持っていたカメラを高い位置に掲げはじめた。浩司が見たいと駄々をこねるので、大人たちの足元を潜り抜けるようにして前へ移動した。
すると、坂の上からぞろぞろと異形の顔をした者がゆっくりと歩いてくるのが見えた。まるでおとぎ話の世界にいるような、不思議な感覚に囚われる。
顔面が青く塗られたひょっとこに、土色の肌に腫れあがった頬のお爺さん。大きな鼻にだらしない口元から突き出した牙を持つ老婆。憤怒をたたえた真っ赤な天狗。黄色いぎょろ目の鴉。
浩司は遊園地やデパートの着ぐるみを前にしても怖くて逃げてしまうのだ。すぐに帰りたいと言い出すに決まっている。
しかし、握る手に力は入ったものの、次々と通り過ぎる異形の彼らを食い入るように眺めていた。
「にぃにぃ、銀色が来る」
「銀色?」
「銀色、銀色が来るんだ」
やけに落ち着き払った声で、浩司は何度も繰り返す。ただでさえ知らない土地にふたりだけで行動していたのだ。わけのわからないことを言われて、不安が助長された。
「浩ちゃん、そろそろ駅に行こう。ママとパパと三十分だけって約束しただろう?」
浩司の言葉を無視して左手を強く引っ張った。
「来るんだよ!」
ヒステリックに叫び、僕の手を振り払う浩司。母から借りた腕時計を見ると、すでに約束の時間は過ぎていた。ふと、浩司を見て強い違和感を持つ。眼前の異形たちを見ていないのだ。浩司ただひとりだけが、パレードの後方に焦点を合わせていた。
強い力にでも惹きつけられるように。
「来た!」
その声につられて坂の上を見た。誰もそこにはいない。
「浩ちゃん、もう帰るよ」
ため息交じりに言ったその時。
黒と灰色の頭巾に何かのお面をつけた子供の影が目の前をよぎった。
鼓動が速くなる。
……自分は、何を見たのか。
「銀色だね」
浩司は、うっとりするような目をしながら最後尾を見送っていた。見物客たちが四方に散らばりだしたが、僕たちはしばらく無言のまま佇んでいた。金縛りにあったように身動きがとれなかったわけではない。それなのに、身体中が重たく感じられた。
そのうち血相を抱えて母が迎えに来た。浩司は我に返ったように母の足元に飛びつき、「お腹すいたー」と甘えた。弟にとってパレードはすでに過去のことなのか、夜になっても親に話そうとしなかったのは想定外だった。僕たちだけの秘密にしたいのかもしれない。勝手にそう受け取った僕もまた、あの奇祭について誰にも打ち明けなかった。
その一週間後、弟の浩司が高熱をだした。
父は医療具が入ったセットを持ち出し、浅い呼吸を繰り返す弟に付き添った。母も水枕を交換したり、浩司の手を握ったりと、必死の看病を続けた。
三日目、浩司が突然うなされたように「ヨソモノヨソモノ!」と叫び出した。僕は「こわい夢見たの? どうしたの?」と声をかけるも、『ヨソモノ』の四文字を繰り返すだけで会話にならなかった。
その後、父の病院に入院したが、次の日も、また次の日もなにかに憑りつかれたように叫び続けた。祈祷師を呼んだ方が良いと真顔で言う父をよそに、その夜、弟は息絶えた。
あまりに突然のことで、家族の誰もが弟の死を受け入れられなかったーー。