21、生の声
文字数 1,504文字
夏風邪をこじらせてしまい、丸三日間は家から出られなかった。
中古のハードディスクに保存されていた写真の中で、美星と思われる少女の顔が一番はっきりと写っていたもの---神主と一緒に写っている写真---をわざわざ携帯に転送した。
朝からずっと眺めっぱなしだが、誤解しないでほしい、眺めているだけだ。それにしても、あの時、美星のことを右京ほたるに訊けば良かったと少し後悔している。
気晴らしに横になったまま『鰐、神』で検索してみた。セベクという鰐の頭を持つエジプトの神がイラスト付きでヒット。その名の意味は、『妊娠するかしないかを決める者』だと言う。
こんなことを調べたところで、美星の素性を知ることができないのは百も承知だった。しかし、そこから美星と妊娠するまでの過程を想像してしまうところが中二男子というもの。しばらくベッドの中で悶々してしまった。
カーテンを開けると、数日前の台風は遠い過去でカンカン照りだった。
もう一度携帯で時刻を確認。7時30分。あれ以来、妙な表示にはなっていない。
その時、携帯が鳴った。着信相手は兵頭だ。
「おはよう5番!」
「おはよう4番!」
「な、なんで、5番、俺の出席番号を……」
心底、ドギマギする兵頭、実はからかいがあるやつなのではと最近思う。
「キミが5番5番って呼ぶから、調べたんだよ。どう、呼ばれて気分良い?」
「良いものか!」
相手にも聞こえるようにため息を突く。
「自分がされて嫌なことはしてはいけない、親から言われなかった?」
「俺に親はいない」
「それは、何設定?」
「いや、マジで」
「あ、それはすまない」
不毛な会話は、予想外のところで終止した。
居心地の悪い沈黙に包まれる。
「あ、でも、親父だけはいる」
小声で付け加えた兵頭に、僕は間を置いてから笑った。
「お、おい! 5番、笑うな! 第一、笑うところかっ!」
「ごめんごめん。相変わらず、面白い人だなって。それで、用事は? 用事がなきゃ、わざわざ野郎になんてかけてこないだろう?」
兵頭は我に返ったように本題を切り出す。
「来たる例大祭の前準備を行う。場所は、相沢宅。5番は、筆工房の場所を知っているようなので場所は割愛する。本日午後一時にその場にて集合。良いな?」
断ると面倒になるのが目に見えていた。特にこれといって用事もなかった。相沢の家はPCショップの近くなので解散後に立ち寄るのも一案かもしれない。
「良いよ。何か持っていくものとかある?」
と、声の下から兵頭は、
「靴の手入れとか、わかるか?」
と場違いなことを訊いてきた。
「ハッ?」
「靴の手入れだ。おまえの靴は小ぎれいなものが多い。革靴をどうしたら長持ちさせられるのか訊いてる」
いつも早口の兵頭が、珍しくゆっくりと話す。それだけでも笑い転げそうになったが、必死に堪えて真面目に答えてやった。
「よく見てるねぇ。兵頭くんは、乳化性のクリーム使ってるの?」
「何? 乳製品のクリーム?」
「違う違う。乳化性のクリーム。他にもレザーローションとか油性ワックスとか革靴の手入れに使うものには種類があるんだよ」
「待て待て待て、メモをする」
「メモしなくたって、ネットで検索すればいくらでも情報は手に入るよ」
「だが、ネットの声ではなく、俺は生の声を尊重したいのだ」
信用してもらえて光栄だと口にしようとしたが、男をこれ以上デレさせるのは趣味ではないのでやめておいた。なぜか、途中から革靴お手入れ講座になったが、べつだん悪い気はしなかった。
中古のハードディスクに保存されていた写真の中で、美星と思われる少女の顔が一番はっきりと写っていたもの---神主と一緒に写っている写真---をわざわざ携帯に転送した。
朝からずっと眺めっぱなしだが、誤解しないでほしい、眺めているだけだ。それにしても、あの時、美星のことを右京ほたるに訊けば良かったと少し後悔している。
気晴らしに横になったまま『鰐、神』で検索してみた。セベクという鰐の頭を持つエジプトの神がイラスト付きでヒット。その名の意味は、『妊娠するかしないかを決める者』だと言う。
こんなことを調べたところで、美星の素性を知ることができないのは百も承知だった。しかし、そこから美星と妊娠するまでの過程を想像してしまうところが中二男子というもの。しばらくベッドの中で悶々してしまった。
カーテンを開けると、数日前の台風は遠い過去でカンカン照りだった。
もう一度携帯で時刻を確認。7時30分。あれ以来、妙な表示にはなっていない。
その時、携帯が鳴った。着信相手は兵頭だ。
「おはよう5番!」
「おはよう4番!」
「な、なんで、5番、俺の出席番号を……」
心底、ドギマギする兵頭、実はからかいがあるやつなのではと最近思う。
「キミが5番5番って呼ぶから、調べたんだよ。どう、呼ばれて気分良い?」
「良いものか!」
相手にも聞こえるようにため息を突く。
「自分がされて嫌なことはしてはいけない、親から言われなかった?」
「俺に親はいない」
「それは、何設定?」
「いや、マジで」
「あ、それはすまない」
不毛な会話は、予想外のところで終止した。
居心地の悪い沈黙に包まれる。
「あ、でも、親父だけはいる」
小声で付け加えた兵頭に、僕は間を置いてから笑った。
「お、おい! 5番、笑うな! 第一、笑うところかっ!」
「ごめんごめん。相変わらず、面白い人だなって。それで、用事は? 用事がなきゃ、わざわざ野郎になんてかけてこないだろう?」
兵頭は我に返ったように本題を切り出す。
「来たる例大祭の前準備を行う。場所は、相沢宅。5番は、筆工房の場所を知っているようなので場所は割愛する。本日午後一時にその場にて集合。良いな?」
断ると面倒になるのが目に見えていた。特にこれといって用事もなかった。相沢の家はPCショップの近くなので解散後に立ち寄るのも一案かもしれない。
「良いよ。何か持っていくものとかある?」
と、声の下から兵頭は、
「靴の手入れとか、わかるか?」
と場違いなことを訊いてきた。
「ハッ?」
「靴の手入れだ。おまえの靴は小ぎれいなものが多い。革靴をどうしたら長持ちさせられるのか訊いてる」
いつも早口の兵頭が、珍しくゆっくりと話す。それだけでも笑い転げそうになったが、必死に堪えて真面目に答えてやった。
「よく見てるねぇ。兵頭くんは、乳化性のクリーム使ってるの?」
「何? 乳製品のクリーム?」
「違う違う。乳化性のクリーム。他にもレザーローションとか油性ワックスとか革靴の手入れに使うものには種類があるんだよ」
「待て待て待て、メモをする」
「メモしなくたって、ネットで検索すればいくらでも情報は手に入るよ」
「だが、ネットの声ではなく、俺は生の声を尊重したいのだ」
信用してもらえて光栄だと口にしようとしたが、男をこれ以上デレさせるのは趣味ではないのでやめておいた。なぜか、途中から革靴お手入れ講座になったが、べつだん悪い気はしなかった。