24、黒幕
文字数 3,790文字
前に数回訪れた時とは違い、女蜂神社が狭く感じられた。
社務所の前には大きな神輿が置かれている。白い装束に黒い烏帽子姿の神官が、数名社務所から出てきて準備を手伝っていた。
その横で、エリカをはじめ、石井ちゃんや乃瑛琉が並んでいるのを確認。乃瑛琉も陽射しには弱いのか、赤い和傘を差していて愛らしい。石段を上り下りしていた兵頭も、本殿の方から大仰に手を振っていた。
「兄者と意気投合したのか? 丹司も変わり者だな」
エリカは意地悪そうに笑った。
「キミにだけは言われたくないよ」
自嘲気味に返すと、乃瑛琉は口元に両手をあてて笑った。正直、複雑な気持ちではあったが、辛い記憶だけが消えてなくなってくれたのなら、あれはあれで良かったのかもしれない。
「飾り付けがまだ少し残ってる。雄ども、働けよ?」
エリカが命じるままに、裏生徒会メンバーは動く。口が悪いなぁ、人使いが荒いなぁと思う反面、誰も口にはしないが、彼女の仕事に対する情熱を誰もが尊敬していた。
いよいよ、開会式の時間。
本殿の前には、参列者が犇(ひし)めいていた。一般的な例大祭とは異なり、神職が少ないこともあり、市の自治体だけでなく芽八中学校も協賛という形で行われる。それで、僕たちは最前列に並ぶことができると言うわけだ。
「これより、第42回女蜂神社の例大祭を執り行います」
本殿の右手から現れた生徒会長のエリカが、堂々と典儀を担った。
いつの間にか石井ちゃんは下僕として駆り出され、エリカの横で山吹色の和傘をずっと差す役に。僕と兵頭は声を立てずともその姿を見て笑った。
「まずは、『修祓(しゅばつ)の儀』を始めます」
その瞬間、本殿の左側にある支柱の裏で控えていた右京ほたるが登場した。その場がパッと華やぐ。
普段の緋袴とは別の祭儀の時に着用する衣装はとても豪華だった。赤い生地に金粉が練り込んであるのだろうか。日光に反射してキラキラと光っている。よく見ると胸元や袖の白い部分は花柄の刺繍が施されていた。丹念にされた化粧が大人っぽい。口元のルージュと相乗効果で耳元の赤いイヤリングもより輝いていた。
本業だと言い切っていたほたる。颯爽と薄暗い本殿の中へと入って行く姿は、他のクラスメイトとはまるで違う大きな覚悟を背負っているように見えた。まさに、近くて遠い存在。
ほたるが本殿の奥に向かい拝礼を二回すると、エリカが「ご一同様、ご低頭下さい」と甲高い声で告げる。
本殿の中でほたるが祝詞を詠み上げ始めると、参列者の背筋も自然と伸びた。その間、競い合うように蝉が女蜂神社の周りで旺盛に鳴いた。燈籠の淡い色に馴染むほたるの華やかな装束に、しばし見惚れてしまっま。
途中、兵頭はじっとしていられないのか、携帯を取り出すなりネットオークションの入札状況を調べたり、他のクラスメイトを見つけては身振り手振りで自分の居場所をアピールするなど、無礼極まりない行動が露呈。そのたびに僕は肘で小突いたり、小声で「やめとけ」と耳元で注意するはめに。
そして、祝詞も終盤に差し掛かってきた頃、本殿の奥から凄まじい光が放出された。これは異例の事態なのだろうか。周囲の大人たちも互いの顔を見合わせながら何事かと囁いている。
エリカも持ち場から離れ、本殿の中を覗きだす始末。
「おいおい、あれ見ろよ……」
兵頭の震えた声。
前方を見ると、上方から何かが吊り下げられて下りてきた。
悪寒が走る。
見てはならないようなものが吊り下げられている。
蜂の巣のような歪な形。
器に入っているものは、人型ミイラだった。ところどころ包帯で巻かれた人体。その腹部には大きく抉られたような傷跡が確認できた。腰のあたりは、銀色のしめ縄で硬く結ばれている。
間違いない。
あれは、市立病院で見た包帯の…… しかも昨夜、父の車のトランクに入っていた……。
宙吊りの形でお目見えしたご神体。
周囲からも『ご神体』の三文字が聞こえてくる。
恐怖に怯えた声。発狂寸前の声。弱々しい涙声。
それでも、エリカは両肘を抱えながら持ち場に戻った。兵頭は携帯のカメラに収めたがっていたが、いつにも増して真顔の乃瑛琉に止められていた。
「『新帝王貝細工様』!」
突如、叫ぶように右京ほたるがその名を口にする。
まさか、まさか、このご神体が帝王貝細工?いや、新とあらば、生まれ代わりか?
参列者の間でどよめきが起こった。
そんな中でも、ほたるは冷静沈着に祝詞を最後まで読み終えると、本殿からゆっくりと退場。僕からしてみれば、この状況でもやるべきことを果たすほたるの方がよっぽど神に見えた。
「おいおい……帝王貝細工って死んでたのかよ」
歯をカタカタ震わせながら情けない顔で兵頭が訊いてくる。
「生きてるじゃない。どんな形でもね、魂は消えないのよー」
対照的に乃瑛琉は飄々と答える。
「父は、神主の帝王貝細工とは昔から親しい。この町に来たのも、彼に手を貸すためだと言っていた。どういうことなのか……」
僕の話に興味を持ったのか、後ろからビーネが顔を出す。
「ダディ医者だよね? 笑う。あんな姿になったのは、丹司お兄ちゃんのダディの手術のせいだったり、し、て、な? 超スケアリー」
この状況を楽しむような軽率な物言いは不快だったが、その可能性を疑う必要はあった。
無意識に父の姿を目で探している自分。
緑の影に隠れていないか、お面が保管されている社の方か、社務所の二階はどうだろう、いやはや、本殿の奥でご神体を見張っているのではないだろうか。
ポケットから取り出した携帯で父にかけてみたが、通話音のみ。
その間も、三人を含み周りはご神体の話でもちきりになっていた。
これ以上、自分も抱えきれなかった。気づくと口をついてあの日のことを話していた。
「実は入院してる時……見たんだ……市立病院で」
声を潜めて言うと、兵頭、乃瑛琉、ビーネの三人は頭を寄せてきた。
「巨大な水槽に繋がれて横になっていた……包帯で顔全体が隠された男を……。もしかしたら、父はそこで……」
「いったい何のためだよ」
兵頭は膝を抱えながら怯えた様子でつぶやく。
「わからない……」
「ダディは、信仰にのめり込んだんじゃないか? 家族にも言えなかった、なんてよくある話だ」
ビーネは顎を摩りながらそれっぽい推察をする。確かに、その線がないとは言い切れない。信仰にのめり込んでいたとしたら、家族といる時間の中でその片鱗を見せるはずだ。友人に何かしらの弱みを握られ、この芽八ならば人を殺めても罪にならないとでも思ったか。
暑さも手伝ってか、ふらりと立ち眩みがした。
その間も、芽八市メバチ商店街の商工会長が簡単な挨拶を行ったりしていたが、一言も耳に入ってこなかった。視界の端でもエリカは、本殿の奥の様子が気になってしかたがないふうだった。当然だ。あんなものを見せつけられて冷静でいられるわけがない。
挨拶も終わり、最後はエリカの
「ご一同様、これにて祭礼の儀を終わります」
の一言で締めくくられた。
何とか無事に大役を務め上げたエリカに僕は心の中で全力の拍手を送った。
すぐに本殿横のスペースに和太鼓が設置され、法被姿にねじり鉢巻きを頭部に巻いた中年の芽八中学のOBや近所の子供たちが待機に入った。父兄らも我が子を囲むように場所取りをし、携帯やデジカメを用意して今か今かと演奏が始まるのを待ち構えていた。
かくいう僕は、それどころではなかった。一番に参列者の集団から抜け出して父を探した。
石段を下りて、手始めに社務所や、手水舎と絵馬かけがある入り口付近をあたってみた。人ごみをかき分けて歩くだけで時間がとられるもどかしさ。境内で打ち鳴らされる和太鼓の勇ましい音。ただただ、焦燥感に駆られてゆく。
特に手ごたえはなく、本殿の方へ引き返そうとしたその時。ついに、探していた父の姿を認めた。場違いと思える白衣を羽織っているではないか。
「すいません、通してください。すいません。ごめんなさい」
人波をかき分けて父の方へと向かった。
「父さん!」
その呼び声に振り向いた父は、ニコリともせずに憮然としている。
「おかしいよね? あのご神体、お父さんが昨日車で運んでたよね? そもそも、一般人が立ち入れない場所で、ご神体になる前の体を巨大な水槽に繋いで人体実験みたいなことをしてたのは、お父さんだよね? 何が、何が目的であんなことしたんだよ、この場で答えてよ!」
僕の悲痛の叫びは、神社全体にこだました。
父の白衣に掴みかかろうと距離を詰めたが、あっという間に僕は数人の大人たちに取り押さえられ、強い鎮静剤を注射された。
無力すぎて格好悪い僕の周りには、脱兎のごとく駆けつけてくれた仲間たち。
僕の名前をしきりに呼んでいた。
みんな父には気をつけろ!気をつけるんだ!
虚しくも、その言葉は声にならない。
意識は完全に、暗闇に投げ込まれてしまった。
社務所の前には大きな神輿が置かれている。白い装束に黒い烏帽子姿の神官が、数名社務所から出てきて準備を手伝っていた。
その横で、エリカをはじめ、石井ちゃんや乃瑛琉が並んでいるのを確認。乃瑛琉も陽射しには弱いのか、赤い和傘を差していて愛らしい。石段を上り下りしていた兵頭も、本殿の方から大仰に手を振っていた。
「兄者と意気投合したのか? 丹司も変わり者だな」
エリカは意地悪そうに笑った。
「キミにだけは言われたくないよ」
自嘲気味に返すと、乃瑛琉は口元に両手をあてて笑った。正直、複雑な気持ちではあったが、辛い記憶だけが消えてなくなってくれたのなら、あれはあれで良かったのかもしれない。
「飾り付けがまだ少し残ってる。雄ども、働けよ?」
エリカが命じるままに、裏生徒会メンバーは動く。口が悪いなぁ、人使いが荒いなぁと思う反面、誰も口にはしないが、彼女の仕事に対する情熱を誰もが尊敬していた。
いよいよ、開会式の時間。
本殿の前には、参列者が犇(ひし)めいていた。一般的な例大祭とは異なり、神職が少ないこともあり、市の自治体だけでなく芽八中学校も協賛という形で行われる。それで、僕たちは最前列に並ぶことができると言うわけだ。
「これより、第42回女蜂神社の例大祭を執り行います」
本殿の右手から現れた生徒会長のエリカが、堂々と典儀を担った。
いつの間にか石井ちゃんは下僕として駆り出され、エリカの横で山吹色の和傘をずっと差す役に。僕と兵頭は声を立てずともその姿を見て笑った。
「まずは、『修祓(しゅばつ)の儀』を始めます」
その瞬間、本殿の左側にある支柱の裏で控えていた右京ほたるが登場した。その場がパッと華やぐ。
普段の緋袴とは別の祭儀の時に着用する衣装はとても豪華だった。赤い生地に金粉が練り込んであるのだろうか。日光に反射してキラキラと光っている。よく見ると胸元や袖の白い部分は花柄の刺繍が施されていた。丹念にされた化粧が大人っぽい。口元のルージュと相乗効果で耳元の赤いイヤリングもより輝いていた。
本業だと言い切っていたほたる。颯爽と薄暗い本殿の中へと入って行く姿は、他のクラスメイトとはまるで違う大きな覚悟を背負っているように見えた。まさに、近くて遠い存在。
ほたるが本殿の奥に向かい拝礼を二回すると、エリカが「ご一同様、ご低頭下さい」と甲高い声で告げる。
本殿の中でほたるが祝詞を詠み上げ始めると、参列者の背筋も自然と伸びた。その間、競い合うように蝉が女蜂神社の周りで旺盛に鳴いた。燈籠の淡い色に馴染むほたるの華やかな装束に、しばし見惚れてしまっま。
途中、兵頭はじっとしていられないのか、携帯を取り出すなりネットオークションの入札状況を調べたり、他のクラスメイトを見つけては身振り手振りで自分の居場所をアピールするなど、無礼極まりない行動が露呈。そのたびに僕は肘で小突いたり、小声で「やめとけ」と耳元で注意するはめに。
そして、祝詞も終盤に差し掛かってきた頃、本殿の奥から凄まじい光が放出された。これは異例の事態なのだろうか。周囲の大人たちも互いの顔を見合わせながら何事かと囁いている。
エリカも持ち場から離れ、本殿の中を覗きだす始末。
「おいおい、あれ見ろよ……」
兵頭の震えた声。
前方を見ると、上方から何かが吊り下げられて下りてきた。
悪寒が走る。
見てはならないようなものが吊り下げられている。
蜂の巣のような歪な形。
器に入っているものは、人型ミイラだった。ところどころ包帯で巻かれた人体。その腹部には大きく抉られたような傷跡が確認できた。腰のあたりは、銀色のしめ縄で硬く結ばれている。
間違いない。
あれは、市立病院で見た包帯の…… しかも昨夜、父の車のトランクに入っていた……。
宙吊りの形でお目見えしたご神体。
周囲からも『ご神体』の三文字が聞こえてくる。
恐怖に怯えた声。発狂寸前の声。弱々しい涙声。
それでも、エリカは両肘を抱えながら持ち場に戻った。兵頭は携帯のカメラに収めたがっていたが、いつにも増して真顔の乃瑛琉に止められていた。
「『新帝王貝細工様』!」
突如、叫ぶように右京ほたるがその名を口にする。
まさか、まさか、このご神体が帝王貝細工?いや、新とあらば、生まれ代わりか?
参列者の間でどよめきが起こった。
そんな中でも、ほたるは冷静沈着に祝詞を最後まで読み終えると、本殿からゆっくりと退場。僕からしてみれば、この状況でもやるべきことを果たすほたるの方がよっぽど神に見えた。
「おいおい……帝王貝細工って死んでたのかよ」
歯をカタカタ震わせながら情けない顔で兵頭が訊いてくる。
「生きてるじゃない。どんな形でもね、魂は消えないのよー」
対照的に乃瑛琉は飄々と答える。
「父は、神主の帝王貝細工とは昔から親しい。この町に来たのも、彼に手を貸すためだと言っていた。どういうことなのか……」
僕の話に興味を持ったのか、後ろからビーネが顔を出す。
「ダディ医者だよね? 笑う。あんな姿になったのは、丹司お兄ちゃんのダディの手術のせいだったり、し、て、な? 超スケアリー」
この状況を楽しむような軽率な物言いは不快だったが、その可能性を疑う必要はあった。
無意識に父の姿を目で探している自分。
緑の影に隠れていないか、お面が保管されている社の方か、社務所の二階はどうだろう、いやはや、本殿の奥でご神体を見張っているのではないだろうか。
ポケットから取り出した携帯で父にかけてみたが、通話音のみ。
その間も、三人を含み周りはご神体の話でもちきりになっていた。
これ以上、自分も抱えきれなかった。気づくと口をついてあの日のことを話していた。
「実は入院してる時……見たんだ……市立病院で」
声を潜めて言うと、兵頭、乃瑛琉、ビーネの三人は頭を寄せてきた。
「巨大な水槽に繋がれて横になっていた……包帯で顔全体が隠された男を……。もしかしたら、父はそこで……」
「いったい何のためだよ」
兵頭は膝を抱えながら怯えた様子でつぶやく。
「わからない……」
「ダディは、信仰にのめり込んだんじゃないか? 家族にも言えなかった、なんてよくある話だ」
ビーネは顎を摩りながらそれっぽい推察をする。確かに、その線がないとは言い切れない。信仰にのめり込んでいたとしたら、家族といる時間の中でその片鱗を見せるはずだ。友人に何かしらの弱みを握られ、この芽八ならば人を殺めても罪にならないとでも思ったか。
暑さも手伝ってか、ふらりと立ち眩みがした。
その間も、芽八市メバチ商店街の商工会長が簡単な挨拶を行ったりしていたが、一言も耳に入ってこなかった。視界の端でもエリカは、本殿の奥の様子が気になってしかたがないふうだった。当然だ。あんなものを見せつけられて冷静でいられるわけがない。
挨拶も終わり、最後はエリカの
「ご一同様、これにて祭礼の儀を終わります」
の一言で締めくくられた。
何とか無事に大役を務め上げたエリカに僕は心の中で全力の拍手を送った。
すぐに本殿横のスペースに和太鼓が設置され、法被姿にねじり鉢巻きを頭部に巻いた中年の芽八中学のOBや近所の子供たちが待機に入った。父兄らも我が子を囲むように場所取りをし、携帯やデジカメを用意して今か今かと演奏が始まるのを待ち構えていた。
かくいう僕は、それどころではなかった。一番に参列者の集団から抜け出して父を探した。
石段を下りて、手始めに社務所や、手水舎と絵馬かけがある入り口付近をあたってみた。人ごみをかき分けて歩くだけで時間がとられるもどかしさ。境内で打ち鳴らされる和太鼓の勇ましい音。ただただ、焦燥感に駆られてゆく。
特に手ごたえはなく、本殿の方へ引き返そうとしたその時。ついに、探していた父の姿を認めた。場違いと思える白衣を羽織っているではないか。
「すいません、通してください。すいません。ごめんなさい」
人波をかき分けて父の方へと向かった。
「父さん!」
その呼び声に振り向いた父は、ニコリともせずに憮然としている。
「おかしいよね? あのご神体、お父さんが昨日車で運んでたよね? そもそも、一般人が立ち入れない場所で、ご神体になる前の体を巨大な水槽に繋いで人体実験みたいなことをしてたのは、お父さんだよね? 何が、何が目的であんなことしたんだよ、この場で答えてよ!」
僕の悲痛の叫びは、神社全体にこだました。
父の白衣に掴みかかろうと距離を詰めたが、あっという間に僕は数人の大人たちに取り押さえられ、強い鎮静剤を注射された。
無力すぎて格好悪い僕の周りには、脱兎のごとく駆けつけてくれた仲間たち。
僕の名前をしきりに呼んでいた。
みんな父には気をつけろ!気をつけるんだ!
虚しくも、その言葉は声にならない。
意識は完全に、暗闇に投げ込まれてしまった。