17、身代わり
文字数 1,647文字
その日、父親は帰ってこなかった。
気にならないと言えば嘘になるが、帰ってくれば岡林の話になるに違いない。正直、学級裁判の一件はもう思い出したくなかったので好都合とも言える。
アイスキャンディー片手にPCをいじっていたら、携帯が鳴った。非通知だったので躊躇したが、無感情を装って「もしもし」と応答。
しかし、誰も応答しない。
今度は少し警戒気味に「もしもし」と告げると、女の吐息が返ってきた。
「お話して、お話」
か細い声だったが、全身にほとばしる熱を感じた。
携帯を強く握りしめた。
「どこにいるの?」
「神社よ」
「今から行けば会える?」
「夜来てはダメよ。魔物がうようよいるんだから。ふふ」
声のトーンから、彼女が弱っているのがわかった。
「どうすれば、良い?」
「何か、お話をして欲しいの」
「何を聞きたいの?」
その質問の答えはなかったが、ひたすら僕の語りを待っている。
話題を探すため視線をさまよわせていると、PCのデスクトップの写真に目が留まった。
「昔、弟の浩司が勝手に僕の書いたラブレターを好きな人に渡しちゃったことがあって。すごいムカついたけど、相手の子も僕のことが好きだったんだ……」
「ふふ。それで、そのあとは?」
「小学生は、好きって言葉を交換しちゃうと、そのあとどんなふうに接して良いのかわからなくなるからね。次の日から無視されちゃって……前より遠い存在になってしまったよ」
「じゃあ、どうして相思相愛だってわかったの?」
彼女は変わらず小さな声で訊いてきた。
「半年後に、心臓の病気で亡くなるまで、日記を書いていたらしいんだ。そこに、僕の名前があったらしくて……そう、僕が好きな人たちはみんな、死んでから僕にメッセージを残すんだ……弟も伯父さんも……」
デスクトップに設定された写真の僕は、家族に囲まれて幸せそうに微笑んでいる。
このあと、神様が過酷な試練を鬼月家に与えるとも知らずに。
「伯父様の死は、本当に残念だったね」
「……うん」
「慰めにはならないと思うけど、私も……。グージーがね、天に召されてしまったの」
その事実は僕にとっても辛い報告だった。
愛らしいキジ白猫。
僕と彼女との縁を繋いでくれた。
夢でグージーの食欲がないことを美星が告げに来たことを話そうか迷っていると、先手を取られてしまった。
「でも、丹司が私のために必死に解決策を見つけ出そうとしてくれたこと、ちゃんと知ってるのよ。ありがとう」
どうしてそれを知っているのか尋ねようとしてが、野暮な質問だと思い止めた。
乃瑛琉が言うように、彼女は『神聖』な存在なのだ。
それよりどうして急に亡くなってしまったのか。
その問いもまた、こちらから訊かずともすぐにわかった。
「グージーはね、身代わりになってくれたの」
「身代わり?」
「うん。誰かが鰐の面に毒を塗って……それを被ろうとしたらグージーが……」
「それは、ほたるだよ」
頭より先にその名前は口から転がり出た。酷くショックを受けているのか、それとも、信じられないと動転しているのか美星は閉口してしまった。
「僕は、どうすれば良い? 美星のために、何をしてあげれば良い?」
「出会うべきではなかったんだわ」
「どうしてそんなこと……」
残酷な言葉だった。
僕はただそれが本音ではなく、グージーの死を前にやけになっているのだと思いたかった。
「神と私たちとを繋ぐ生き物がいなくなった今、私はさらなる犠牲を払ってでも、果たさないとならないんだわ」
神聖なる美星にかけられる言葉なんて、もともとなかったのかもしれない。
もう二度とこうして美星と交信できないかもしれない。
後ろ向きなことを思っていると、通話は切れてしまった。
「うわああああああ」
虚しく自分の叫び声が反響した。
気にならないと言えば嘘になるが、帰ってくれば岡林の話になるに違いない。正直、学級裁判の一件はもう思い出したくなかったので好都合とも言える。
アイスキャンディー片手にPCをいじっていたら、携帯が鳴った。非通知だったので躊躇したが、無感情を装って「もしもし」と応答。
しかし、誰も応答しない。
今度は少し警戒気味に「もしもし」と告げると、女の吐息が返ってきた。
「お話して、お話」
か細い声だったが、全身にほとばしる熱を感じた。
携帯を強く握りしめた。
「どこにいるの?」
「神社よ」
「今から行けば会える?」
「夜来てはダメよ。魔物がうようよいるんだから。ふふ」
声のトーンから、彼女が弱っているのがわかった。
「どうすれば、良い?」
「何か、お話をして欲しいの」
「何を聞きたいの?」
その質問の答えはなかったが、ひたすら僕の語りを待っている。
話題を探すため視線をさまよわせていると、PCのデスクトップの写真に目が留まった。
「昔、弟の浩司が勝手に僕の書いたラブレターを好きな人に渡しちゃったことがあって。すごいムカついたけど、相手の子も僕のことが好きだったんだ……」
「ふふ。それで、そのあとは?」
「小学生は、好きって言葉を交換しちゃうと、そのあとどんなふうに接して良いのかわからなくなるからね。次の日から無視されちゃって……前より遠い存在になってしまったよ」
「じゃあ、どうして相思相愛だってわかったの?」
彼女は変わらず小さな声で訊いてきた。
「半年後に、心臓の病気で亡くなるまで、日記を書いていたらしいんだ。そこに、僕の名前があったらしくて……そう、僕が好きな人たちはみんな、死んでから僕にメッセージを残すんだ……弟も伯父さんも……」
デスクトップに設定された写真の僕は、家族に囲まれて幸せそうに微笑んでいる。
このあと、神様が過酷な試練を鬼月家に与えるとも知らずに。
「伯父様の死は、本当に残念だったね」
「……うん」
「慰めにはならないと思うけど、私も……。グージーがね、天に召されてしまったの」
その事実は僕にとっても辛い報告だった。
愛らしいキジ白猫。
僕と彼女との縁を繋いでくれた。
夢でグージーの食欲がないことを美星が告げに来たことを話そうか迷っていると、先手を取られてしまった。
「でも、丹司が私のために必死に解決策を見つけ出そうとしてくれたこと、ちゃんと知ってるのよ。ありがとう」
どうしてそれを知っているのか尋ねようとしてが、野暮な質問だと思い止めた。
乃瑛琉が言うように、彼女は『神聖』な存在なのだ。
それよりどうして急に亡くなってしまったのか。
その問いもまた、こちらから訊かずともすぐにわかった。
「グージーはね、身代わりになってくれたの」
「身代わり?」
「うん。誰かが鰐の面に毒を塗って……それを被ろうとしたらグージーが……」
「それは、ほたるだよ」
頭より先にその名前は口から転がり出た。酷くショックを受けているのか、それとも、信じられないと動転しているのか美星は閉口してしまった。
「僕は、どうすれば良い? 美星のために、何をしてあげれば良い?」
「出会うべきではなかったんだわ」
「どうしてそんなこと……」
残酷な言葉だった。
僕はただそれが本音ではなく、グージーの死を前にやけになっているのだと思いたかった。
「神と私たちとを繋ぐ生き物がいなくなった今、私はさらなる犠牲を払ってでも、果たさないとならないんだわ」
神聖なる美星にかけられる言葉なんて、もともとなかったのかもしれない。
もう二度とこうして美星と交信できないかもしれない。
後ろ向きなことを思っていると、通話は切れてしまった。
「うわああああああ」
虚しく自分の叫び声が反響した。