23、限りなく人間に近いメバチ
文字数 1,724文字
血の滲む包帯で顔が覆われた野犬が、狂ったように鳴き叫ぶ夢で目覚めた。深夜になっても三十度を下回らない寝苦しさゆえか、それとも、相沢や生徒会長と言い争いになったことが原因なのか。
ひとまず、冷たいもので喉を潤すことにした。
部屋を出て一階に下りると、暗闇の中でカタカタとキーを打つ音が聞こえてきた。
リビングのドアを開けると、父がノートPCと対峙している。書斎以外の場所で仕事をしないと決めている父には極めて珍しいことだった。
「切羽詰まってるの?」
声をかけると、こちらの気配にはまったく気づいていなかったらしく、父は大袈裟に驚いて目を見開いた。
「少女の命がかかってる」
そう眉間にしわを寄せて答えた父の横顔は、何かに憑りつかれたような形相をしていた。黒縁眼鏡で目立ちにくいが、目の下のクマは色濃く、いつも綺麗さっぱり剃ってあるはずの口周りには白い髭が蓄えられていた。
「どんな子なの?」
「守秘義務で言えん」
無難な返しにため息を突く。
冷蔵庫を開けて麦茶を取り出した。
グラスを二つ用意し、二人分を注いだ。
テーブルに置いて差し出すと、父はこちらに一瞥もくれず麦茶を一気に飲み干してしまった。それどころか、冷蔵庫で冷えたビールを持って欲しいと言われた。
やれやれと思いながらも、言われるままにビールとグラスを運ぶ。
「マサヤ伯父さんが心配してたよ」
その名前を出すと、父はPCから顔を上げて正面の壁を強張った顔で見た。その後、意味ありげな太い視線を僕に向けた。
「兄貴に何がわかる」
しかめた顔で言う。
「きっとわかるよ。血の繋がった兄弟だもん」
負けじと反駁する。
父はグラスになみなみと注いだビールに口をつけた。
「その少女、父さんの力で救えると良いね」
皮肉交じりに言ったつもりだったが、父はPCを見ながら顎を引いた。
父とのやりとりに緊迫したものが走っているのは、マサヤ伯父さんの懸念が正しいことを裏付けていた。
父のグラスを回収し、僕の分と合わせて簡単に水洗いをした。
僕の言葉は全く響いていない様子だったが、それについては今に始まったことではない。
諦めて自室へ戻ろうとしたその時。
くしゃくしゃに丸められた紙がソファの後ろまで投げ捨てられていた。おもむろに拾って台所のごみ箱へ投げようとしたが、一度踏みとどまった。
父がPCに張り付いているのを確認しつつ、くしゃくしゃの紙を広げる。なんとそこには、背景がグレーの配合1007の白いカプセルのカラー写真と説明文が書かれていた。
---抗炎症薬の一種で『限りなく人間に近いメバチ女子に特化した薬』
鼓動が速くなった。
何度か慎重に読んだが、奇怪な文は確かに綴られていた。
僕はその紙を父に見つからないよう部屋まで持ち去ることにした。
時刻は深夜の二時を回っている。こんな時間にマサヤ伯父さんにメールすることに躊躇われたが、居てもたってもいられず返信の文字をクリックする。
「伯父さん、こんばんは。ちょっと気になることがあって。時々、地上に顔を出す電波塔、配合1007という芽八市で出回っていると思われる抗炎症薬のこと、父さんが躍起になっている患者少女のこと。もし伯父さんが良かったら、こっちで会って話すのはどうですか?」
思ったままの文章でメールを送信した。
思いの外、五分も経たないうちに返信があった。
「俺が夜更かしの生徒に注意しないとでも思ったか? 甥だって容赦しないぞ?(笑)それはそうと、こっちも神主の帝王貝細工について信ぴょう性の高い情報を入手した。会って話そう。その、電波塔っていうのも気になるしな。早い方が良い。明後日、日付が変わっているからもう明日だな。3日、最寄り駅で待ち合わせしよう」
「オーケー! 最寄り駅は、西芽八駅。時間はお昼にする?」
「朝と夜で見比べたいものがあるから、まずは朝8時でどうだ?」
「わかった」
「じゃあ、さっさと寝ろよ~」
そこでやり取りは終わった。マサヤ伯父さんがいれば鬼に金棒だ。
この日は興奮してなかなか寝付けなかった。
ひとまず、冷たいもので喉を潤すことにした。
部屋を出て一階に下りると、暗闇の中でカタカタとキーを打つ音が聞こえてきた。
リビングのドアを開けると、父がノートPCと対峙している。書斎以外の場所で仕事をしないと決めている父には極めて珍しいことだった。
「切羽詰まってるの?」
声をかけると、こちらの気配にはまったく気づいていなかったらしく、父は大袈裟に驚いて目を見開いた。
「少女の命がかかってる」
そう眉間にしわを寄せて答えた父の横顔は、何かに憑りつかれたような形相をしていた。黒縁眼鏡で目立ちにくいが、目の下のクマは色濃く、いつも綺麗さっぱり剃ってあるはずの口周りには白い髭が蓄えられていた。
「どんな子なの?」
「守秘義務で言えん」
無難な返しにため息を突く。
冷蔵庫を開けて麦茶を取り出した。
グラスを二つ用意し、二人分を注いだ。
テーブルに置いて差し出すと、父はこちらに一瞥もくれず麦茶を一気に飲み干してしまった。それどころか、冷蔵庫で冷えたビールを持って欲しいと言われた。
やれやれと思いながらも、言われるままにビールとグラスを運ぶ。
「マサヤ伯父さんが心配してたよ」
その名前を出すと、父はPCから顔を上げて正面の壁を強張った顔で見た。その後、意味ありげな太い視線を僕に向けた。
「兄貴に何がわかる」
しかめた顔で言う。
「きっとわかるよ。血の繋がった兄弟だもん」
負けじと反駁する。
父はグラスになみなみと注いだビールに口をつけた。
「その少女、父さんの力で救えると良いね」
皮肉交じりに言ったつもりだったが、父はPCを見ながら顎を引いた。
父とのやりとりに緊迫したものが走っているのは、マサヤ伯父さんの懸念が正しいことを裏付けていた。
父のグラスを回収し、僕の分と合わせて簡単に水洗いをした。
僕の言葉は全く響いていない様子だったが、それについては今に始まったことではない。
諦めて自室へ戻ろうとしたその時。
くしゃくしゃに丸められた紙がソファの後ろまで投げ捨てられていた。おもむろに拾って台所のごみ箱へ投げようとしたが、一度踏みとどまった。
父がPCに張り付いているのを確認しつつ、くしゃくしゃの紙を広げる。なんとそこには、背景がグレーの配合1007の白いカプセルのカラー写真と説明文が書かれていた。
---抗炎症薬の一種で『限りなく人間に近いメバチ女子に特化した薬』
鼓動が速くなった。
何度か慎重に読んだが、奇怪な文は確かに綴られていた。
僕はその紙を父に見つからないよう部屋まで持ち去ることにした。
時刻は深夜の二時を回っている。こんな時間にマサヤ伯父さんにメールすることに躊躇われたが、居てもたってもいられず返信の文字をクリックする。
「伯父さん、こんばんは。ちょっと気になることがあって。時々、地上に顔を出す電波塔、配合1007という芽八市で出回っていると思われる抗炎症薬のこと、父さんが躍起になっている患者少女のこと。もし伯父さんが良かったら、こっちで会って話すのはどうですか?」
思ったままの文章でメールを送信した。
思いの外、五分も経たないうちに返信があった。
「俺が夜更かしの生徒に注意しないとでも思ったか? 甥だって容赦しないぞ?(笑)それはそうと、こっちも神主の帝王貝細工について信ぴょう性の高い情報を入手した。会って話そう。その、電波塔っていうのも気になるしな。早い方が良い。明後日、日付が変わっているからもう明日だな。3日、最寄り駅で待ち合わせしよう」
「オーケー! 最寄り駅は、西芽八駅。時間はお昼にする?」
「朝と夜で見比べたいものがあるから、まずは朝8時でどうだ?」
「わかった」
「じゃあ、さっさと寝ろよ~」
そこでやり取りは終わった。マサヤ伯父さんがいれば鬼に金棒だ。
この日は興奮してなかなか寝付けなかった。