30、学級裁判
文字数 3,293文字
学校に着くと、玄関のカギは開いていた。
二年三組の靴箱をざっと見わたすが、誰の外履きも見当たらない。学級裁判とやらに、どんな面々が揃うのか想像もつかない。
しんと静まり返った廊下は、外の蒸し暑さに反して底冷えしていた。生徒のいない学校を学校と呼ぶのには違和感がある。
階段を上る音が大袈裟に反響した。
薄暗い廊下を通って二年三組の教室まで恐る恐る移動する。ドアの前で一呼吸着いてから、教室の中に足を踏み入れた。
即刻、刺さるような視線。
直前までは人の気配がまったくしなかったので、黒板の前に四人もの男子生徒がこちらを向いて並んで座っていたのには一驚した。
教卓や他の生徒の机と椅子は、窓側の壁、後ろの壁、廊下側の壁にすべて寄せられて真ん中にスペースができている。
背筋を伸ばし、膝に両手を乗せて座る四人とは、こぞって面識なし。
一番左の男だけ銀髪に、銀色の眉毛。それだけではなく、鼻梁があり日本人離れをした顔立ちだ。しかし、その美しさはどこか不自然で、生きたままピンで突き刺された標本の中の生き物のように見えた。
誰ひとりとて口を開かないことへの薄気味悪さもあったが、それ以上に、姿勢だけでなく眼球の僅かな動きやまばたきのタイミングまでもが揃っていることに恐れを抱かせる。
突如、頭上のスピーカーから誰かの吐息が聞こえてきた。
「予定より早いが、始める」
その甲高い声は、まぎれもなく二年三組の担任キツネザビだ。
「早速だが、本日の学級裁判の指揮を執る、岡林勝だ。今から、ここ芽八中学に今年転校してきた余所者の裁判を行う」
たかが雇われ教師が、こんな勝手な校内放送を流すことのできる芽八中学の無法ぶりにも危機感を覚えた。
「二年三組 学籍番号5番 鬼月丹司」
黒板の上のスピーカーから大声で名を呼ばれた。
「いるよ。鬼月丹司はここにいる!」
声を張り上げて挙手してやった。
黒板の前に座る四人の視線は、いっせいに僕の右手の指先を捉えた。
「良かろう。では、元生徒会のメンバーであり、今も尚、必要に応じて生徒会執行部として活動している四人を紹介してやろう」
元生徒会?卒業生にしては、自分とあまり変わらない外見が気になる。
「向かって左から、浅葱、下川、飯田、平野」
彼らは僕に対してではなく、どちらかと言えば僕の背後の壁の一点を見つめているようだった。一番、派手な顔立ちをしている銀髪は浅葱だと判明する。他の三人もまた土気色の肌に、目の周りがやたら落ちくぼんではいたが、浅葱よりも小柄で、頭も銀髪というより若白髪に近い色合いだ。
「さて、本題に入る。まず一つ目だが、裏生徒会メンバーに対する侮辱の容疑がかけられている」
「そんなデタラメなこと、誰から聞いたんだよ!」
スピーカーに向かって抗議すると、キツネザビの怒声が返ってきた。
「気をつけろ! 露骨に話を妨げた場合、鬼月丹司、おまえの反論を口にする時間はなくなる!」
横暴極まりない進め方。
そもそも学級裁判と言いながら、面識のない元生徒会メンバー四人しか同席しないところからすでに不公平と言うもの。
しかし、それで話が通じる相手ではなさそうだった。
ひと先ずは、キツネザビの言い分をすべて聞くことにした。
「二つ目は、女子が服用する薬を窃盗した容疑だ」
頭を真っ二つに割られたような衝撃が走る。生徒会長の黄賀エリカが裏切ったのか。そもそも、あんな薬を盗んだところでいったい何になると言うのだ。とは言え、こちらには盗む動機がない。
「三つ目は、参拝時間外の女蜂神社侵入の容疑だ」
「侵入?」
立ったまま鼻で笑った。
そんな決まりごとは聞いていない。
第一学校と神社では場所が違う。たかが担任の立場で、そんな強制力が有効なはずがない。
「四つ目は」
「最後まで聞こうと努めましたが、その必要はなさそうですね。こんな馬鹿げた容疑があるでしょうか。夏休みと言う貴重な若者の時間を、理不尽この上ない理由で教師が奪う。これほどの重罪が赦されるんでしょうか? そっちの方が大問題でしょう?!」
俺は強気に跳ね返した。
これで停学や退学を言い渡されたとして、素直に応じる義務はないだろう。
「まあいい。これら三つの容疑だけで裁判を行う。鬼月丹司。不満そうだが、おまえの言い分も特別に聞いてやろう」
意見を通したところで受け入れてくれないのは目に見えていたが、威張った態度が気に食わず、反論せずにはいられない。
「誰が密告したのか知りませんが、そもそも証人の名を挙げずに成立するとでも? 裏生徒会メンバーと言うのが、兵頭新之助、石井悠善、相沢真澄の三人で間違いないければ、彼らを侮辱したことなんてありません。みんなが僕のことをどう思っているかはわかりません。ただ、先週の話なのですけど、相沢くんの家で生徒会長も交えて例大祭の準備をしました。その際、トラブルは何も起こりませんでしたけどね」
相沢くんが僕を心から好いているとは思っていない。
しかし、教師まで巻き込むほどのトラブルがなかったことも事実。
「また、女子が服用する薬を盗んだことを疑っているようですが、プールの帰りにたまたまクラスメイトを見かけました。彼女が鞄から薬を落としたので拾ってあげたのですが、すぐに目の前から彼女がいなくなってしまったので、その日は渋々持ち帰りました。それが盗んだ行為だと言うのはあんまりではないでしょうか? そもそも、先生もおっしゃいましたが、女子が服用する薬なのです。僕が盗むに至る動機はありますか? それに、彼女のリュックに手を伸ばしたわけではないのです。また、生徒会長の粋な計らいで最終的には持ち主のもとへその薬は返してくれることになっていました。あとは何でしたか? えー、参拝時間外の侵入でしたか? 門を飛び越えたわけでも、窓を割って侵入したわけでもないんですけどね……どれもこれも悪意に満ちた告発としか思えません。僕は詳細を正直に語りました。でも、そちらは、事実を捻じ曲げていますよね? PTAや教育委員会にこのことが知れたら、先生の罪こそ教職員免許剥奪だけでは済まないと思いますが?」
できるだけ平静を装って反論してはみたが、実際、心臓はバクバク高鳴っていた。内心、キツネザビに対する怒りが抑えられない。
「生徒手帳を見ればわかる。二章二項十三条に、きちんと書かれてある」
「だったらどうなんです? 僕は、どう裁かれるんですか?」
少しの間があった。
目の前の元生徒会メンバー四人も沈黙したままで、実に薄気味悪い。
「これ以上、話していてもラチが明かないようだな。鬼月丹司。キミの父上は、芽八市民全員から歓迎されても足りないほど優秀なお方だと言うのに。キミの素行の悪さと教師に対して目に余るほどの反抗的な態度には残念でならない。キミは知らないだろうが、芽八市は、余所者を裁くことに関して独自の刑法が存在する。この町の一番の権力者が誰か知っているか?」
「少なくとも、岡林先生ではないでしょうね」
スピーカーを通して、せせら笑いが聞こえた。
「学校だけの話ならば、校長が一番かもしれない。だが、神主様はこの町のシステムを脅かす余所者が現れた時、学級裁判で処罰する権限を、学校で最も信仰心のあつい私にお与え下さった。よって、余所者がメバチの神聖なるもの達を侮辱した盗蜜罪で、女蜂神社の神主様の名のもとにこの私が裁きを下す」
支離滅裂な主張だが、その言葉は正面の四人の鎖を外す合図となった。
彼らの動きは俊敏すぎて何が起きたのかわからなかった。
気づけば教室のど真ん中で僕は倒れていた。頬に、ひんやりとした床が触れている。
そして、気づけば長くて太い針のようなもので腹部を刺されていた。あまりの痛みに叫ぶことすらできなかった。
意識が遠くなる直前、キツネザビが教室に入ってきて僕を蔑むように見下ろしていた。
二年三組の靴箱をざっと見わたすが、誰の外履きも見当たらない。学級裁判とやらに、どんな面々が揃うのか想像もつかない。
しんと静まり返った廊下は、外の蒸し暑さに反して底冷えしていた。生徒のいない学校を学校と呼ぶのには違和感がある。
階段を上る音が大袈裟に反響した。
薄暗い廊下を通って二年三組の教室まで恐る恐る移動する。ドアの前で一呼吸着いてから、教室の中に足を踏み入れた。
即刻、刺さるような視線。
直前までは人の気配がまったくしなかったので、黒板の前に四人もの男子生徒がこちらを向いて並んで座っていたのには一驚した。
教卓や他の生徒の机と椅子は、窓側の壁、後ろの壁、廊下側の壁にすべて寄せられて真ん中にスペースができている。
背筋を伸ばし、膝に両手を乗せて座る四人とは、こぞって面識なし。
一番左の男だけ銀髪に、銀色の眉毛。それだけではなく、鼻梁があり日本人離れをした顔立ちだ。しかし、その美しさはどこか不自然で、生きたままピンで突き刺された標本の中の生き物のように見えた。
誰ひとりとて口を開かないことへの薄気味悪さもあったが、それ以上に、姿勢だけでなく眼球の僅かな動きやまばたきのタイミングまでもが揃っていることに恐れを抱かせる。
突如、頭上のスピーカーから誰かの吐息が聞こえてきた。
「予定より早いが、始める」
その甲高い声は、まぎれもなく二年三組の担任キツネザビだ。
「早速だが、本日の学級裁判の指揮を執る、岡林勝だ。今から、ここ芽八中学に今年転校してきた余所者の裁判を行う」
たかが雇われ教師が、こんな勝手な校内放送を流すことのできる芽八中学の無法ぶりにも危機感を覚えた。
「二年三組 学籍番号5番 鬼月丹司」
黒板の上のスピーカーから大声で名を呼ばれた。
「いるよ。鬼月丹司はここにいる!」
声を張り上げて挙手してやった。
黒板の前に座る四人の視線は、いっせいに僕の右手の指先を捉えた。
「良かろう。では、元生徒会のメンバーであり、今も尚、必要に応じて生徒会執行部として活動している四人を紹介してやろう」
元生徒会?卒業生にしては、自分とあまり変わらない外見が気になる。
「向かって左から、浅葱、下川、飯田、平野」
彼らは僕に対してではなく、どちらかと言えば僕の背後の壁の一点を見つめているようだった。一番、派手な顔立ちをしている銀髪は浅葱だと判明する。他の三人もまた土気色の肌に、目の周りがやたら落ちくぼんではいたが、浅葱よりも小柄で、頭も銀髪というより若白髪に近い色合いだ。
「さて、本題に入る。まず一つ目だが、裏生徒会メンバーに対する侮辱の容疑がかけられている」
「そんなデタラメなこと、誰から聞いたんだよ!」
スピーカーに向かって抗議すると、キツネザビの怒声が返ってきた。
「気をつけろ! 露骨に話を妨げた場合、鬼月丹司、おまえの反論を口にする時間はなくなる!」
横暴極まりない進め方。
そもそも学級裁判と言いながら、面識のない元生徒会メンバー四人しか同席しないところからすでに不公平と言うもの。
しかし、それで話が通じる相手ではなさそうだった。
ひと先ずは、キツネザビの言い分をすべて聞くことにした。
「二つ目は、女子が服用する薬を窃盗した容疑だ」
頭を真っ二つに割られたような衝撃が走る。生徒会長の黄賀エリカが裏切ったのか。そもそも、あんな薬を盗んだところでいったい何になると言うのだ。とは言え、こちらには盗む動機がない。
「三つ目は、参拝時間外の女蜂神社侵入の容疑だ」
「侵入?」
立ったまま鼻で笑った。
そんな決まりごとは聞いていない。
第一学校と神社では場所が違う。たかが担任の立場で、そんな強制力が有効なはずがない。
「四つ目は」
「最後まで聞こうと努めましたが、その必要はなさそうですね。こんな馬鹿げた容疑があるでしょうか。夏休みと言う貴重な若者の時間を、理不尽この上ない理由で教師が奪う。これほどの重罪が赦されるんでしょうか? そっちの方が大問題でしょう?!」
俺は強気に跳ね返した。
これで停学や退学を言い渡されたとして、素直に応じる義務はないだろう。
「まあいい。これら三つの容疑だけで裁判を行う。鬼月丹司。不満そうだが、おまえの言い分も特別に聞いてやろう」
意見を通したところで受け入れてくれないのは目に見えていたが、威張った態度が気に食わず、反論せずにはいられない。
「誰が密告したのか知りませんが、そもそも証人の名を挙げずに成立するとでも? 裏生徒会メンバーと言うのが、兵頭新之助、石井悠善、相沢真澄の三人で間違いないければ、彼らを侮辱したことなんてありません。みんなが僕のことをどう思っているかはわかりません。ただ、先週の話なのですけど、相沢くんの家で生徒会長も交えて例大祭の準備をしました。その際、トラブルは何も起こりませんでしたけどね」
相沢くんが僕を心から好いているとは思っていない。
しかし、教師まで巻き込むほどのトラブルがなかったことも事実。
「また、女子が服用する薬を盗んだことを疑っているようですが、プールの帰りにたまたまクラスメイトを見かけました。彼女が鞄から薬を落としたので拾ってあげたのですが、すぐに目の前から彼女がいなくなってしまったので、その日は渋々持ち帰りました。それが盗んだ行為だと言うのはあんまりではないでしょうか? そもそも、先生もおっしゃいましたが、女子が服用する薬なのです。僕が盗むに至る動機はありますか? それに、彼女のリュックに手を伸ばしたわけではないのです。また、生徒会長の粋な計らいで最終的には持ち主のもとへその薬は返してくれることになっていました。あとは何でしたか? えー、参拝時間外の侵入でしたか? 門を飛び越えたわけでも、窓を割って侵入したわけでもないんですけどね……どれもこれも悪意に満ちた告発としか思えません。僕は詳細を正直に語りました。でも、そちらは、事実を捻じ曲げていますよね? PTAや教育委員会にこのことが知れたら、先生の罪こそ教職員免許剥奪だけでは済まないと思いますが?」
できるだけ平静を装って反論してはみたが、実際、心臓はバクバク高鳴っていた。内心、キツネザビに対する怒りが抑えられない。
「生徒手帳を見ればわかる。二章二項十三条に、きちんと書かれてある」
「だったらどうなんです? 僕は、どう裁かれるんですか?」
少しの間があった。
目の前の元生徒会メンバー四人も沈黙したままで、実に薄気味悪い。
「これ以上、話していてもラチが明かないようだな。鬼月丹司。キミの父上は、芽八市民全員から歓迎されても足りないほど優秀なお方だと言うのに。キミの素行の悪さと教師に対して目に余るほどの反抗的な態度には残念でならない。キミは知らないだろうが、芽八市は、余所者を裁くことに関して独自の刑法が存在する。この町の一番の権力者が誰か知っているか?」
「少なくとも、岡林先生ではないでしょうね」
スピーカーを通して、せせら笑いが聞こえた。
「学校だけの話ならば、校長が一番かもしれない。だが、神主様はこの町のシステムを脅かす余所者が現れた時、学級裁判で処罰する権限を、学校で最も信仰心のあつい私にお与え下さった。よって、余所者がメバチの神聖なるもの達を侮辱した盗蜜罪で、女蜂神社の神主様の名のもとにこの私が裁きを下す」
支離滅裂な主張だが、その言葉は正面の四人の鎖を外す合図となった。
彼らの動きは俊敏すぎて何が起きたのかわからなかった。
気づけば教室のど真ん中で僕は倒れていた。頬に、ひんやりとした床が触れている。
そして、気づけば長くて太い針のようなもので腹部を刺されていた。あまりの痛みに叫ぶことすらできなかった。
意識が遠くなる直前、キツネザビが教室に入ってきて僕を蔑むように見下ろしていた。