21、夏の夜は雨模様
文字数 3,461文字
家の前まで小幟(のぼり)旗が立っていたり、例大祭のポスターが貼られていた。
あれほどの騒動があっても、例大祭が行われようとしていることに驚く。しかし、前日になって宣伝するところを見ると、大勢の参拝客を呼び込みたいわけではないのかもしれない。
たこ焼き屋『タコに恩返し』を貸し切り、最後の準備が行われることになった。
生徒会メンバーだけでなく、まだ馴染みの薄いクラスメイトや他のクラスの生徒たちも代わる代わるやって来ては集団に溶け込んでゆく。
そんな中、 エリカとほたるは無言でしめ縄を黙々と綯(な)っていた。
あんなことがあってすぐだからなのか、例大祭に向けての緊張感のせいなのか、ふたりともいっさい言葉は交わさない。僕は、作業をしながら時折そんなぎこちないふたりを交互に一瞥した。
質問をする機会は巡ってこなそうだが、そのうちに、 エリカの双子の兄ビーネについてや、美星を殺そうとしたほたるの奇行など、そればかりが脳内をぐるぐるとまわっていた。
ふと、エリカが思い出したように「そういえば、例のハードディスクは持ってきたか?」と訊いてきた。早速、昨日のうちに渡す予定だったハードディスクを鞄から出す。
そこへ、今日は特別だからと、『タコに恩返し』のおかみさんが各テーブルに人数分のたこ焼きを配った。この大盤振る舞いには歓声が上がった。
たこ焼きの味が絶品であることは言うまでもないが、ほとんどが昼間から夕方にかけて何も食べずに作業をしていたこともあり、ものの数分で完食するものが大勢いた。
おかみさんも、そんな学生たちから反響を目の当たりにして目を細めていた。
「私、そろそろ舞踊の練習があるから、帰るわね」
突然、片づけに入っていたほたるが口を開いた。
「わかった。明日、頑張れ!」
いつもは明るくハキハキした口調のエリカが乾いた声で送り出す。
ぎくしゃくした雰囲気のまま、ほたるは立ち上がった。
僕はソースのついた口をティッシュで拭きながら、そのやり取りを鋭く見守る。
ほたるは、「ごちそうさまでした」とワントーン声を高くしておかみさんに告げると、足早に店から出ていった。
「追い駆けたいって顔してるぞ、おまえ」
ズバリ、猫目で真っすぐこちらを見ながら図星なことを言われた。
少し躊躇したが、「すぐ戻る」と断りを入れて急ぎ足で店を出た。
ほたるは、まだ見える距離にいた。
「待って」
勢いで呼び止めると、彼女は立ち止まりこちらを振り返った。
意外そうな顔でもなければ、歓迎する様子も特に感じられない。
次の言葉を継げずにいると、彼女はすぐに前を見て歩調を速めた。
僕は慌てて走り、ほたるの横に図々しく並んだ。
夏の闇夜に、ジージーと虫の音が響く。
手と手が当たりそうな距離。
僕は意を決して、あのことについて問い質した。
「右京さんは、なんであんなことを?」
だが、その表情は硬いまま。
「鰐の面に、毒を塗ったよね?」
「それが言いたくてここまで来たの?」
「……そうだよ」
ほたるはうつむく。
街灯が足元を照らす。
水たまりの中で、彼女のウェッジサンダルは水を吸収してどんどん色を変えていく。
「人を、殺そうとしたんだよ、右京さんは」
低い声で、冷酷な一言を彼女に突き付けた。
次の瞬間。
ほたるは、わっと絶叫した。
「私だって、私だって、あんなことしたくなかった!」
その声は、彼女の口から叫ばれたものだとはとうてい思えなかった。
急に空が割れるような驟雨(しゅうう)が降ってきた。
空も彼女の異変に驚いてしまったのかもしれない。
足を止めた彼女は、子供のように泣きじゃくった。
あまりにも突然のことで動揺はしたが、僕は心を引き締める。
「泣いても、僕は右京さんをすぐには許したくない。理由を言ってくれないとわかんないよ!」
負けじと感情が昂っていた。
いつも凛と振る舞っている彼女は、唇を小動物のようにわなわなと震わせる。
なにか発言したそうな目をこちらに向けてきたが、すぐに理由を口にはしなかった。
傘を持っていなかったので、バケツに入った水を頭から被るくらい濡れた。
「なぁ、理由を言ってみろよ?」
彼女をねめつけながら言った。
それでも鬱憤は晴れず、さらに怒りをぶつける。
「美星は九死に一生を得たけど、彼女が可愛がっていた猫は亡くなったんだぞ? 右京さんの塗った毒で、死んだんだぞ!」
怒声を放つと、彼女は肩をすくませた。
「グージーは死んだのね……」
初耳だったのか、彼女は目の裏の暗い影を濃くした。
「巫女が、あんなことして許されるのかよ! そんな資格あるのかよ!」
「あるわよ!」
語気を強めて彼女は反駁してきた。
その迫真に満ちた目は、僕を見ているようで別のところに焦点を置いていた。
短めの前髪が白くきめ細やかなひたいに張りついている。
「美星には、もはや統率する力はないわ。それを察知した以上、ただ手をこまねいて見ているわけにはいかないのよ! 私はあなたに対してヨソモノだとは言いたくないけれど、しょせんヨソモノなのよ! 芽八市のことも、女蜂のことも、美星のことも、何もわかってない! あなたこそ、コロニーの破壊者じゃない!」
「破壊者って……僕が?」
心当たりがないだけに、その反撃の言葉は束となって僕の胸に鋭く突き刺さった。
理不尽な理由で教師から体罰以上の仕打ちを受け、相談相手だったマサヤ伯父さんはこの町の何者かに殺され、ひょんなことで出会った美星をただ好きになっただけ。
乃瑛琉には猫の言葉を翻訳してもらうのに体調が悪いところ協力はしてもらったけれど、電波塔の誤作動が彼女をあそこまで追い込んだ。むろん、電波塔と女蜂という役を担う彼女たちの関係性についてはあまり理解できていないが。
「何がわかってないって言うんだよ。ここでは、子供たちの殺人は罰せられないのか? そもそも、美星のことを何もわかってないなんて、右京さんにだけは言われたくないよ!」
しかし、内心では自分が置かれた立場の方こそ問題があるのではないかと焦燥感を抱き始めていた。
ふと、背後からヘッドライトが照らされて右腕で目を覆った。
どこかで見覚えのある車だと思えば、父の外車だった。
父もこちらに気づいたのか、運転席の窓を開けて顔を乗り出してきた。
「丹司か。こんな夜遅くまでなにやってる」
「みんなで集まって例大祭の準備してたんだよ」
「そうか。隣のお嬢さんも傘がないなら、送っていくぞ」
父の言葉に、右京ほたるはすっと顔を上げた。バツが悪いと感じてすぐさま走り去るだろうと予想したが、見事に裏切られた。
「失礼しますが、以前、神社にいらっしゃった、鬼月樹先生ですか?」
「そうだが……あ、キミは巫女の」
「右京ほたるです」
物腰の柔らかさは、同級生と接するときとはまるで違っていた。
「帝王貝細工の留守を任せられるのは、右京くんしかいない。彼がそう言っていたよ」
その言葉に彼女は頬を紅潮させながら会釈する。
ふたりが交わす視線には、異様な感情が込められていた。
「風邪をひいて明日の例大祭に出られなくなったら大変だ、早く入りなさい」
父は腕を伸ばして後部座席のドアの鍵を解除した。
肩より短いウェーヴがかった髪で隠された顔は、乗車しても尚、隠れたままだった。
「ちゃんと送り届けるから安心しろ。丹司も早く帰って温まりなさい」
こちらの返事も待たずに車のエンジン音が鳴った。
まだ話に決着がついていないところで、運悪く父に妨害されたことを恨むように車を見つめていると、うしろのトランクが完全に閉め切っていないことに気づいた。
走り去ろうとする前にトランクを押し上げ、そこから力強く下ろした。
瞬間、そこに積まれていた怪しげな荷物に目を奪われた。
膝を抱えたような人型が白い包帯で巻かれている。まるでミイラのようだ。さらにその物体は、銀色のしめ縄できつく巻かれていた。
全身にほとばしる悪寒。
その正体を確かめたくて運転席に視線を移そうとした時、父の車は北へ向かって走行してしまった。
僕の知らないところで父はいったい何を……。
いつしか雨は上がっていた。
心の奥のもやもやを流してくれる前に。
あれほどの騒動があっても、例大祭が行われようとしていることに驚く。しかし、前日になって宣伝するところを見ると、大勢の参拝客を呼び込みたいわけではないのかもしれない。
たこ焼き屋『タコに恩返し』を貸し切り、最後の準備が行われることになった。
生徒会メンバーだけでなく、まだ馴染みの薄いクラスメイトや他のクラスの生徒たちも代わる代わるやって来ては集団に溶け込んでゆく。
そんな中、 エリカとほたるは無言でしめ縄を黙々と綯(な)っていた。
あんなことがあってすぐだからなのか、例大祭に向けての緊張感のせいなのか、ふたりともいっさい言葉は交わさない。僕は、作業をしながら時折そんなぎこちないふたりを交互に一瞥した。
質問をする機会は巡ってこなそうだが、そのうちに、 エリカの双子の兄ビーネについてや、美星を殺そうとしたほたるの奇行など、そればかりが脳内をぐるぐるとまわっていた。
ふと、エリカが思い出したように「そういえば、例のハードディスクは持ってきたか?」と訊いてきた。早速、昨日のうちに渡す予定だったハードディスクを鞄から出す。
そこへ、今日は特別だからと、『タコに恩返し』のおかみさんが各テーブルに人数分のたこ焼きを配った。この大盤振る舞いには歓声が上がった。
たこ焼きの味が絶品であることは言うまでもないが、ほとんどが昼間から夕方にかけて何も食べずに作業をしていたこともあり、ものの数分で完食するものが大勢いた。
おかみさんも、そんな学生たちから反響を目の当たりにして目を細めていた。
「私、そろそろ舞踊の練習があるから、帰るわね」
突然、片づけに入っていたほたるが口を開いた。
「わかった。明日、頑張れ!」
いつもは明るくハキハキした口調のエリカが乾いた声で送り出す。
ぎくしゃくした雰囲気のまま、ほたるは立ち上がった。
僕はソースのついた口をティッシュで拭きながら、そのやり取りを鋭く見守る。
ほたるは、「ごちそうさまでした」とワントーン声を高くしておかみさんに告げると、足早に店から出ていった。
「追い駆けたいって顔してるぞ、おまえ」
ズバリ、猫目で真っすぐこちらを見ながら図星なことを言われた。
少し躊躇したが、「すぐ戻る」と断りを入れて急ぎ足で店を出た。
ほたるは、まだ見える距離にいた。
「待って」
勢いで呼び止めると、彼女は立ち止まりこちらを振り返った。
意外そうな顔でもなければ、歓迎する様子も特に感じられない。
次の言葉を継げずにいると、彼女はすぐに前を見て歩調を速めた。
僕は慌てて走り、ほたるの横に図々しく並んだ。
夏の闇夜に、ジージーと虫の音が響く。
手と手が当たりそうな距離。
僕は意を決して、あのことについて問い質した。
「右京さんは、なんであんなことを?」
だが、その表情は硬いまま。
「鰐の面に、毒を塗ったよね?」
「それが言いたくてここまで来たの?」
「……そうだよ」
ほたるはうつむく。
街灯が足元を照らす。
水たまりの中で、彼女のウェッジサンダルは水を吸収してどんどん色を変えていく。
「人を、殺そうとしたんだよ、右京さんは」
低い声で、冷酷な一言を彼女に突き付けた。
次の瞬間。
ほたるは、わっと絶叫した。
「私だって、私だって、あんなことしたくなかった!」
その声は、彼女の口から叫ばれたものだとはとうてい思えなかった。
急に空が割れるような驟雨(しゅうう)が降ってきた。
空も彼女の異変に驚いてしまったのかもしれない。
足を止めた彼女は、子供のように泣きじゃくった。
あまりにも突然のことで動揺はしたが、僕は心を引き締める。
「泣いても、僕は右京さんをすぐには許したくない。理由を言ってくれないとわかんないよ!」
負けじと感情が昂っていた。
いつも凛と振る舞っている彼女は、唇を小動物のようにわなわなと震わせる。
なにか発言したそうな目をこちらに向けてきたが、すぐに理由を口にはしなかった。
傘を持っていなかったので、バケツに入った水を頭から被るくらい濡れた。
「なぁ、理由を言ってみろよ?」
彼女をねめつけながら言った。
それでも鬱憤は晴れず、さらに怒りをぶつける。
「美星は九死に一生を得たけど、彼女が可愛がっていた猫は亡くなったんだぞ? 右京さんの塗った毒で、死んだんだぞ!」
怒声を放つと、彼女は肩をすくませた。
「グージーは死んだのね……」
初耳だったのか、彼女は目の裏の暗い影を濃くした。
「巫女が、あんなことして許されるのかよ! そんな資格あるのかよ!」
「あるわよ!」
語気を強めて彼女は反駁してきた。
その迫真に満ちた目は、僕を見ているようで別のところに焦点を置いていた。
短めの前髪が白くきめ細やかなひたいに張りついている。
「美星には、もはや統率する力はないわ。それを察知した以上、ただ手をこまねいて見ているわけにはいかないのよ! 私はあなたに対してヨソモノだとは言いたくないけれど、しょせんヨソモノなのよ! 芽八市のことも、女蜂のことも、美星のことも、何もわかってない! あなたこそ、コロニーの破壊者じゃない!」
「破壊者って……僕が?」
心当たりがないだけに、その反撃の言葉は束となって僕の胸に鋭く突き刺さった。
理不尽な理由で教師から体罰以上の仕打ちを受け、相談相手だったマサヤ伯父さんはこの町の何者かに殺され、ひょんなことで出会った美星をただ好きになっただけ。
乃瑛琉には猫の言葉を翻訳してもらうのに体調が悪いところ協力はしてもらったけれど、電波塔の誤作動が彼女をあそこまで追い込んだ。むろん、電波塔と女蜂という役を担う彼女たちの関係性についてはあまり理解できていないが。
「何がわかってないって言うんだよ。ここでは、子供たちの殺人は罰せられないのか? そもそも、美星のことを何もわかってないなんて、右京さんにだけは言われたくないよ!」
しかし、内心では自分が置かれた立場の方こそ問題があるのではないかと焦燥感を抱き始めていた。
ふと、背後からヘッドライトが照らされて右腕で目を覆った。
どこかで見覚えのある車だと思えば、父の外車だった。
父もこちらに気づいたのか、運転席の窓を開けて顔を乗り出してきた。
「丹司か。こんな夜遅くまでなにやってる」
「みんなで集まって例大祭の準備してたんだよ」
「そうか。隣のお嬢さんも傘がないなら、送っていくぞ」
父の言葉に、右京ほたるはすっと顔を上げた。バツが悪いと感じてすぐさま走り去るだろうと予想したが、見事に裏切られた。
「失礼しますが、以前、神社にいらっしゃった、鬼月樹先生ですか?」
「そうだが……あ、キミは巫女の」
「右京ほたるです」
物腰の柔らかさは、同級生と接するときとはまるで違っていた。
「帝王貝細工の留守を任せられるのは、右京くんしかいない。彼がそう言っていたよ」
その言葉に彼女は頬を紅潮させながら会釈する。
ふたりが交わす視線には、異様な感情が込められていた。
「風邪をひいて明日の例大祭に出られなくなったら大変だ、早く入りなさい」
父は腕を伸ばして後部座席のドアの鍵を解除した。
肩より短いウェーヴがかった髪で隠された顔は、乗車しても尚、隠れたままだった。
「ちゃんと送り届けるから安心しろ。丹司も早く帰って温まりなさい」
こちらの返事も待たずに車のエンジン音が鳴った。
まだ話に決着がついていないところで、運悪く父に妨害されたことを恨むように車を見つめていると、うしろのトランクが完全に閉め切っていないことに気づいた。
走り去ろうとする前にトランクを押し上げ、そこから力強く下ろした。
瞬間、そこに積まれていた怪しげな荷物に目を奪われた。
膝を抱えたような人型が白い包帯で巻かれている。まるでミイラのようだ。さらにその物体は、銀色のしめ縄できつく巻かれていた。
全身にほとばしる悪寒。
その正体を確かめたくて運転席に視線を移そうとした時、父の車は北へ向かって走行してしまった。
僕の知らないところで父はいったい何を……。
いつしか雨は上がっていた。
心の奥のもやもやを流してくれる前に。