9年後

文字数 2,513文字

 芽八市に来ると、やっぱり少し他の町とは空気が違う。以前のような甘ったるい香りはしなかったが、独特な臭いはそこはかとなく漂っていた。冬の芽八は夏と比べて少し穏やかな印象を受ける。
 民家の前の坂道を上ってゆく間、何度も道路脇に作られた雪だるまと目が合う。もう自分がこの町に来ても、「ヨソモノ」だという強迫観念は完全に消え去っていた。
 懐かしの慰霊碑広場に辿り着くと、そこには、父のソウルメイトだった神主の道隆氏の名前と、我が名医(迷医の方がしっくりくるかもしれないが)鬼月樹の名前が刻まれていた。
 父は親友を生かすためだったとは言え、神の領域に手を染めてしまったことで自らの生命の組織を根本から破壊してしまった。
諸刃の剣という表現が正しいかはわからないが、例大祭から二日も経たずして亡くなった。変わり果てた親友のご神体と同化するような形で女蜂神社の地下で発見された。
息子としては正直なところ複雑な心境だが、ふたりは長い時を経て本物のソウルメイトになれたのだろう。
 しばらく中腰のまま、女蜂族の慰霊碑を眺めていた。すり合わせるように手に白い息を吹きかける。
 腕時計を見て時刻を確認。
そろそろ、待ち合わせの時刻だ。
 立ち上がって慰霊碑に背中を向けた時だった。突風が吹いて前髪がひるがえった。
『めんこい』
 あのフレーズが、聞こえた。 
 四方八方を見まわしたが、ここには自分しかいない。
 僕は相好を崩した。
「キミは、ほんといつも神出鬼没だな」
 空を見上げると、透き通った青がこの町を優しく見下ろしていた。
 もう一度だけ、慰霊碑の前で手を合わせる。

 目と鼻の先にある女蜂神社へと急いだ。
 楽しそうに談笑しあう一団をすぐに見つけた。ワインレッドのコートを着たエリカが真っ先に僕に気づく。その隣には、チョコレート色のポンチョにピンク色の耳当てをした乃瑛琉と、ボリュームたっぷりのロシア帽に黒のシックなコートと黒のタイトなパンツをブーツインしたほたるの姿が。
 兵頭はライダースに赤いマフラーを巻いている。その後ろに見えるのは、黒のダウンコートにニット帽とカジュアルな格好の石井、少し遅れて白いダッフルコートを見事に着こなすビーネの姿があった。
 そして、横一列に女蜂神社の鳥居の下で並び、横に手を振るかつての級友たち。踏切が上がる前に、その集合写真を携帯に収めた。
 眼前の踏切が上がった拍子に、薄っすら積もった足元の雪を蹴りながら線路を渡る。
 彼らは立派に成長していた。
以前の彼らは、他の中学生のように卒業後の未来を選ぶことは当たり前ではなかった。それが今や進学、就職、一人暮らしと、それぞれの道を突き進んでいるのだから不思議だ。
「おいおい、いつまでそんなちゃらちゃらした髪してんだ? スキンヘッドにしなきゃだろースキンヘッドにー!」
 兵頭の生の弾けた声を聞くのは久しぶりで気持ちがあったかくなる。挨拶として僕は軽く蹴りをいれておどけようとしたが、すっかり髪ぎ短くなってイメチェンしたエリカが代わりに兵頭の頭の赤いマフラーを引っ張った。
「坊さんになるとは言った覚えないけど?」
 それでも、神社本庁の推薦を受けて神職養成所に入った。その傍ら女蜂についての研究もこなしていると聞く。
「それより、早くタコに恩返しで石井ちゃんの入学祝ぱーちーしようぜ!」
「自分で言うなよぉ」
 兵頭が石井ちゃんの頭を軽く叩く。
「こらこら、芽八市が誇る最初にして最強のドクターが誕生しようとしているのよ? 頭だけは大切に扱いなさい」
 そんなことを口にするほたるは、さらに背が伸びて兵頭の身長を余裕で追い越していた。
「頭だけは、っていう言い方が気になるな」
 ほたるは僕を見て上品に笑った。
「しっかし、世の中わからないもんだよなぁ。五浪とは言え、石井ちゃんが医学部に進学だもんなぁ?」
 ふと、父と道隆さんの関係性を思い出す。待て待て、このままじゃ自分のソウルメイトは石井になってしまうではないか?思わず苦笑い。
「相沢くんの遺志を引き継ごうっていうのもあるんでしょー?」
「さすが工藤! 男心わかってるねぇ」
「えへへ。乃瑛琉、褒められちゃった!」
ツインテールも愛らしかったが、今のポニーテールも十分に魅力的だった。
「鬼月、せっかくきたんだから、血がなくなるまでワクチン作らせろよー!」
 石井ちゃんが恐ろしいことを言う。
 メバチ症の抗体が僕の血中にあることがわかってから、定期的にワクチン製造に力を貸しているのだが、この採血後が恐ろしく眠いのだ。
「先月も採血したんだから、お手柔らかに頼む……」
「たった400mlで貧弱だなー。鬼月が子供でも作ってくれたらもっとはかどるんだけど」
「赤ん坊から採血するってどんな鬼畜医者だよ! てか、子供って……」
 何となく女性陣の顔を見てしまったが、露骨に三人から視線を逸らされて地味にショックを受けた。
「さーて、酒だ! 宴だ! たこ焼きだ!」
「あんた、こないだ酔い潰れてうちの店に駆け込んでゲロっただろ! 飲んでも飲まれるな!」
 腰に両手をのせて凛々しい声で一喝するエリカ。生徒会長然とした態度は健在のようだった。
「そういえば、地毛の茶色を生かすようになったんだね。会った時から、そっちの方が似合うだろうなって思ってたよ」
「うっせーよ」
 兵頭は照れ隠しのつもりなのか大股歩きになった。
「それより、芽八にはもう住む予定ないのかよ?」
 線路沿いを移動しながら兵頭が真面目に訊いてきた。
 少しの間を置いてから、僕はこう答えた。
「大事なことは、ちょっと離れないと見えてこないんだ」
「ふーん、そういうもんかねぇ」
 先を行く仲間の影を見ながら、僕はぎゅっと幸せを噛み締めていた。中学二年生のひと夏の想い出は、確実に僕の心の奥で息づいている。
 ふと、猫が一匹、目の前を横切った。
すぐに民家と民家の間の隙間に入り込んでしまったが、グージーと身体の模様が似ていた。雪の上に点々と続く猫の足跡を見て思わず心が和んだ。
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登場人物紹介

◆鬼月丹司


芽八市に引っ越してきた中学二年生。

PCと散歩が趣味。

大らかで誰とでも打ち解ける性格。


◆美星

(イラスト/ちすお様)


丹司が家の近所で出会った浴衣姿の

ミステリアスな少女。

猫のグージーと暮らしている。

人目を極端に避けようとする。

◆グージー

(イラスト/高橋直樹様)


美星といつもいるキジ白猫。

◆黄賀エリカ

(イラスト/ちすお様)


生徒会長。身長と胸のサイズを気にしている。

昼間は屍のように机に突っ伏しているが、

放課後になると、生徒会の仕事に活発に取り組む。

美麗な容姿に似合わず男っぽい口調。


◆右京ほたる

(イラスト/ちすお様)


本業は巫女。

冷静沈着で、積極的に人とかかわりを持たない。

冷ややかな口調だが、けっして不機嫌なわけでない。


◆工藤乃瑛琉

(イラスト/ちすお様)


童顔の容姿に似合わずグラマラス。

ふわふわとした物言いで、

心を読み取りづらい。

虚弱体質で不登校がちのようだが・・・。

◆兵頭新之助


裏生徒会長。

当初は丹司に対して高圧的な態度で

接していたが、丹司のあっけらかんとした

性格に気圧され、徐々に仲を深めてゆく。

実は、仲間思い。


◆相沢真澄


裏生徒会メンバーのひとり。

理知的で物静かだが、

意見はハッキリと口にする。

親が町一番の金持ち。

◆石井悠善


通称石井ちゃん。

裏生徒会メンバーのひとり。

兵頭を心酔し、腰ぎんちゃくのように

兵頭と行動を共にする。


◆マサヤ伯父さん


市街に住む丹司の伯父。

中学の技術の先生。

仕事にのめり込む丹司の父を心配する。

◆キツネザビ


担任の先生。

口が悪く特に転校生の丹司に

冷たい態度をとる。

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